Financial Times経済コラムの一節・その1・intellectual sunk capital
例によって、Financial Times の Willem Buiter 氏による常設経済コラムからの質問です。
3月3日付けのコラムで、タイトルは「The unfortunate uselessness of most ’state of the art’ academic monetary economics」(「最先端」と称される金融経済学の大半は役に立たない)というもの。
近年の経済学の主流派をばっさりと斬って捨てたという趣きの、痛烈な文章のようです。
第2段落を引用します。
Most mainstream macroeconomic theoretical innovations since the 1970s (the New Classical rational expectations revolution associated with such names as Robert E. Lucas Jr., Edward Prescott, Thomas Sargent, Robert Barro etc, and the New Keynesian theorizing of Michael Woodford and many others) have turned out to be self-referential, inward-looking distractions at best. Research tended to be motivated by the internal logic, intellectual sunk capital and esthetic puzzles of established research programmes rather than by a powerful desire to understand how the economy works - let alone how the economy works during times of stress and financial instability. So the economics profession was caught unprepared when the crisis struck.
上記文中の intellectual sunk capital の訳と意味をご教示ください。
なお、その他の部分の意味は次のようなものと思います。誤訳等の指摘も歓迎します。
1970年代以来、マクロ経済学の主流を形成した革新的理論の大半(ロバート・ルーカスやエドワード・プレスコット、トーマス・サージェント、ロバート・バーロ等の名と結びつけられる新古典派の合理的期待形成仮説、また、マイケル・ウッドフォードその他多くの者が属する新ケインズ派による理論)は結局、自己言及的であり、せいぜい内省的な気晴らしにすぎなかった。研究を推し進める動機となったものは主に内的論理や intellectual sunk capital、確立した研究プログラムにおける魅力的な謎、等であって、経済の働きを真剣に究めたいという欲求ではなかった。ましてや、困難で金融上の不安定性を伴なう時期の経済の働きではまったくなかった。かくして、今回の金融危機が襲ったとき、経済学者らは不意をつかれたのであった。