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光圀がみつけたという「那須国造の碑」の中の『国』の文字

今朝BSで見たNHKの歴史秘話ヒストリアの再放送ですが、発見した水戸光圀がまつるために作った神社に今もあるという「那須国造の碑」に彫られた『国』の文字が、旧字ではなく、この文字でした。 発見当時から千年ほど前のものだと言っていましたが、この字は古代中国のころからあったのかなあと気になりました。 漠然とですが、国という字の形は、戦後、旧字からの一斉転換の時からのものかと思っていたので、ご存知の方教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

那須国造の碑の国の字は、この字ではなく、口構えの中が玉ではなく王になっています。もう一度確認してみてください。 國が正字であることは言うまでもありませんが、口構えの中に王の字が國の俗字として古くから通用していたのです。

sasai
質問者

お礼

ありがとうございます。 「口構えの中に王の字が國の俗字として古くから通用・・」とは、とても嬉しい情報です。 一日の胸のつかえがおりました。 知らないことばかりで、調べる方法にも疎くて、ここでこうして教えていただけることに感謝多謝です。 今後ともどうぞよろしくお願いします。

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  • yanhua
  • ベストアンサー率72% (508/701)
回答No.5

念のために、漢字の素性確認の権威『康煕字典』に当たりました。  "くにがまえ+王" 典拠『正字通』、國の俗字。とあります。   ということは、『正字通』=明代後期成立=日本の戦国時代のどこか?ですから、  "くにがまえ+王" はその頃には充分定着していたことは確かでしょう。  もっとも、『正字通』は『説文解字』(紀元100年/永元12年成立)において  正字とされている文字を取り上げるとの方針だったそうですので、  "くにがまえ+王"はその頃、漢の時代には既にあったかもしれませんね。  『説文解字』に直接当たってみてください。   一方で気になるのが、"国(くにがまえ+玉)"、  『康煕字典』に見つからない・・・検索で出ない、一覧を見ても見当たらない。  中国簡体字には有る。台灣繁体字には無い。 ⇒いつごろどのような経緯で登場したものか?  一説には日本の国字との話も有る。  答えはここでした、素性は怪しげですが古くからありました。   http://homepage2.nifty.com/TAB01645/ohara/p03.htm#b031 参考: 康熙字典(こうきじてん、Kāngxī Zìdiǎn) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%B7%E7%86%99%E5%AD%97%E5%85%B8 正字通(せいじつう) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%AD%97%E9%80%9A 説文解字(せつもんかいじ ピンイン:Shuōwén Jiězì) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AC%E6%96%87%E8%A7%A3%E5%AD%97

sasai
質問者

お礼

ご親切にたくさん調べていただきありがとうございます。 国(くにがまえ+玉)の玉って漢字の成り立ちとしてどういう意味だろうと思っていたところでした。 王ならそのままでよく分かりますが。

回答No.4

 そうです。玉でなく王。  領地の中に王がいる字は昔もあったようですね。  漢字の国は結構たくさんありますが、どんどん漢字をつくってしまうらしいですよ。

回答No.3

 中国の女帝で即天武という皇帝がおられましたね。  この方、いろんな文字を出してくれましたが、今普段私たちが目に出来るのはこの光圀のくにだけのようですね。  http://homepage1.nifty.com/~petronius/kana/sokutenmozi.html  

sasai
質問者

お礼

ありがとうございます。 参考ホームページも感謝します。 私の質問文が誤解を招いたようで申し訳ありませんでした。 私の疑問に「圀のくに」は全く無関係だったのですが。 「国造の碑」の国の文字が「國」でないのはどういうことでしょうか、「国」が戦後の文字だと思っていたのは私の勘違いで、大昔からあったのですか・・との趣旨でした。 それに対して2番目の方が正解をお答えくださっています。

  • tanuchi
  • ベストアンサー率16% (210/1238)
回答No.1

国は元々この形でしょう。 みつくにのくには中国の誰だったか女皇帝が様々な規則を創った時に作られた字でしょう。 TVでそんな話をやっていた。

sasai
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 私の疑問は、千年も前の石碑に彫られた文字が、国構えの中が「或」の字になっている旧字でなく『国』なのは?ということでした。 「みつくにのくに」は無関係です。 『国』の文字は「国構えの中が『或』の字」と共に、両方とも大昔から存在したのでしょうか、そういうことを知りたかったのです。 どうぞよろしくお願いします。

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