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◆昭和天皇の優柔不断さが、・・・・

◆私は、昭和天皇の優柔不断さが、日本を太平洋戦争に突入させ、 日本を 有史以来の国難 に陥れましたと、思っています。 コレっておかしいですか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • moritan2
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回答No.14

> 田中首相が辞職するほど一言に影響があるのだから、 > やっぱり、昭和天皇の優柔不断さが、日本を太平洋戦争に突入させたと思えますが・・・。 昭和天皇の言葉は確かに田中義一内閣を総辞職に追いこめる力があったのは確かですが、当時の元老の西園寺公望からそのような事は、立憲君主の立場からすればふさわしくないとして、強く諫言を受けています。 昭和天皇は生まれながら天皇が約束されていた人であり、特に優れた能力があったために天皇になったわけではないのですから、天皇といえども立憲君主としての立場を貫くべき、という西園寺公望の考え方は当然であり、昭和天皇がそれに従ったのも当然でしょう。 このような事情を考えると昭和天皇が政府に対して意見を表明することを自ら封印してしまったのは止むを得ないと思います。開戦の決定は一応は御前会議にかけられましたが、立憲君主では「四方の海、みなはらからと、思う世に、など波風の、立ちさはぐらむ」と歌を詠むことくらいしかできませんでした。

kame100
質問者

お礼

歴史の勉強をかなりしている方と思われますが、 悪くすると日本が朝鮮半島のように分断していたかもしれなかった、 国難の時に、歌は読めても意見は言えない。 そんな時に、何を悠長なことを・・・と思います。 戦争しようとするときに、体を張ってでも止める。 どこの条文がどうのこうの、という話とは思いませんが、いかがでしょうか。 私的には、三権を掌握してたんで、当然、責任はあると思っているんですが・・・。 単純ですか。  でも、レンガを積み上げていくように理論を積んでも、離れてみると曲がることもあるように、 世の中、単純が正しいこともあるように思います。    従って、昭和天皇は、責任の取り方でも、戦争突入時と同様、優柔不断 と思っているんですが・・・。

その他の回答 (22)

回答No.23

昭和天皇は開戦時に天皇であることを拒否できなかった。戦争が負けるか勝つかわからないときに、「私はよくわからないし、あとで責任とらされるのはいやだから天皇を辞任します。」とは言えなかった。対して、大臣や軍人は「戦争に負けたら処罰されるかも」と思えば、辞任できなくもない。たまたま、開戦時、天皇だったというだけで非難するのは間違っていると思います。歴史を知っている我々だから太平洋戦争が散々たる結果になることを知っていますが、当時の日本人の誰もが、負けると思って戦争していないと思います。勝敗の予想ができなかったから優柔不断というのは酷だと思います。また、戦争責任というのは日本が戦争に負けたからであって、戦争に勝った米・英・仏もどれほど世界中に植民地をもっていたことか。そろそろ戦争責任という議論を止めるべきだと思います。それより、今失業者が増えて、若者の中には「戦争してもいいから景気回復してくれ」と思っている人が多いのではないかと思います。証拠に、社民党や共産党が「9条守れ」と訴えても、ほとんどの人には上の空です。日本人はまじめに、「世界とともに反映する日本の理想的な姿とは」という問題に対して、真剣に考えるときでないでしょうか。ちなみに私は右翼でも左翼でもありません。A級戦犯を含め、個人攻撃で将来平和はもたらされないと思っているだけです。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.22

No.20です。 <天皇機関説と云われても・・・ちょっとついていけません。>    天皇は、日本政府の統治機関の一部であって、「個人としての人格・意思を持った君主」として存在しているのではなく、日本国民の意思の総体を実行する機関(=機関自体に意思はない)であるとの説です。

  • izayoi814
  • ベストアンサー率33% (68/205)
回答No.21

昭和天皇は優柔不断だったのではなくて、本当の意味での決定権を持っていない最高権力者だったのです。 本当は開戦をとても嫌がっていたようです。 けれど、帝王学を教育されているので、自分自身の考えや感情を表に出す事が出来ませんでした。 開戦の本当の原因は、陸軍の暴走と、アメリカから突きつけられた「ハル ノート」と言う日本にはとても不利な条件だったようです。 海軍も閣僚達も反対をしたのですが、陸軍の力が強くなり、内閣も半ば陸軍に占領され、最終的には反対勢力も押し切られて開戦となりました。 敗戦後、天皇は「自分はどうなってもいいから、国民を助けてくれ」と頼んだそうです。 マッカーサーは男気のある人物だったので、その姿に打たれて戦犯にしなかったと聞いています。 国民が天皇を神のように崇めていたのは、明治以降の政府と軍部の仕業です。 また、病弱だった父の大正天皇の摂政を若い頃から務めていたので、物事はきちんと判断できる方だったと思います。 以上は、最近ちょっと調べたりして得た知識なので、変なところがあったら他の回答者の方、突っ込んで下さい。(笑)

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.20

 天皇機関説 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%AA%AC  抜粋 <昭和天皇自身は機関説には賛成で、美濃部の排撃で学問の自由が侵害されることを憂いていた。国体明徴声明に対しては軍部に不信感を持ち「安心が出來ぬと云ふ事になる」と言っていた(『本庄繁日記』)。また鈴木貫太郎侍従長には「主權が君主にあるか國家にあるかといふことを論ずるならばまだ事が判ってゐるけれども、ただ機關説がよいとか惡いとかいふ論議をすることは頗る無茶な話である。君主主權説は、自分からいへば寧ろそれよりも國家主權の方がよいと思ふが、一體日本のやうな君國同一の國ならばどうでもよいぢやないか。……美濃部のことをかれこれ言ふけれども、美濃部は決して不忠なのでないと自分は思ふ。今日、美濃部ほどの人が一體何人日本にをるか。ああいふ學者を葬ることは頗る惜しいもんだ」と話している(『西園寺公と政局』)。>  当時の日本国民と違って、帝王学として西欧政治についての、相当にリベラルな教育を受けていた面があります。

kame100
質問者

お礼

皆さんから、沢山のお便り頂いて有難うございます。 ◆色々教えて頂いている内に、色んな状況が分かりだしました。 日本史は中学までで特に勉強もしてないので、 天皇機関説と云われても・・・ちょっとついていけません。また後で見ます。 ◆私にとっては、“天皇陛下バンザイ”や小学校の講堂の正面に、 天皇陛下の写真を飾る場所を設置されていたことから考えて、 昭和天皇は国民にとって、今の北朝鮮の 金正日 の様な神様であり 絶対的な権力を与えられていたタタのオッサンではないでしょうか。。 ◆昭和天皇はただのオッサン。 シアヌーク殿下の足元にも及ばない。 これって的外れかな。でも、当たらずとも遠からずだよネ。 ◆三権を掌握し、統帥権を持った人がどのようにしたら国の方向を変えられるのかは、 北朝鮮の 金正日 に聞いてみるのがいいのではないですか。 キム・ジョンナムでは、国は持たないのでしょう。 ◆今日は、秋作の準備、じゃが芋の畝立しなくちゃ。 その後は中国株、今日は期待できるぞ、カンバレ 914。 ◆生活第一、では、ちょっと失礼。  

回答No.19

おかしいかどうか よく分かりません 質問者に聞いてみたい 昭和天皇の優柔不断さが、日本を太平洋戦争に突入させたと言うことですが 具体的にどういうことでしょうか? 昭和天皇が戦争に突入させたと 原因が解っているなら どうすれば 太平洋戦争に突入しなくてすんだのか? 昭和天皇だけが 戦争回避出来たのか? 昭和天皇だけで 戦争回避出来たのか? どう考えられてるのでしょうか?

回答No.18

結論から言いますと、おかしいと思います。 蘇我氏のはびこった時代以降、天皇の権限は今も昔も事実上『象徴』以上のものはありません。 今も一応、天皇の名の下に衆議院が解散されて選挙の真っ最中ですが、天皇には何の意見を言う『権利』がないのと同様に、開戦・終戦の詔勅が天皇の名の下に出された以外、昭和天皇は関りを持っていません。 今までのご回答にもありますが、『四方の海…』を御前会議で持ち出された事すら、当時でさえ事実上『天皇の権能を越えた行為』であったのです。 例え、昭和天皇が御前会議で反対されようとも、当時の政府・軍部は何としてでも日本を開戦に導いた事でしょう。 実際に、昭和天皇が開戦に消極的(反対する意見を持っている)と言うだけで、秩父宮擁立(天皇の挿げ替え)を企てる者すらあったのですから。 それでもなお、昭和天皇は自らの責任の重さを痛感されて、戦後は自分の生命・皇室の全財産を擲ってでも国民に食料を、とマッカーサー司令官にかけあい、その姿にマッカーサーは心動かされて昭和天皇を『戦犯』から除外したのです。 全国へのご巡幸は、国民への贖罪の意味も込められていたのはご承知の通りと思います。 それでもなお、戦争を阻止できなかった『優柔不断』者だと断じるのは余りにも酷ではないでしょうか?

kame100
質問者

お礼

お便り、ありがとうございます。 私的には NO16 の意見に概ね賛成できます。  あなたも同じかな。 ◆昭和天皇は、三権をと統帥権を持った、ただのオッサン。 どんな犯罪者でも少しは同情すべき、生い立ち・病気・不慮も事故とかの気の毒な面ががある。 情状ばかり強調されてもネ。 天皇はこんな良いことを考えてました。 そんなことは学校内での話。社会に出たら、行ったことを評価するじゃないですか。 酷だと云う前に、何百万の死者・被爆者等に被害・失った財産の程度を か考えてみよう。  再掲で申し訳ないが ◆昔、むかし、戦争がありました。 この戦争では、原爆の投下を招き、数百万?の死者と国土は焦土となりました。 この時、三権を有する昭和天皇は、国政に何ら影響を及ぼすことなく、和歌を歌われ、 立憲君主制の執るべき、立派な態度でした。   ◆杓子定規の考え方も、時と場合とは 考えないのでしょうか。

回答No.17

個人的にはおかしいとは思いません。 むしろ何らの戦争責任を取らず、ぬくぬくと生き延びたと理解しています。 歴史論争で云々と言われてますが、真相は「お飾りだったので 責任を取る必要がなかった」ということですよね? ならば、そんなお飾りを許容し続けてきた国民自体が愚鈍と言う以外にないですね。 それこそ学習することなく、そういう制度(天皇制)をいまだに存続させ 受け入れてる国民の民度をこそ嘆き哀しむべきです。

  • moritan2
  • ベストアンサー率25% (168/670)
回答No.16

杉原千畝は歴史に名前を残す偉い人の中に入ると思います。 残念ながら昭和天皇はそうではなかったということです。単に天皇家の長男として生まれただけの人です。ただ言われた事には素直に従う人だったように思えます。よくも悪くも自分の立場を理解してそれを無難に演じることができる人だったと思います。マッカーサーとの会見でも上手に自分の立場を演じました。 日本の外交官にも普通の外交官も当然いて、本国の命令を黙々とこなしただけ人間もいるでしょう。だからと言って彼らに罪があるとは言えないと思います。 私見になりますが、日本を太平洋戦争に突入させたのは、だれが最高責任者かがはっきりしない集団的意思決定システムだったと思っています。日本は信長が殺されたように昔から一人に権力が集中するのを嫌い、集団で意思決定をします。そのために、だれに責任があるのかがはっきりしません。そして、集団の意思がある一つの方向に向かうと、それに逆らうことが悪いことになってしまいます。集団の意思が開戦に傾いてしまったら、昭和天皇にはそれを食い止めることは無理だったでしょう。

kame100
質問者

お礼

◎ この度は、深夜にも拘わりませず、不勉強な田舎のオッサンに色々ご教示いただき有難うございました。  お礼とは云っては何ですが、ここだけの話、中国株、かなり回復しましたが、 まだまだ6合目、興味がありましたらどうぞ。お勧めは、UW証券。為替・手数料とも有利。 私は、昭和天皇のがただの人いうことも、田中首相にいたっては居たことさえ知りませんでした。 多分あなたの説明が、通説であると思います。 しかし、御前会議で最も影響力のある人・大勢を左右できる発言力のある人は、 その意思があれば昭和天皇だと、今でも思っています。 以下独り言、 自分の名前で他国と戦争しようとする会議で、制度上発言権が無かったとしても、 40才位にもなっていれば、自分の考えを反映させようとするのは当然のこと。それさえしなかったとは・・・。 昭和天皇は、その時、影響を何ら及ぼさなく聞いているだけの様な態度のただの人か、それ以下の人だったとは、 それが、象徴だなんて・・・。 戦後の教育では習わなかった。 多分、象徴として祭り上げられ、取り巻きがボロを出さないように、していたのでないかとさえ思える。 そんなに考えると、歌会始の歌だって 自分で作っているかどうか疑わしいぞ。 添削、添削で、元とは 全然無くなってしていたりして・・・・、

  • moritan2
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回答No.15

> 悪くすると日本が朝鮮半島のように分断していたかもしれなかった、 > 国難の時に、歌は読めても意見は言えない。 > そんな時に、何を悠長なことを・・・と思います。 No.14で書きました通り昭和天皇は生まれながらに天皇の地位が約束されていたのであって、特別な能力があって天皇になったわけではありません。そんな人が政治に口出しをして影響力を与える方がはるかに恐ろしいと思います。 西園寺公望は天皇が立憲君主の立場を超えて政治に口出しをするなど以ての外と思ったから昭和天皇に諫言したし、昭和天皇も西園寺公望の言い分が正しいと思ったからそれに従いました。 ですから、昭和天皇が開戦を決定した御前会議で歌を詠むことに留めたのは立憲君主として正しい態度です。

kame100
質問者

お礼

歴史の勉強してないのに、先生に意見を云うのは心苦しいですが一言。 話は変わるが 戦時中に、ご存じと思いますが、リトアニアに杉原千畝とか言った外交官がいた。 多分、本国の命令に反し、ユダヤ人にパスポートを数千 発行したことがあったように聞きました。 この時、本国の命令に従いパスポートを発行しなければ、 あなた的な考えでは、正しい行動だと賛辞を送るのでしょうか。 そうは思わないですよネ。 これと同様、正義のない全面戦争に、多数の被害が予想される戦争に 、向かおうとするとき、 天皇陛下は御前会議は出席しないとか、方法はあったのではないか。 この戦争の被害以上の、介入することの悪い影響とは何のことでしょうか。 昔、戦争がありました。 この戦争では、原爆の投下を招き、数百万?の死者と国土は焦土となりました。 この時、昭和天皇は、国政に何ら影響を及ぼすことなく、和歌を歌われ、 立憲君主制の執るべき、立派な態度でした。  めでたし、めでたし 杓子定規の考えも、時と場合とは 考えないでしょうか。

  • hiroi
  • ベストアンサー率22% (14/61)
回答No.13

簡単に言えばおかしいというこです。 まあ、これを簡単に述べることは出来ないのでまずは歴史を勉強するしかないですね。ですから結論から言えば、昭和天皇は戦争責任はありません。

kame100
質問者

お礼

自慢ではないが、歴史は中学以来勉強していません。 なので分からなくて、聞いているんですが・・・。 私的には、三権を掌握してたんで、当然、責任はあると思っているんですが・・・。 単純ですか。  でも、レンガを積み上げていくように理論を積んでも、離れてみると曲がることもあるように、 世の中、単純が正しいこともあるように思います。    先の大戦以上の日本の、≪国 難≫を、私は知りません。 この ≪国 難≫ を招いた責任を 三権を掌握 人が言い逃れするのが、分からないんですが・・・。  従って、昭和天皇は、責任の取り方でも、戦争突入時と同様、優柔不断 と云いたい。 勉強しろと云わずに、また、教えてくださいネ。

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