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母が末期癌と言われました(かなり長文)

母(61)は半年ほど前から、疲れると下腹部につるような痛みが出て、数時間横になって休むと治る、ということがありました 一月、韓国帰りに一週間寝込み内科で検査⇒七センチ程の腫瘍見つかる →紹介されたひとつ目の大病院で子宮の組織検査⇒陰性、しかし念のためにと次な病院を紹介され… →二つ目の大学病院で組織検査も⇒再び陰性 でした 細胞組織は何度調べても陰性だから、月一の通院・検査で経過を観察しましょう、と言われたのが4月です 5月の検査で、腫瘍が三センチ以上大きくなっていました 不審に思った医者に言われ、6月にPET検査をしました⇒子宮が赤く染まりました そこで、緊急入院・緊急手術となったわけですが 手術直前の医者の見解は「悪性だがどれほど進んでいるから手術してみないとわからない。PETで赤いのは子宮の一部と卵管の一部。子宮と卵管全摘出で済むと診ているが、リンパを取る必要があるとなればリンパも取ります。おそらく子宮…カンシツ肉腫のlow(弱)グレイド」という説明でした ところがお腹を開いて見たら、予想以上に酷く、手術後の医者の説明はこうでした(覚えている限りです) 「゛リンパを摘出したところで今更間に合わない”ためリンパは取らなかった 他の複数臓器にも、見た目でわかる悪性の肉腫(?)があったので、全部取った。範囲が広く、散らばっていて、手術に時間がかかった(予定時間の二倍で7時間かかりました)。癌のレベルで表すとレベル4のB。あと一年生きるとは言えなくて、半年以内になんらかの形で再発や発病してくる可能性が高い。見た目でわからない顕微鏡クラスの悪いものが残っているだろう。この肉腫の状態から考えられる病気はとても珍しいため、治療方が確立されていない。薬を飲んで効果が出たという事例もほとんどないが、何もしないで放っておくより、薬で治療を続けていこうと思う。……」 ようは余命半年、という意味に取れました、 私と兄と兄嫁で相談した結果は「本人には、余命のことは告げない」「見てわかる悪い部分は完璧に取ったけど、目に見えないものが残っている可能性があるから、予防も兼ねて薬を飲んで通院治療を続けるみたいだよ」とだけ伝えることとなりました 医者も「手術前からは予想も付かぬほど酷い状態で…」と目を潤ませながらの説明でしたが、私たち家族も予想外でかなりのショックですし、本人はもっともっとショックでしょう。本人は「手術すれば゛はい、おしまい” 」と思っているはずです 「゛病は気から”だし、落ち込ませたら治るものも治らなくなるから、余命とかは言わずに、軽い感じで話そう」と兄達は言うのです しかし私は、真実を告げた方が良いのではという思いを捨てられません 自分の生い先が短いという事実を受け入れるのは、かなり苦しいとは思うけど、知るからこそ、その短い命の間に悔いのないように生きることが出来ると思うし… 本人の性格を考慮して(落ち込み易いか、精神的に強いか)私たちが判断するしかないと思いますが、具体的にどういう傾向がある人間には話さない方が良いかも、話しても平気かも(平気な人間なんていないとは思うけど)とかわかる方いますか? また、あなたなら本人に伝えますか? 長文を読んでくださりありがとうございました

みんなの回答

  • awjhxe
  • ベストアンサー率28% (531/1888)
回答No.6

おか様が,強い性格なら,自分の命は納得して受け入れられる筈ですから, 私なら,自分の命の余命は知りたいと思います。

回答No.5

告知に反対です、身体が弱っているときに、癌で余命半年なんて言ったら、本人のストレスは大変なものです、これでnk細胞が減り癌が増長してしまいます、私の取引先で会社り身体検査で腫瘍があるので再検査と言われた人が、ストレスで一週間で死んでしまいました、極端ですが、本当の話です、体温を上げて免疫力を上げるには、自分で食事が出来ることが大事です、身体を動かさないで、体温を上げられれば、癌細胞の活動を阻止できます。探してください。

  • yama650
  • ベストアンサー率21% (3/14)
回答No.4

突然のあまりにも短い宣告さぞ混乱されていること思います。 私はお母様の年代です。身近にがんで死亡するものが多かったので どうするかはいつも考えて暮らしていますので告知はして欲しい者です。 でも、自分があと僅かとわかったときのストレスは想像を絶するモノと思います。 病院にいますと、まるでプライバシーが無いことが多いです。 我が親族も周りの人からの会話などで自分のおかれている状況を知ったようです。 お母様が疑問に思って落ち込んだ様子のとき、 あるいは本当のことを教えてと言い出したときに 余命6ヶ月などというのではなくもう少しお母様にあう言い回しで言ってあげる ようになさったらいかがでしょうか。 義母は義父に あなたが気が付いて入るとおりなのよとだけ言いました。 家族にだけ通じるいい言葉があるように思います。 同じような方を介護されて見送ったという本もたくさんありますので 参考になさってください。 お母様を一人ぼっちにしない環境が整えば、お母様の苦しみもまた違ったものに なるでしょう。 まずは娘さんであるあなたがゆったりとした笑顔で接してあげてください。 お大事になさってください。

  • U-HA
  • ベストアンサー率24% (51/212)
回答No.3

私達は父に告知しませんでした。 また、しなくてよかったと思っています。 父は自分の好き勝手に生きてきた人で、タバコを吸い酒も浴びる様に飲むくせに、健康には気を遣い早寝早起き、食事にも注意していました。 鼻っ柱は強いくせに、いざという時の度胸は母の方があったと思います。 だから父は「俺はがんかな?」と度々訊き、 家族が「胃潰瘍だよ」って答える言葉を聞いて安心していました。 2・3ヶ月という余命宣告を受けていたけれど、1月を待たずに急変。 そのまま帰らぬ人になってしまいました。 父は癌ではないと言われ安心しつつも、そうではないことを判っていたと思います。 そして、癌だと言って欲しくなかったんだと思います。 もし、私自身が末期だとしたら、告知も治療もいりません。 残された日々に、緩和ケアといつもの生活があればそれだけで満足です。

  • rokutaro36
  • ベストアンサー率55% (5458/9820)
回答No.2

私は、告知をするべきだと思いますが、同時に、精神的ケアをする体制を整えておくべきだとも思います。 日本では、サイコオンコロジーが遅れています。 http://www.jpos-society.org/ 遅れているからこそ、自分から動かなければなりません。 緩和ケア病棟の存在を知っておくことも重要です。 http://ganjoho.ncc.go.jp/pub/hosp_info/index_02.html 楽患ナースのような専門家に相談することも検討してください。 http://www.rnurse.jp/ ご参考になれば、幸いです。

回答No.1

自分も身内を癌で亡くしております。 参考になるかどうか分かりませんが、そのときの私のとった行動をお話させていただきたいと思います。 最初に申し上げておきますと、「本人に告知して良かった」と思っています。 病気の症状等省きますが、あまり自覚症状の無い状態で余命半年と宣言されました。 そして即、本人に告知したわけですが、手術して病気と闘うかそれとも痛みを和らげながら 手術をせずに過ごすかは本人の意思ですから、そこは本人に問いました。 結果、本人の意思で後者を選ぶことになりました。 入院はせず、通院がメインの治療でしたが、通院以外の時間に何を していたかというと、本人は思いっきり遊んでいました。そして、私たち家族との思い出を半年間(実際は5ヶ月)の間に たくさん作り、亡くなりました。 決して裕福な家庭ではないですが、がんの診断時に前払いで給付金が出る タイプの保険が下り、そのお金で亡くなるまでの間に日本中のいろんなところに旅行に行きました。 かなり特殊な例かもしれませんが、癌患者とは思えないくらいアグレッシブ に行動し、痛みが無い日は毎日笑ってすごしていました。 >自分の生い先が短いという事実を受け入れるのは、かなり苦しいとは思うけど、知るからこそ、その短い命の間に悔いのないように生きることが出来ると思うし… これを決断するのは非常に勇気がいると思いますが、自分は、本人・家族 全員が受け入れたことで、本当に良かったと思っています。

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