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生きているのがつらいです。誰か希望の光をください。
仕事の悪夢を見て目が覚めた。休職していても仕事のことが頭から離れない。 正直もう駄目だ。頭野中をグルグル回っていることを吐かせてください。 自分スペックは24歳男。入社3年目。 病気になってから休職するまでの経緯を書く。 昨年の終わりごろ3ヶ月間、中国に出張をしていた。大企業なのに中国語の語学研修や 安全知識などの説明も無く、海外の生産現場に放り込まれた。日本人駐在員が三人いたが、生産部門なので体育会系。 言葉が分からず自分で買った中国語の本を片手に中国人と仕事するも、思うように指示どころか簡単なホウレンソウも思うように行かない。 トラブルに巻き込まれるも、日本人駐在員は助けてくれるどころか生産現場で俺を怒鳴り散らす。もちろん、まわりに中国人がたくさんいて、皆俺のことをみて笑われている気さえ思えた。 おまけに、休日は日本出張者の接待をさせられた。自分も出張者でまだ中国に来て1ヶ月も経ってないのに、観光案内をしろという。バスの時間になったら、出張者の部屋まで向かいに行き、 一日のスケジュールを組んでいざ町へ。観光スポット、料理屋、デパート連れて行ったが、段取りが悪いとか飯がまずいとか文句ばかり言う。 帰国後、直ぐに病院に駆け込んだら、うつ病と診断されたが休職する勇気が無く。今年の5月ごろまで、通院しながら働いた。 とうとう我慢の限界に来た。 お酒と薬をたくさん飲んで、3階の独身寮から飛び降り自殺をしようと思ったが、飛び降りる勇気が出ず窓の近くで倒れた。翌日、出勤時間になっても来ないんで心配になった同僚が俺の部屋まで来て、倒れている俺を発見し救急車で病院送りに。 退院後、人事部に呼び出されて、人事部の次長に事情を聞かれ、休職して自宅療養するように言われた。復職の条件は薬が完全に取れて、復職の診断書が出ること。 会社の独身寮で自殺未遂をしたのを重く見ていると思う。 とりあえず、全部吐き出した。最長で一年間休職できるらしいが、正直死んで楽になりたい。 誰か希望の光をください助けてください。お願いします。
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薬を飲んで、よくなるのが先決ですね 人生のターニングポイントなんでしょう、今は 色々過去を振り返って、それから、未来の事を考えたらいいと思います まず、体をケアする事ですね、そう思いますが 会社のやり口は何処も同じ感じですよ、仕事に置いてはね
- pccrewe
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年は君の倍のおじさんです。 中国行ってたときが花だったと思います。 48歳になって、あの時もっと楽しんでおけばよかったのにって思うでしょう。 悲観的に考える癖がある間は、変わらないと思います。
そうかぁ。それは辛かったな。 とりあえず3年間は頑張ったんだから、 ぼちぼち退職を考えてもいいだろう。 そこまで追い詰められたんだったら、 辞めても誰も責める人はいないと思うよ。 一番最初に考えなければいけないことは、 世界平和でも会社の利益でもなく、 自分の健康や命のことだ。 とりあえず、1年間はなんだかんだとごまかしながら、 休職しつつ、資格をとるなり、勉強するなりして、 次の転職に備えるのがいいでしょう。 その前にしっかり休養をとって、 身体と心を休めることかな。 身体が追い詰められると心も追い詰められるというのは よくある話だから。 繰り返すが、会社のことなんてどうでもいいよ。 考えるのは自分の生活を守ることだけで、 多少のずるやいんちきは方便という。
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お礼
回答ありがとうございます。 もともと某掲示板に書き込もうとしていたので、めちゃくちゃな文章になってしまいました。 ですが、今日はなんとかパソコンに向かうことができました。 会社のことは正直忘れたいのですが、人事担当者との電話を毎週するように義務付けられていました。 おかげで、2ヶ月間休職してもまったく生きる気力がわきませんでした。 最近は、1ヶ月に電話するように言われていまして、薬とカウンセリングの治療のおかげで、 ほんの少し希望の光が見えたのですが、会社から人事異動の手紙が届きました。 まったく部署の名前から畑違いの職場のようで、正直何をするのか、どういう人がいるのかも分かりません。 正直、生きるのに疲れました。 本当に疲れました。 回復するのに時間が掛かりそうな気がしてなりません。
補足
確かにこの3年間は無理をしていたと思っています。 もう少し経緯を書きたいと思います。 入社1年目 製品開発部門に配属されるはずが、なぜか生産部門に配属されました。 入社試験面接3回で、互いに分かり合えたと思っていたのですが、入社式直後に見事に振られました。 配属後6ヶ月間の現場研修をしたのですが、元々研究技術職で入社したので、工作機械の知識や技能が殆どありませんでした。 現場で工作機械の操作をさせられるも、技能経験が無い為、思うように操作できず、怪我をなんどもしそうになりました。 現場の職人たちは、大学で何をしてきたんだ、遊んでいるばかりいたんだろ?旋盤もまともに扱えないのかと怒鳴られてしまいました。 私生活面では、個室に入る予定でしたが、独身寮の個室が空いていないと言われ、2Kの部屋で共同生活をしました。 相手は年齢30歳の人で、正直ウマが合いませんでした。ふすま一枚の仕切りでしたので、音という音がすべて聞こえて不眠症になりました。 寮を出ようと試みましたが、会社と寮は信州の標高800mの山奥にあり、まわりには何も無いところです。 車が無いと生活することができないのですが、なぜか海外出張をしてから海外駐在を命じられていたので、車の購入許可が下りませんでした。 車を買うのに上司の許可がないといけないのもおかしな話ですが、課長と部長から言われたのは正直ショックでした。 移動手段がまったく無いので、平日はまったくどこにも行くことができず、職場と共同部屋との往復だけをするはめになりました。 禁固刑で共同の牢屋に放り込まれた気分でした。 タクシーを利用して町に出ると、往復7000円も掛かってしまったので、ストレス解消がまったくできませんでした。 つづきはまた後で書きます。