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音楽家から観たピアソラの魅力
私は、音楽について職業などの特別な関わりと知識を持たない、ただの音楽好きな人間であることをお断りの上で、質問をさせていただきたいと思います。 「リベルタンゴ」に代表されるピアソラの音楽については、前衛的なタンゴと言われています。 私には、彼のタンゴには、クラシック・タンゴとは違い、私がタンゴの核心であると考えるところの、「秘めた思い、男と女の駆け引き、性的な魅力、哀愁、抑制とほとばしる情熱」といったものが全く感じられないんです。 彼の音楽はあくまでも技巧を楽しむための曲であって、タンゴの様式を借りたピアソラ独自の音楽であり、従ってタンゴでは無く、全く別のものに感じられます。 そこで、音楽を生業とする方々や、特に趣味としてタンゴをお好きな方々にお尋ねしたいのです。 私のような特別に音楽とは強い繋がりを持たない者とは違う立場から、ピアソラの音楽は、本当に多くの音楽家、あるいはタンゴの愛好家からタンゴとして認められたうえで、高い評価を受けているのでしょうか。 高いあるいは低いという評価と、その理由を教えて頂けませんか。 こういう質問は、もしかして獏として答えをするには困難なのかもしれませんが、素人の私にとっては、大きな大きな「素朴な疑問」です。 なお、これはアンケートではないので、音楽の素人である質問者の無知や誤解を正すという趣旨で、遠慮なくピアソラの音楽性を教えて頂きたいと思います。 宜しくお願いいたします。
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- isoiso0423
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わ~っ、返信にたくさん書いてくださり恐縮です。 ミッチーにトムジョーンズにと、音楽のハバがめちゃ広いですねー。ボクもバッハは好きです。BWVの639番とか。これも映画の影響ですけど、三味線のバッハとか尺八バッハとかシンセのバッハとか、なんでも受け入れます。まあ、もっとも好きなのはイタリアのエンニオ・モリコーネなんですけどね。 ピアソラの著書までは読んだことがないのですが、ピアソラと同年92年になくなったフォルクローレのギタリスト、アタウアルパ・ユパンキを敬愛していたそうで、「ユパンキがたったふたつの音を弾くだけで、もうすべてがある。あんな風には誰も弾けない。音の多さなんか音楽には関係ない」という言葉を残しています。 先に挙げたバカロフもシフリンもピアソラも、より自分の音楽を磨くために、いろんなジャンルに挑戦し、そのジャンルのアーチストたちと盛んに共演しています。 こういう進歩的な姿勢が、タンゴならタンゴの保守層には気に入らないんでしょうね。 また海外で脚光を浴び称賛を得たことも、アルゼンチンで伝統を守ってやっている人にはあまり好ましい事じゃなかった、まあやっかみを持たれてしまったと思います。 ピアソラが途中クラッシック系の音楽を目指しながら、最終的にはまた”自身ならではのタンゴ”の世界に戻ってくるわけですが、これはユパンキに捧げた言葉の中の、”音の多さなんか音楽には関係ない”ということに関係してくるのではないかと思います。 「第三の男」の音楽で有名なツィター奏者のアントン・カラスも、人気が出て伝統的な曲以外の曲をいろいろと演奏し、世界的にも有名になってしまったもんだから、地元オーストリアの同業者や保守層にはさんざんな目にあったと聞きます。 ちょっと話がそれましたが、より進歩的、より革新的な人は、伝統を重んじる世界のなかでは、なかなか認めてもらえないってことなんでしょうね。 でも新聞の訃報の記事には、ブエノスアイレスの地元では国葬に近いような葬儀、とあったような気がします。 タンゴ界は無視でも音楽を愛する国民にはその枠を超えて、人気があったんだと思います。
- isoiso0423
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音楽家でもないし、タンゴについても詳しくはありませんが、ピアソラはわりと好きなので、ちょっと書きこみしたくなりました。 音楽家からの評価はすごく高いんじゃないでしょうか。ヨーヨーマをはじめいろんなアーチストがピアソラ作品を取り上げていますし。 タンゴ界での評価ですが、バンドネオンという楽器やピアソラの音楽の出発点から、タンゴというジャンルわけにされているだけのような気がします。リベルタンゴという曲、それ自体がリベルタ(自由)とタンゴの組み合わせの造語で、タンゴから出発したけど、形式にとらわれないもっと自由な自分なりの音楽(ただ一般にはタンゴというジャンルわけにされてしまうけど)を表現したかったんだと思います。 タンゴの核心においては、取り上げているテーマにあまり恋愛をモチーフにしたものがないので、男女の駆け引きとか情熱といったものが感じられにくい、そんな気がします。 ピアソラは映画音楽もけっこうやっていることをご存じだと思いますが、そのなかに「ローマに散る」という作品があります。実はもともとこの映画のために書いたものではなく、マーロンブランドが主演し年齢差のある男女の行きずり的な性愛を描いた「ラストタンゴインパリ」のための曲で(依頼を受けたものの途中、病気になってしまい降板したそうです)、そのために書いた、jeanne y paulなどの楽曲は、男と女の心と肉体が接近するときの機微や、その結果もたらされる絶望感とか、哀愁などを感じられます(ただボクがこの映画の内容を知って聴いているからかもしれませんけど)。 アルゼンチン生まれでピアソラ世代の有名な音楽家だとラロ・シフリン、ルイス・エンリケス・バカロフといった人たちがいますが、どちらもバンドネオン奏者でもなく、活躍の場が主にジャズや映画音楽だったので、タンゴ界の人間とは区別されています。これがタンゴから初めてバンドネオンをやってという、ピアソラと同じような経緯を持っていたら、タンゴ界の異端児になっていたのでは?という気がします。 どっちもタンゴに関連したアルバムを出してますけど、ピアソラとは逆にタンゴのジャンルにされていないようです。ちょっと皮肉な感じがしますが、”アルゼンチンのタンゴ界”が異端的な改革者を認めない、という風潮があるのかもしれません。 下記でjeanne y paulを少し聴けます。7曲目。 http://www.camoriginalsoundtracks.com/site/index.php?site=ost&path=cd&idcd=167&label=CAM&alpha=A
お礼
早速の回答にお礼を申します。 彼の存在について、「”アルゼンチンのタンゴ界”が異端的な改革者を認めない、という風潮があるのかもしれません。」ということですが、wikipediaでは、彼はかなり強く非難を受けたとの記事がありました。 その非難の内容が分からないので、アルゼンチン・タンゴ界の主張の当否をここでは考えることが出来ませんが、もし、ピアソラが何らかの主張をもって、タンゴ演奏の立場から出発したのであれば、反発はかなり激しいものがあった、と推測するには難しくは無いでしょうね。 保守対改革という分かりやすい類型化した考え方が、この場合に適切なものかどうか、から考える必要があれば、どうなんでしょう、ピアソラは、タンゴという音楽を改革したかったのでしょうか。 それとも、もしかしたら、彼は、それがタンゴと言われようと言われまいと、単に彼流の音楽を創造したかっただけなのかも知れません。 生前のピアソラに、訊いて見たかったですね。 ただ、私の感性は彼の音楽をタンゴとは認識していません。 それは、「ピアソラの世界」としか言いようが無いんです。 なぜなら、ここがクラシック・アルゼンチンタンゴの最大の要点と思う所の、「官能的な同調」が彼の音からは感じないんです。 彼の音だと、体の中から燃えてこないんです(笑)、反対に冷めてしまうんですよね。 参考に、私はこんな音が好きなんです、極々一部ですけど。 R・ストーンズ、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ、J・S・バッハ、バッハの演奏でチェンバロ演奏者グスタフ・レオンハルト、ベルリン・フィルではなくてウィーン・フィル、ペギー・リー、トム・ジョーンズ、三橋美智也、井上陽水、・・・・(笑)。
お礼
私がこの質問を立てたのは、正直なところ、彼の人気度の実像を知りたかったのが動機です。 プロの音楽家たち、巷のタンゴ愛好家たち、大衆がどれ程彼を支持したのか。 もしかして、彼のCDを売り込む先の市場開拓の戦術として、ヨーヨー・マを使いCMでTV。 過大に彼の前衛的音楽性を強調して、「ピアソラを知らない?教養がないなぁ!」とばかりに強迫観念を植え付ける。 そんな印象を受けたのが、動機でした。