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薬を飲まないとパニック発作がおき、常に離人感があります。どうすればよいでしょうか?
24歳の男です。常に精神安定剤を持っています。 「セエルカム」、「ベゲタミン」、「リスパダール」の3つです。 精神安定剤らしいですが飲みすぎると依存するみたいです。でも飲まないとパニック発作がおき、過呼吸になります。そのため常に紙袋のようなものを持ち歩いています。とてもつらいです。 3つのクリニックで専門医に相談し、メンタルケアをしかなりの金額を支払いましたが全然治りそうにありません。最近は外にでるのも怖くなってきました。 1年間海外で暮らしていました。2ヶ月ほど日本に帰り今はまた海外で生活しています。このような症状がでたのは日本へ帰ってから2~3日経ってからです。専門家の人は環境が変わったせいでストレスが溜まったんじゃないかとかいろいろな理由をつけてきましたがみんな同じような事をいいます。そしてお金だけ高いです。日本に帰ったとき内科、脳外科、耳鼻科、眼科、考えられる病院すべてに行きました、尿検査や血液、レントゲン ~ 結果は「かなり健康」でした。 パニック症については全くわかりません。なにが怖くて呼吸が苦しくなるのか、そして自分は本当にパニック症なのかそれすらもわかりません。急な不安感、恐怖感に襲われ呼吸ができなくなりまわりの景色が一変し、死ぬんではないかと思うぐらいの発作です。専門医はなにもいいませんでした。「気をしっかりもて」とかです。そしてパニックになったら横になってビニール袋を使って応急処置しなさいとかです。 つい最近までは友達とダンスの練習してたりフィットネスクラブに行ったりしてましたが、今では走ることもできません。走ると目の焦点があわなくなり立てなくなります。たった2~3ヶ月で人間こんなに変わるんでしょうか? 昔のようにみんなと遊びたいです。 どうすればようでしょうか?これは一体なにが原因でしょうか? わかる方や経験ある方少しでも情報をいただけると嬉しいです。
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- tumaritou1
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神経症が完治した経験から貴方に書いてみますが、今の貴方には私の言う事が、にわかには信じられないと思います。ですが私の言う事は事実です。今は分からないかも知れませんが、何時か分かる日が来ると思い書いてみます。そうして私の言う事が分かった時に貴方はパニック障害から離れられると思います。 神経症とは様々な症状が在りますが、その症状を起こしている原因は一つです。それは人間の脳の機能に関係をしています。自我意識は左脳にある意識の事です。ところが人間には動物としての生きてゆくための機能が備わっています。その機能は命を守ってゆくという使命があります。それは言い方を変えたなら命の働きという風に言った方が善いかもしれません。その働きにも「心」があります。それはお釈迦様が言った「仏性」というものと思われます。 神経症といっても、悩みといっても、自律神経失調症と言っても、精神疾患といってもすべての基は今言ったことから引き起こされています。今の精神科医では今言った事には触れようとはしない人が多数といった現状があります。自分で神経症が治って29年の経験から言って今の神経症に対する社会の仕組みや、理解の足りなさは30年前より悪くなっている気がいたします。 神経症の完全解決をお望みならば、神経症を学ぶ以外にはありません、神経症を治したいと思っているならば、「症状」の事は治らないという覚悟が必要です、なぜならば症状は治らないからです。悪くないところを直そうとしている事が「症状」を作って、そうして固定していると言う現実になっているからです。 人間の自我意識が辛い思いを抱いて生きていると言う現実がありますが、これは自分自身に対する無知から来ています。自分の心が自分の自我意識を圧迫をしていると言う事です。これは心に対する無知,或いは誤解と言えます。この事を仏教では無明という言葉で説明をしています。 人間が正常な生活を営んでゆくためには自我意識とその自我意識を支えてゆく「もう一つのの意識」と言うものが存在しています。分かりにくいものですが、確かに存在しています。その働きは例えば自我意識が見ていない所を監視する働きです。意識したところしか見えていなかったら人間の命は大変に危うくなってしまいます。 考えているものにしか人間の行動が及ばないとしたなら、人間の生活は成り立ちません。意識をして、考えている事の他に納期が来た、或いは人に会ったら感情が変わります。或いは考えている他にスピードを出しすぎてカーブを曲がろうとしたなら、怖いと言う感情を抱かせている者が存在しています。刃物を見た場合にもいえます、高い所に上がった時にでも「怖い」という風に自我意識に教えているものの事です。 神経症の場合は今言った「もう一つの意識」自体を怖がっているか?教えてくれている事を怖がっているか?或いはその存在自体を無視している事によって「もう一つの意識」が自我意識に自分の存在をアピールして、自我意識に助け舟を出そうとしている事が「罪悪感、漠然とした不安」と言う形をしています。 神経症の直りとは症状が在ったままで「そのままで善かった」と気が付くところにあります。このままで何も不足していなかったという事になります。そうなるためには自分自身を学ぶ他はありません。その手引きとなるものが「禅」と言うものになります。自分の心の中で自分自身の働きと自我意識が仲たがいをしていることが神経症の原因です。 神経症の直りとは自我意識が「自分自身を働かせているものの意思」に気が付く、或いは出会うと言う処にあります。道に至る、或いは悟りを開く、或いは自分自身に出会うと言う事です。貴方は心の矛盾に苦しんでいると言う事になります。神経症の直りとは「症状」を受け入れる以外には理論的には存在しません。何故ならば「症状」を嫌っていると言う心の働きが「症状」を生み出す原動力になっていて、しかも症状をなくしたいと言う心の働きから症状が固定されているからです。 貴方が神経症の完治を望むなら「症状」には関わらないことが大事な事になります。症状を無視して、神経症を起こしているものに「目を向ける事」が近道になります、それには「禅」と言うものを学ぶ事が近道になります。鈴木大拙博士の本がわかりやすいと思います。少なくとも、私の場合には大変に有効でした。
お礼
かなり丁寧な返答をしていただきありがとうございます。 でもちょっと理解するには難しいです。。もうちょっと簡単に説明してもらえるとうれしいです。 禅がちょっとわからなかったです。