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異議あり!何でもかんでも「うつ病」やめてくれ~~っ!
ご意見をぜひ聞きたく相談いたしました。 実は今、遠方の親類にかなり危険といえるくらいに不調の者がいるのですが、で、それに絡み実は、私の母方の家系でそちらの問題が有ったケースが多かった面もあって、周囲の者が「うつ病に違いない」と決めつけてくるのが、私としてはとても気になって仕方ないのです。 親族に四人は少なくとも、知り得ていないものも含めればさらにいたのではないか、とは思うのですが、実は私自身もそういう傾向で精神科にかかった身としては、四人はそれぞれかなり違って見えていまして、本当に「鬱病」とはっきり言えそうな人などむしろ私の中では少ないのです。 本来の正しい意味での「鬱病」とは「脳」に起因して起きているものだけを指すと思うのですが、「脳」には異変が無くとも心に深い悩みを長期に抱えるだけでも「抑うつ状態」というのは充分起きるのがヒトなのですし、仮に脳の異変が起きてる場合でも精神疾患は多種有り、他の疾患でも「抑うつ状態」を示すものはいくらでも有るわけです。 私は自分の家系にはたしかに「抑うつ傾向の気質特性が有る」とは感じているのですが「鬱病」で一律に済ます事にはものすごい抵抗が有ります。 これ実はお薬の点ではそれほど問題ではないかもしれません。 「抑うつ」から逃れたい人にとっても「鬱病」の治療薬は(場合によりこれも正しくは不適合の場合問題らしいですが)、まあ、有効な場合が多いかとは思うのです。 であるからこそ、そのあたりの判別が付きにくい医者からすれば、苦しんで来た患者を放り出す事もままならず、「鬱病」との診断、処方が多くなっているのじゃなかろうか、と、思うのです。 ただ、問題なのは、 もし本当に「脳」の問題であれば、ある意味、すぐれた医者にあたりを付け、薬をある期間しっかりと飲ます様にし、環境などを配慮すれば、なおす事も可能とも言えるのですが、もともと「脳」ではなく「心因性」の要素が強い場合、薬は一時的な「安息剤」にしかなっておらず、問題は解決などしていないわけです。 前述の四人にせよ、 ひとりはむしろ「鬱病」とは無縁の「ヒステリー傾向を伴った生活の緊迫から来る感情障害」、 ひとりは「更年期障害も絡んだ職業不安や、家族に対する不安から来る不定愁訴を伴った神経症的状態」、 ひとりは「鬱病」であったらもっと早くに解決か、不幸が起きていてもおかしくない、あまりに若年時からのものの様で、 いずれも「鬱病」としてしまうのにはおおいに疑問を感じ、わずかひとりだけは「そうであったかもしれない」と私は思うのみなのです。 考えてみれば太古の昔より「ヒトは悩む動物」なわけです。 ただし、どうも人間にはあらかじめ「陽性」(ヒマワリタイプ)と「陰性」(月見草タイプ)というのが有る様で、これはいわゆる世で言われるところの、「あの人は恵まれている」「あの人は恵まれていない」「苦労した」「苦労してない」などとは全く別個にあるものに思えます。 この様に何でもかんでも「鬱病」に追いやれるというのは、自分には、 この「ヒマワリさん達」というのは、苦労はしたかもしれないが、自分自身心因的なもので長期に渡り苦しんだという経験が無い為に、「あ~~~んなになるわけがない、ああなる以上は脳に異常が有るに違いない」と、思ってしまうのじゃあないのでしょうか。 こういう「ヒマワリ」の人にかぎって、「鬱病」としてしまった上で、「とにかく周囲の者が温かくしてやればなおる」という様な安直な事を言うのです。 又、もともと「悩んでいるなんて甘えである」というのが昔の人には根底にあるのだが、他者に対してはそうする所を、悩んでいるのが自分の愛する対象であった場合には「甘え」とするのが嫌で(私はそもそも「甘え」とは単純に思えず、時代差の様に思えます。苦労はあったが単純な時代は終わっているわけです。)、その分、その人間の家族(しかも血が繋がっているものは除く)にはけ口を求める様です。 私の母の時に例えば入院をしぶる母をある意味むりやり入院にしむけてくれた事などは、たしかに有りがたかったのですが、苦しんでる時にベタベタされると「もうダメだ!」と思ってしまうタイプもいますし、ひとりの人間に対しても昔それで成功したから今度もそれで成功すると言えるほど単純ではないわけです。 長くなってすみませんでした。愚痴の様なものです。 私は思うのです。 今、我が国で「鬱病」とされている人間のうち、いったい何十パーセントが本当の「鬱病」(脳の病気)なのでしょうか!? 私は厭味も込めて 「ヒマワリ族の月見草族排除の陰謀」 とさえ叫びたいくらいです。 皆さん!日本の精神医学の理解の世界は本当におかしいとは思われませんでしょうか?????
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質問者が選んだベストアンサー
「脳の病気」・・既にご存知かとは思いますが、一般的には質問者さんがおっしゃるような、心因や他の原因がはっきりしない、性格のせいでもない「本当の」鬱病は、いわゆる「内因性」鬱病とよばれるものかと思います。例えばショックなどで鬱になる場合であっても、それが病的な水準であれば「脳の機能障害」すなわち「脳の病気」という表現ができますが、そのようなものは「心因性」という言い方をします。また、脳腫瘍や脳梗塞などで脳の実質にダメージがあったり、体の他の病気が原因で(ホルモン異常など)鬱になる場合は「外因性」という言い方をします。 それら「鬱状態が主体となる疾患や状態」全てをとらえれば、現代日本(おそらく各先進国でも似た状況かと思いますが)では、人口の10%とも40%とも言われ、かなりの数の人が「鬱状態」に該当する事とおもわれますが、一説によれば、前出「内因性鬱病」に罹っている人の割合というのは、古今東西、あまり変わらず、だいたい人口の0.5%程度といわれています。しかし、それぞれの判別の境界がはっきりしているわけでもなく、グレーゾーンも多いようです。 ちなみに、日本の精神医学の理解の世界についておっしゃっておられますが、少なくとも、症状の程度や継続時間などから機械的に病名をつけていく、最近流行の「操作的診断方法」と比較すると、先ほどの内因性や心因性といった、原因から診断しそれぞれに微妙に異なる治療を進めて行くタイプの「従来型診断方法」は、アメリカなどよりも日本のほうがより重視して使用されているという印象があります。医療のスタイル(保険機構)にもよるので、一概にその功罪について一面的な判断はできませんが。
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- psfa_mig
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とても面白い質問(意見?)だと思って全部読んでしまいました。 でも質問文を読んでて前提に1つ大きな漏れがあるようです。それは論旨展開において脳の異常というのが生まれつきもっているもののみであって、健康な人でも生活の中で脳に障害が起こりうる、それによって意識に変化が起きるというケースが抜けている点です。 No1の方も「心因性」として同様の指摘をされてます。 例えば健康な人が苦痛を受けてストレスで脳が傷つくことによりPTSD、うつ病、アルツハイマーのような精神疾患を発生させている事実は医療界でも徐々に証明されてきています。 苦労を抱え続けると人はどうなるのか、つまり強いストレスにさらされ続けると人の脳に何が起きるのかについては、プリンストン大学のグールド女史の研究などは有益です。 http://weblamp.princeton.edu/~psych/psychology/research/gould/index.php 脳には当然部位によって働きが違いますから、その部位毎に正常に動作しなくなれば、人の行動が部分的に変わることは容易に想像できます。前頭前野の動きが鈍れば楽しさを感じられなくなりますし、海馬が動かなくなれば記憶力が無くなります。 これまでの精神疾患の治療方法の根底がそもそも精神の病気は精神で治すとう方針に基づいており、 患者の言動から半ば強引に症状を分類してきているため、分類できない言動は新たな病名をつける以外に方法がないという歪みが出てきています。脳の病気という認識が出始めたのが最近ですから、病名とリンクできていません。また、うつ病に種類が増えてしまった原因の一つでもあります。 今は精神疾患と脳の関係の研究は過渡期であって、精神科やメンタルヘルスの現場には全く応用されていません。ですから、精神を精神で治すと教えられてきた精神科の医師に脳の病気を語って、現状では最悪馬の耳に念仏でしょう。もちろん先端を走ってる学者や医師は違いますが。 これはあなたも仰ってる一番の意見ではないでしょうか。 >仮に脳の異変が起きてる場合でも精神疾患は多種有り、他の疾患でも「抑うつ状態」を示すものはいくらでも有るわけです。 >日本の精神医学の理解の世界は本当におかしい 本題の質問への回答ですが、統計は存在しないし、出されるのは何年、十数年先というのが答えだと思います。現状のうつ病の判定では脳のMRIのような客観的な方法があるわけではありませんし、本人へのヒアリングによる主観的判定のみですから。。。 でも、挙げられている通り、日本の文化的背景で言うと苦労の質は変わってますね。 どうも日本文化では苦労とか人間とか同質同量のものとして扱われがちですが、実際は苦労の質は人の置かれる境遇によって全然違いますよね。高度成長期のように猫も杓子も苦労してれば成功体験を得られていた時代と、今のように不景気で苦労と成功があまり比例しないストレスまみれの時代の苦労とは当然質も違います。 あと蛇足ですみません。これはちょっと無理があります。脳を直接治せる医者や薬は現在ではこの世に存在していませんから。。。誤解無きよう。 >もし本当に「脳」の問題であれば、ある意味、すぐれた医者にあたりを付け、薬をある期間しっかりと飲ます様にし、環境などを配慮すれば、なおす事も可能とも言えるのですが
お礼
専門の方に大変丁寧で真剣なご意見を戴け感謝申し上げます。 勉強させていただきました。 ただ、 >というケースが抜けている とのご指摘ですが、私はこの事は心得ていまして、それをも含んで「心」と「脳」の分別をしたつもりだったのです。 もちろん、人間は脳が最終ですが、本当に脳を修正する急務があるのであればクスリ中心の対応が優先されるべきでしょうし、 もし「気質、考え方の偏り」(生まれつきか否かを問わず)などの問題であればカウンセリングや認知療法(?)他の私の良く知らない特殊療法やあるいは入信しないまでも宗教的な教えなどに浸ってみる、などの対応が必要で、クスリはサブとなりますよねえ。 だから ●(1) 生まれつき脳に問題が有って「うつ状態」にあるケース ●(2) あまりに長期に苦しんだがゆえすでに脳の異変にまで及んでいる「うつ状態」のケース ●(3) 長期に苦しんではいても脳の異変は伴ってはいない「うつ状態」のケース と、三分類しても、私は良いつもりなのです。 三番目が他より「軽い」とは言い切れません。 「苦しみの量」はそれでは比較できないのですが、いづれにせよ、対応はすべて異なるはずだ、と言いたかったのです。 結局これ、各個人が人間というものをどうとらえてるかの「人間観」の問題なのですよね。 まったく素人ですが「私の人間観」に添って感想を言えば、私の場合では、病院などを訪れる人々の内訳の比率は 上記の三分類にのっとって表現すると 一番目はむしろ最も少なく(この場合はかなり若年時から発症し良い悪いの結果は別として結果も早く出ていないでしょうか) 二、三はほぼ同じ位の比率なのじゃないか と感じます。 又、一番目ではなく二番目は、現在は「うつ病」であってももともと三番目から移行している以上は「うつ病」的治療だけでもすまないといえますよね。 とにかく一番問題なのは三番目が「うつ病」だと騒がれてしまうケースがかなり多いのじゃないか、と感じている事なのです。 どうでしょうか? 貴方様は少なくとも 「鬱病ではない人間が鬱病にされて終わっている」という私の意見は受け入れがたいでしょうか?? ヒマワリ(貴方様の事ではありません。)、煩い、わかりもせんで黙りやがれ! です。
お礼
早速のご返事、どうも大変有難うございました。 う~~ん、「内因」「外因」「心因」、なるほど、用語の正しい使い方、教えてもらえましたし、その点で私の表現も適切を欠いていたかな、と思いました。 アメリカとの比較もわかりましたし、日本の医学のみどうこういう気も私はないのです、世界的な問題かな、とも思ってはいます。 ですけれどもいみじくも貴方様もご指摘のように、「人口の10から40%」と「人口の0.5%」このヒラキはあまりにも問題をかかえる者に対し冷酷に思えるのです。 医学会をせめてるというより、仮にそこがどうであれ、 一般人であっても他者に対して理解力を示すだけで 人類の40%もが脳に問題を持ってるはずない事くらいわからぬはずはないじゃないか、という憤りの様なものを感じてしまうのです。 逆に言えば、諸般の事情でしかたないのかもしれませんが、国民が誤解したままでいる点だけに絞れば、少なくとも啓蒙性の点だけでは医学会にも問題は有るのではないでしょうか? 参考になりました。 どうも有難うございました。