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昭和時代の国際電話って、海にどうやって電線を引っ張っていたの

戦前戦中、日本と世界をつなぐ電話線は日本海のだいたいどのあたりを通っていたんでしょうか

質問者が選んだベストアンサー

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  • Ja97KG
  • ベストアンサー率26% (222/840)
回答No.3

ケーブル敷設船という特殊船で海底ケーブルを引っ張りながら敷いていきます 特殊な掘削機で溝を掘り その中にケーブルを入れていくとそのうち自然に埋まっていきます KDDの敷設船とNTTも敷設船持っています NTTの敷設船は阪神大震災当時救援船として神戸港に向かいNTTグループの復旧活動支援を行いました

noname#88547
質問者

お礼

船から投下するだけであっさり埋まるのですね。 参考になります。 早速のご回答ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.2

  デンマーク国王の使節が来日して、政府に対し、自国の大北電信会社(The GreatNorthern Telegraph Co.)に長崎・神戸・大阪・横浜などの主要海岸都市への海底ケーブル陸揚権を与えるように交渉、翌4年に長崎・上海間と長崎・ウラジオストック間にそれぞれ1心の電信ケーブルを敷設して以来、約130年間におよぶ。そして海底ケーブルの役割は、外交上・産業上・軍事上等においてますます重要なものとして展開していった。 政府は明治3年(1870)8月に上海-長崎間およびウラジオストック-長崎間の海底電信線を長崎に陸揚げすること並びに長崎-横浜間に海底電信線を敷設することを大北電信会社(デンマークのグレートノーザン・テレグラフ会社)に許可した。同社はケーブル線の陸揚げ地を小ヶ倉の千本松原海岸と定め工事に着手、翌明治4年6月18日に長崎-上海間海底電信線敷設を完了、通信を開始した。 これで初めてヨーロッパをはじめ世界各地と日本が電信線で結ばれ、世界情報の窓口の役目を長崎がはたすことになった。 英国から延びて来た電信線は 明治4年デンマークの会社,ノーザンテレグラフにより、上海ー長崎間とウラジオストックー長崎間に海底線が完成することになり、東京ー長崎間の電信線の敷設が急務となった。既に明治2年開通している東京ー長崎間のルートから分岐するため、明治4年9月、横浜市内神奈川宿から測量が開始された。 http://home.att.ne.jp/sea/upi/newpage20.htm 1850年頃に、ドーバー海峡(英仏間)の海底通信ケーブル、 1866年頃に、大西洋横断の海底通信ケーブルが、 敷設されています。 今から150年くらい昔の、19世紀の時代です。 ベルが電話を発明したのが1876年でもっと後の時代なので、 最初の海底ケーブルでの通信は、モールス符号などの電信が使われて います。当時の通信は、主に電報を使っていました。 戦前の日本でも、中国大陸と日本本土(対馬海峡付近を経由)を 結ぶ海底ケーブルなどがありました。 日露戦争(1904~1905年)で有名な「天気晴朗なれども波高し」の電報は、 朝鮮半島にいた戦艦三笠の司令部から対馬海峡の海底ケーブルを通じて 東京まで送られたものです。 太平洋を横断する海底ケーブルは、第二次大戦後に敷設されます。

noname#88547
質問者

お礼

詳しくありがとうございます。 いただいた情報を参考にしてもう少し調べてみます、

  • MOMON12345
  • ベストアンサー率32% (1125/3490)
回答No.1

こちらによると、最初の海底ケーブルは日本海ではないようです。 http://www.k-kcs.co.jp/cableHistory.html

noname#88547
質問者

お礼

回答ありがとうございます

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