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巨人について
Wikipediaを読んでも良く分からないので教えて下さい。 どうして、巨人と清原和博氏は対立したのですか?清原氏にとって憧れのチームだったのでは…。 どうして、川相昌弘氏は引退を撤回し中日に入団したのですか?犠打の達人と呼ばれ、多少の評価はされていたのでは…。
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>どうして、巨人と清原和博氏は対立したのですか? いつの頃の話ですか? 自由契約の際の話ですか? 巨人と言うのは外様に厳しいチームだったと思います。怪我が多く年俸相応の活躍が出来てなかった以上球団が清原氏に好印象を持ってなかったとしても納得できます。 川相氏についてはwikiにも書いてあったでしょうが、引退して1軍コーチになるはずが、突然の原監督辞任で二軍コーチ要請に変更になりました。90年代同じ巨人でプレーした原監督の要請で現役続行を諦め引退を決意したのに、その監督が解雇された以上コーチ要請は受けれなかたのではないでしょうか? あくまで「巨人では来年は選手契約は出来ないが、コーチとしてなら契約する。現役を続けたいなら自由契約」という条件で一度はコーチ要請を受けたのでしたらそのまま巨人で現役続行は難しかったのではないでしょうか?
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- ginga2
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双方ともに巨人のやり方に不満が有りチームを出た事が真実です。 プロ野球チームは巨人だけでは無いんだよとフロントに伝えたかったのだと思います。
お礼
いい気になるなよと伝えたかったのですか。ちょっとした、巨人に対する反乱みたいなものですか?そういう考えもありますよね。ちなみに巨人ファンですが・・・。ありがとうございます。
- norikhaki
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清原の年俸と活躍が釣り合わなかったから 戦力外通告をして自由契約にしたのが納得できなかったからでしょう。 もちろんそれに至るまで起用方法とかに不満があったからだと思われます。 川相については一軍コーチと要請があり引退を決意したのですが 要請をした原監督が事実上の解任で監督を辞めたため コーチを引き受けた理由がなくなってしまい 現役続行を希望したためでしょう。 しかし巨人はコーチ就任にこだわり川相との意見の相違を 埋めることができずに、他球団への移籍を模索。 落合監督がその力を惜しんで救いの手を差し伸べた と言うとこだと思います。
お礼
確かに満足に活躍できないなら生え抜きであっても外様でも自由契約は当然だと思います。コーチ就任を頼んだ原監督が例え事実上解任されても、一度言ったことは守るのが筋だと思いますが…。でも、巨人側と川相・清原の両者の言い分も理解できます。皆さん、お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。ありがとうございます
- mackid
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>清原 外様かどうかは関係ありません。 あの年齢と何度治療しても満足に走れないヒザを持つ選手なら、生え抜きだろうと引退勧告されるでしょう。それに対して本人はもっとやれると思っていたのですから平行線ですね。ただ、オリックス移籍後の成績を見ればやはり巨人でそのまま引退しておいた方が正解だったと思いますが。 >川相 Wikiの記述と当時のマスコミで報道されていた内容とはちょっと違うように思います。 川相は現役を続行するつもりだったのに、原監督のたっての願いで引退ーコーチ就任を受けました。ところが原電撃辞任の後も球団からしばらく事情説明など何の連絡もなく、それで川相が球団に不信感を抱くようになり、その後も後手後手になった球団の対応のまずさと元々快く思っていなかった堀内新監督就任でああいう結果になった、というような報道だったと思います。 まあ、いずれも報道を元にした推測に過ぎませんし、自伝でさえ本当のことを隠さずに書いてあるとは限りません。
お礼
清原氏はオリックスに移籍してもまともに働けないなら、巨人でユニフォームを脱ぐべきだったと思います。川相氏は原辞任の説明が球団からなかったから不信感を募らせたのですか。でも、当てつけみたいに中日に行く事はなかったのに…。ありがとうございます
お礼
清原氏はケガの影響で年棒相応の活躍ができないから巨人側が 快く思っていなかったのは、理解できました。確かに活躍しないなら給料泥棒ですもんね。川相氏は、一緒にプレイした原監督が、辞任したので現役続行を希望したが巨人側がコーチ就任以外は拒否した。例え二軍コーチでも必要とされていたのであれば、大人しく受諾すべきだったと思います。ありがとうございます