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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:清原和博氏の黒い交際について?)

清原和博氏の黒い交際について

このQ&Aのポイント
  • 覚醒剤で逮捕された元野球選手・清原和博氏について、彼の刺青や純白のスーツ、暴力団の恰好や儀式の真似などの行動が見られる理由は、彼が過去に暴力団との関係を持っていたからか、それとも単に暴力団的な人間関係に憧れていたのか疑問があります。
  • 清原氏は西武時代はまともだったが、巨人に移籍してからはおかしな言動が目立つようになりました。彼が鍛え上げることを極端に重視し、それが負担になる結果となったのは、単純に強い者への憧れがあるからなのかもしれません。
  • また、西武時代にも清原氏が暴力を振るったり、食事や飲み会で変わった行動をしていたとの噂があります。これらのことについても回答していただけると嬉しいです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • eroero4649
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回答No.2

1 みんななかったことにしていますが、あの桑田真澄氏だって暴力団への登板日漏洩疑惑というのがあったのです。当時はナベツネと巨人という存在があまりに圧倒的だったので力業でねじ伏せてもみ消すことができましたが、今だったら引退を強要されるのは逃れられないと思います。 80年代までは、芸能界やスポーツ界と暴力団というのは非常に近しい関係だったんですよ。当時の人気スポーツ選手なんて、ジャンボ尾崎氏なんかはその典型でしたがそのスジの人と見まごうばかりのファッションだったりするんですよ。80年代の広島カープなんて、若手で高橋慶彦氏が前を歩いて、その後ろを衣笠祥雄氏と山本浩二氏がいたんだから「仁義なき戦いのテーマ」がピッタリですよね。 ライオンズ時代の清原氏は「六本木の種馬」と呼ばれたくらいに夜遊び、女遊びが激しくて有名だったので、任侠の世界との敷居が低かったあの頃はそういう人たちとの接点、交遊は間違いなくあったと思いますよ。今だったらSNSとかで居合わせた一般人からいくらでも暴露されるでしょうが、あの頃はそういうのはありませんでしたからね。またテレビ業界、芸能界もそっち関係とは親しかったからそれを糾弾する動きもなかったでしょう。 2 ライオンズ時代は西武ライオンズの黄金期で、清原氏はチームの中では若造でした。石毛氏や秋山氏、伊東氏などの手前、あまり調子に乗りすぎることはできませんでした。しかし彼らが引退すると相対的に清原氏は立場が上になり、そうなると西武も彼をコントロールできなくなってくるんですね。 それで、チーム生え抜きのスター選手であった清原氏を手放すのです。西武グループというのはそういうところがあって、黄金時代を築いた功労者であるはずの森元監督や石毛氏、秋山氏、伊東氏などもそれに見合った待遇をしないですよね。みんな西武グループを離れてしまいました。 入団したのは清原氏が「死にたいくらいに憧れた花の都大巨人」でしたが、巨人というところは相手が誰であれよそ者にものすごく冷たい球団です。生え抜きの選手と後からやってきた選手って基本的に仲良くならないんですよ。高橋由伸氏と松井秀喜氏が清原氏と一緒にいるところなんてイメージにありませんでしょ?高橋現監督は原辰徳氏とのラインが、松井秀喜氏には長嶋茂雄氏とのラインがありますが、外様にはそういうラインはありません。外様に徹底的に冷たい球団なのです。 「だってあの人(清原)はよそ者でしょ」という目で選手からもスタッフからも見られていたと思います。元々管理が甘い球団な上に、よそ者だから口うるさく管理するつもりなんて最初からないのです。気に食わなかったら、またトレードでどこぞに放出してしまえばいいからです。実際、清原氏は体よくオリックスに放り出されてしまいました。 野球界というのはかなり上下関係が厳しい世界ですから、今の40代くらいの人までは「先輩には絶対服従」というのが体に刷り込まれているのですよ。 私も最初に就職した会社は体育会系というか軍隊系のノリの会社で、先輩に一気飲みとか強要されましたよ。あの野茂英雄氏は、当時野球界でも荒くれ者が集まっていることで知られた近鉄バファローズに入団したので、キャンプ初日に「歓迎会」と称して先輩に呼び出され「先輩の注ぐ酒が飲めないのか」と飲まされたそうですよ。それで、何度吐いても先輩から「俺の注ぐ酒だ。飲め」といわれた酒を飲み続けたので「こいつは根性が座っている」と一目置かれて、以来いじめられることはなくなったなんていう「いかにも昭和」なエピソードがあります。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました。 返信が遅くなって申し訳ありません。 1 みんななかったことにしていますが、あの桑田真澄氏だって暴力団への登板日漏洩疑惑というのがあったのです。当時はナベツネと巨人という存在があまりに圧倒的だったので力業でねじ伏せてもみ消すことができましたが、今だったら引退を強要されるのは逃れられないと思います。 野球が花形(メジャー)でその人気を独占していたのが 巨人軍故、「日本の野球は巨人軍」で持っていると 云う処があり、その親会社が読売新聞ですので、 その様な事がまかり通っていたのだと考えられます。 80年代までは、芸能界やスポーツ界と暴力団というのは非常に近しい関係だったんですよ。当時の人気スポーツ選手なんて、ジャンボ尾崎氏なんかはその典型でしたがそのスジの人と見まごうばかりのファッションだったりするんですよ。80年代の広島カープなんて、若手で高橋慶彦氏が前を歩いて、その後ろを衣笠祥雄氏と山本浩二氏がいたんだから「仁義なき戦いのテーマ」がピッタリですよね。 格好だけでなく、興行やトラブルの処理に一躍買って出たのが、組関係の人だったのだと思います。 清原和博氏の覚醒剤の問題がありましたが、昔からその様な事はあったと思います。 ライオンズ時代の清原氏は「六本木の種馬」と呼ばれたくらいに夜遊び、女遊びが激しくて有名だったので、任侠の世界との敷居が低かったあの頃はそういう人たちとの接点、交遊は間違いなくあったと思いますよ。今だったらSNSとかで居合わせた一般人からいくらでも暴露されるでしょうが、あの頃はそういうのはありませんでしたからね。またテレビ業界、芸能界もそっち関係とは親しかったからそれを糾弾する動きもなかったでしょう。 所謂持ちつ持たれつの良い時代だったのかと思います。 2 ライオンズ時代は西武ライオンズの黄金期で、清原氏はチームの中では若造でした。石毛氏や秋山氏、伊東氏などの手前、あまり調子に乗りすぎることはできませんでした。しかし彼らが引退すると相対的に清原氏は立場が上になり、そうなると西武も彼をコントロールできなくなってくるんですね。 先輩のにらみが無くなり暴走したのだと思います、 唯表向きは爽やかな青年像でも裏では度を過ぎた暴力などもあったが、先述のSNSの無い時代だったので、 スター選手という事で表沙汰にはならないようにしていた、 (正しくはないが)良い時代だったのだと思います それで、チーム生え抜きのスター選手であった清原氏を手放すのです。西武グループというのはそういうところがあって、黄金時代を築いた功労者であるはずの森元監督や石毛氏、秋山氏、伊東氏などもそれに見合った待遇をしないですよね。みんな西武グループを離れてしまいました。 その待遇をしないのが西武、頷ける話です。 高給を払うのが惜しいのでしょうか? 入団したのは清原氏が「死にたいくらいに憧れた花の都大巨人」でしたが、巨人というところは相手が誰であれよそ者にものすごく冷たい球団です。生え抜きの選手と後からやってきた選手って基本的に仲良くならないんですよ。高橋由伸氏と松井秀喜氏が清原氏と一緒にいるところなんてイメージにありませんでしょ?高橋現監督は原辰徳氏とのラインが、松井秀喜氏には長嶋茂雄氏とのラインがありますが、外様にはそういうラインはありません。外様に徹底的に冷たい球団なのです。 「だってあの人(清原)はよそ者でしょ」という目で選手からもスタッフからも見られていたと思います。元々管理が甘い球団な上に、よそ者だから口うるさく管理するつもりなんて最初からないのです。気に食わなかったら、またトレードでどこぞに放出してしまえばいいからです。実際、清原氏は体よくオリックスに放り出されてしまいました。 そこで、おかしな態度を取るように成った頷ける話です。 野球界というのはかなり上下関係が厳しい世界ですから、今の40代くらいの人までは「先輩には絶対服従」というのが体に刷り込まれているのですよ。 私も最初に就職した会社は体育会系というか軍隊系のノリの会社で、先輩に一気飲みとか強要されましたよ。あの野茂英雄氏は、当時野球界でも荒くれ者が集まっていることで知られた近鉄バファローズに入団したので、キャンプ初日に「歓迎会」と称して先輩に呼び出され「先輩の注ぐ酒が飲めないのか」と飲まされたそうですよ。それで、何度吐いても先輩から「俺の注ぐ酒だ。飲め」といわれた酒を飲み続けたので「こいつは根性が座っている」と一目置かれて、以来いじめられることはなくなったなんていう「いかにも昭和」なエピソードがあります。 成程、任侠の世界に近いものがあったという事が伺われました。 詳しいお話有難うございました。

その他の回答 (1)

  • tzd78886
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回答No.1

当時のPL学園というのは高校の部活動とは名ばかりの事実上「相撲部屋」のようなところでしたから、自身も同じような経験をしていたと言われています。もちろん1年からスター選手でしたから、彼自身が他の選手の下働きをした時期は短かったと思われますが、それが当然という生活をしていればやっていたとしても何ら不思議でありません。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました。 当時のPL学園というのは高校の部活動とは名ばかりの事実上「相撲部屋」のようなところでしたから、自身も同じような経験をしていたと言われています。もちろん1年からスター選手でしたから、彼自身が他の選手の下働きをした時期は短かったと思われますが、それが当然という生活をしていればやっていたとしても何ら不思議でありません。 実力者を集めふるいにかける、実際「プロ養成」で 高校の部活動とは程遠い、あれで鍛えられるという事もありますが、性根可笑しくなり「半ぐれ」と云われた方も居られます。 根性はつき、限界を超える精神は付くかもしれませんが、 可笑しな態度を取る人も居る、それが昭和時代は 金や野球は花形という事で野球選手、それもスターなら特別という事でもみ消してもらっていたという時代だったと思います。