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○○が売っている?

最近この質問箱でも増えていますが、例えばこんな質問です。 「今度ハワイへ行きますが、○○のバッグが売っているお店を紹介してください」とか「、△△(品物)が売っているところはありますか」などの質問です。 バッグが、って品物のバッグが自分自身で売っているわけ無いだろうに、「バッグが置いてあるお店」または「バッグを売っているお店」だろうとツッコミを入れたくなります。 この様な言い方って単なる質問者の間違いですか、それともこういう言葉の使い方が若者言葉?として流通し定着しているのでしょうか。 「オジサン古いね」という回答でも結構ですので教えてください。(苦笑)

質問者が選んだベストアンサー

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noname#96718
noname#96718
回答No.9

「売る」は昔からある言葉です。 新語ではありません。 新語というのは今までなかった言葉のことをいいます。 もう一回言いますね。 辞書に載っている用法、語法でなければ絶対ダメだ、ということはありません。 しかし、語法、用法破りをするには余程上手にやらないと、すなわち語法、用法を熟知していないと、幼児のような言い方になってしまいますし、教養を疑われます。 大事な言葉は主語でないといけない???・・・そんなことはありません。 命令形の文に主語なんてありませんぞ。 品物について言いたいときは、文章の最初にもってくればいいんです。 「何々を売っている店を教えてください」でいいんです。 英語や中国語は語順が狂うと意味がわからなくなります。 でも日本語は膠着語の一種で、主要語に「て、に、を、は、が」などの助詞がくっついて、重要な役割を果たしています。ですから、語順が変っても意味はとれます。 そこが、英語や中国語のような構造語と違って便利なところです。 Ilove you. の主語はIです。私です。 和訳すると「私はあなたを愛します」ですが、こんな和訳は英語習いたての中学生の訳です。 「私は」なんて必要ありません。 日本語の文で、主語にこだわる人の気持ちがわかりません。 ただ、助詞が大事な役割を果たす膠着語ですから、助詞の使い方を間違えるとおかしなことになります。 質問の例文のように、助詞の誤用があるとお話になりません。 日本語とはそういうものです。

w-icp
質問者

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再度の回答ありがとうございます。

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noname#88372
noname#88372
回答No.10

これはどうも方言(の変形)ではないかと思います。 「味噌ソースが売っとるでよ」 これを標準語にしようとして →味噌ソースが売っている に変形 元は 売ってある=売っておる=売って居る なので間違いとは言い切りにくいでしょう。 http://hougen.atok.com/top/hbn.sv?number=27 つまり意識として「が」は「ある」の方に掛かっているのですね。 「~が売ってある」を検索すると広島、山口、熊本の地域情報をヒットします。 もし方言であるならネイティブ方言スピーカーの方に裏付けをいただきたいです。 方言由来の耳慣れない言葉を真似する流行も昔からあると思います。

w-icp
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「味噌ソースが売っとるでよ」は、もちろん味噌ソース自身が売ってるわけではないですよね。「(あの店は)味噌ソースが(特売で、大量に、など)売っとるでよ」の省略形で、隠れている部分かありますよね。これは他の回答にありますようにウナギ文ですね。 つまり、意識としては省略されている(あの店は)が「売っている」の方に掛かっているのであり、「味噌ソースが」が掛かっているのではないですね。 私が知りたいのは、ウナギ文などの省略形でなく「○○のバッグが売っている」が書き間違いか最近の言葉なのかということです。 ちなみに私は「~が売ってある」とはどこにも書いていませんし、また「売ってある」が正しい日本語かどうかも知りません。

  • SortaNerd
  • ベストアンサー率43% (1185/2748)
回答No.8

これは立派な新語だと思います。 まず、日本語で受動態の文はあまり使われません。「(品物)が(店)に売られていた」と言うのは違和感があります。 「(店)が(品物)を売っていた」というのは正しい文ですが、品物の方について言及したいときに店を主語にするのは変です。 ここは「(品物)が~」と文を始めたいところです。 するとそこに続くべきなのは「売られている」という状態を表す言葉ですが、適当な言葉が思い浮かびません。これは日本語の不備です。 あえて候補を挙げるなら「(品物)が(店)にあった」や「(品物)が(店)に並んでいた」くらいでしょうか。もっと直接的な、「売る」の逆を示す語が欲しい所です。 今の日本語で表せないなら仕方がないので新しい言葉を作ります。ここで、「売る」をその意味に転用してみましょう。 以下、この意味の「売る」を「売*る」と書きます。 この「売*る」という語は、用いられる文脈(「(品物)が(店)に売*っている」)からして品物の状態を表していることが分かります。よって旧来の「売る」と誤解される心配はありません。 また、そもそもが同じ語なのでそのイメージは「売る」と同じです。 よって、この新しい語を聞いたことのない人も「売られている状態」の意味は明確に伝わります。(現にあなたも意味は取れています) 古い語で表せない概念を表せ、古い語と混同する恐れもないのですから、「売*る」の使用をとどめるものは無いでしょう。 無論、「売*る」を使っている人が上のようなことを考えているわけはありません。思うに、始まりは単純な言い間違いではないかなと思います。 すなわち、「(品物)が(店)に~」と話し始めてからその次に続く言葉がないことに気づき、うっかり「売る」というそこに繋がるはずのない言葉を使ってしまったのでしょう。それが他の人にまねされていくうちにいつしか「売*る」という新しい語ができた、あるいはできかけている最中なのではないでしょうか。 言語とはそういうものです。 「が」の解釈に理由を求めるのは的外れだと思います。

w-icp
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >「売る」の逆を示す語が欲しい所です。 だそうですが、それなら昔から「買う」があると思うのですがどうでしょう。 そうすれば「○○のバッグが買えるお店を紹介してください」があると思うのですが。または受動態の文なら「「△△(品物)が買って来られるお店はありますか」になります。 日本語の不備とか言葉が無いとかでなく、単に「買う」と「売る」を取り違えただけで、まして新語でもないかなと思いました。

noname#96718
noname#96718
回答No.7

回答番号:No.4です。 質問者様には余計なことで十分おわかりのことでしょうが、多数の閲覧者の中には誤解される方もいらっしゃるかも知れませんので、追加の回答をさせてください。 格助詞「が」の使い方の一つに「希望・能力・好悪などの対象になるものを表す」があります。 「リンゴが食べたい。」の「が」です(英語風に言えば「リンゴを食べたい。」と「を」になります)。 この「リンゴが食べたい。」は立派な日本語です。 質問の例文「○○のバッグが売っているお店を紹介してください」の「が」とは全然別物です。 辞書に載っている用法、語法でなければ絶対ダメだ、ということはありません。 しかし、語法、用法破りをするには余程上手にやらないと、すなわち語法、用法を熟知していないと、幼児のような言い方になってしまいます。

w-icp
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございます。 おっしゃるとおりですね、「リンゴが食べたい。」は「(私は)リンゴが食べたい」の省略形で立派な日本語ですね。 ですが「バッグが売っているお店」にはこれが無いんですね。まったく別物だと思いました。

  • bakansky
  • ベストアンサー率48% (3502/7245)
回答No.6

私はそういう文を見た時に、仮に日本語として許容されうるとしても、投稿する文章であるということを意識すれば、もうちょっとどうにかならぬものか、というふうに感じます。仲間内で会話しているのとは違うわけですから。 私も「古い」のかもしれませんけど。

w-icp
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

noname#194289
noname#194289
回答No.5

kaitara1です。それほど深い考察を行っているわけではないのですが、この店はバッグが売っているものである。また私は…の文では私は・・・は主格(主語)でないという解釈もあるようです。私にとってうなぎが食べたいものであるとも考えられます。要するに英語の文法に振り回される必要は全くないという事なのではないでしょうか。やはり英語では俳句や短歌は作りにくいのとほとんど一緒だと思います。

w-icp
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。私の素朴な疑問に真剣にお付き合いくださいまして大変感謝です。 >英語では俳句や短歌は作りにくいのとほとんど一緒だと思います。 なるほど、そうですね。日本語の言い回しは難しいですね。ありがとうございました。

noname#96718
noname#96718
回答No.4

>○○のバッグが売っているお店を紹介してください 変な日本語ですね。 ウナギ文がOKだから、助詞の使い方や文型が出鱈目でいいということにはならないと思います。 食堂で A:「君は何にする?」 B:「僕はウナギだ」 のBさんの言い方がウナギ文というわけです。 「私はウナギだ」は、「私=ウナギ」といっているわけではなくて、「~を食べる」「~を選ぶ」と言うのを「だ」という短く簡単な語に置きかえているわけです。これは一種の省略でしょう。 例文のような能動態で考えると、許されるのは、助詞「が」の省略までのように思います(助詞の誤用はいけません)。 「○○のバッグ、売っているお店を紹介してください」 会話ならこれで十分通用します。 >この様な言い方って単なる質問者の間違いですか、それともこういう言葉の使い方が若者言葉?として流通し定着しているのでしょうか。 単なる言い間違い(ケアレスミス)だと思います。 このような言い方が、若者の間で定着しているとは思えません(定着していると思いたくありません(^_^)。

w-icp
質問者

お礼

ご丁寧な回答ありがとうございます。ウナギ文の解説がよくわかりました。 .>助詞「が」の省略までのように思います(助詞の誤用はいけません)。 そうですね、「バッグを」なのか「バッグが」なのか、また「売られている」なのか「売っている」なのか、受動態なのか能動態なのかに混乱があり、よく理解しないまま質問文にしてしまったことが原因ではないかと思います。 言葉の乱れではなく、質問文などを普段書いたことがあまり無い人だと、このような文章になることがあるかなと思いました。単なる言い間違いかもしれませんね。

  • gimpei
  • ベストアンサー率33% (262/782)
回答No.3

質問の例文の要素を2つに分けますが、 まず格助詞の「が」を使用することは、 この格助詞が「対象」を示しているので、 問題はありません。       「・・・『が』売『られて』いるお店」なら 全く問題はないです。英語でいう受動態は 日本語でも普通に使用されています。 次に対象物「モノ」>能動態表現「売っている」は 確かに間違っています。ただ、日本語の文法という ものは数学の公式のような完全な完成度のあるもの ではなく、さらに現行の日本語文法は歴史の変遷で 変わっていくものなので、どこまでが言葉の乱れで どこまでが変革として承認できるかは難しいです。 現代日本語の基礎を作った文豪、谷崎潤一郎は あまり文法の乱れは気にしない方が良いとさえ 書いてます。その著、文章読本での例文ですが、 「切符の切られていない方はいませんか?」 というものが挙げられてました。この文章でも 助詞の「の」は「を」が正しいですが、切符と いう言葉を喚起するという目的で正式に文法で 認められる可能性もあるかと思えます。 既に挙げられていますが 文法の法則性の例外で有名な「ウナギ文」を 質問者は、言葉の乱れと思われるでしょうか? これはお店などで「私はウナギだ」という表現。 こういう言い回しは外国語にもあるようですし、 古語にも存在します。「春は曙」など。

w-icp
質問者

お礼

ご丁寧な解説ありがとうございます。日本語の文法についての説明もよくわかりました。 やはり「売られている」と「売っている」の使い方に混乱があり、よく理解しないまま質問文にしてしまったことが原因でしょうかね。言葉の乱れではなく、あらたまった質問文など普段書いたことがあまり無い人だと、このような文章になることもあるのかなと思いました。 他の人のお礼にも書きましたが「ウナギ文」を言葉の乱れとは思っておりません、「私(が選ぶ方)はウナギだ」の省略形ですし、主語は「私(が選ぶ方)は」なので問題ないですね。しかしたとえば、「ウナギが売っている」だとすると主語は「ウナギが」になりますよね、これは変ではないかなと思いました質問しました。

noname#111034
noname#111034
回答No.2

この「が」は,強調・限定だろうと思います。  「きさまらの中から決死隊をつのる。」  「山田(私)が参ります!」 というふうな。となりの甲二等兵でも乙上等兵でもなく,この私が,という強調・限定です。 バッグの場合は,ありふれた△△ブランドじゃなく,とくに外国でしか買えない○○ブランド「が」売っている店を知りたいのでしょう。

w-icp
質問者

お礼

ご丁寧な解説ありがとうございます。「が」には,強調・限定があると知りました。  「山田(私)が参ります!」の用法は意思があるもの(人、動物、会社、他)なら問題ないですね、「犬が走ります」「工場が稼動します」など。ただ意思の無い単なる物ではどうなんでしょうね。 「○○ブランドが売っている」は、○○ブランドいう会社の意思があるものが、バッグを売っているので、主語は「○○ブランド」で問題ないですね。しかし「○○ブランドのバッグが売っている」では主語が意思のある「○○ブランド」ではなく単なる物の「バッグが」になりますので変かなと思うのですが。

noname#194289
noname#194289
回答No.1

いろいろの説明があるようですが、日本語の文法は西洋流の文法で説明がつかないものがたくさんあると思います。「私はパンが食べたい」というのも同じではないでしょうか。「パンを食べたい」というのは西洋流の言い方から見ればより正しいようですが、パンが・・・の方は私にとってパンというものは食べたいものであるという直訳が必要なのではないでしょうか。これは特に…たいという言葉は形容詞と同じような活用をする助動詞で西洋人には通用しないものだと思います。少し違いますが、有名な例に「おれはウナギだ」があります。これは「吾輩は猫である」とは違ってやはり自分はウナギを選ぶという意味です。西洋流では誤りと言われてしまいそうです。

w-icp
質問者

お礼

ご丁寧な解説ありがとうございます。西洋流の言い方がわかりました。 ただ用例がすこし違う気がします。。「私はパンが食べたい」は「私は」が主語であり、それなら、「私は○○のバッグが欲しい」と同じで、主語は「私は」であり問題ありません。私が知りたいのは「バッグが」が主語として通用しているのかという疑問です。 うなぎ文でしたら、「おれ(が選ぶ方)はウナギだ」の省略形ですので問題ないですね。しかし、「ウナギが売っている」だとすると主語は「ウナギが」になりますよね、これは変ではありませんか?「(この店は)ウナギが(蒲焼にされて)売っている」なら主語は「この店は」になりますのでOKだと思いますが。