• 締切済み

日本共産党を嫌う人がいるのは 何故?

勉強不足で申し訳ないのですが… 私の周りだけかもしれませんが、 年配者は何故、共産党を嫌うのでしょか? 自民や民主については、それほど躊躇しない方が多いのに。 言っていることや、活動をみていて、 特におかしいと思うことがなかったので不思議に思いました。 どちらかというと、国民寄り(大きな企業等は除く)だと 思えるのですが… 具体的なことを、 感情論抜きで、お答えいただけるとうれしいです。

みんなの回答

noname#110201
noname#110201
回答No.11

私も、そんなに毛嫌いすることもないだろう、と思っています。 現代の日本においてはどうせ共産党は過半数をとれっこないのですから。 反対のための反対をする姿勢が、ちょっと気に入らないことがありますが、 >どちらかというと、国民寄り と、私も、そう思います。 もっとも、私企業が共産党を支持することはありえないので、一般大衆を支持基盤にする以外ないわけですが。 そうだとしても、派遣切りの話でも、組織的に一番目だった活動をしているのは共産党じゃありませんか? それに、みんな、長い長い共産主義・社会主義活動の結果として、「労働者の権利」というものが確立されていることを忘れていると思います。マルクスが資本論を書いた頃は、子供でも、妊婦でも低賃金で長時間働かされ、"資本家"は「嫌なら辞めろ、代わりはいくらでもいるんだ」と嘯いていた時代だったのです。 ま、そういうわけで、私の気持ちは、ある一定の存在感をもつ存在であり続けたらいいな、という感じになります。

sagami11
質問者

お礼

なくなっては、ほしくない存在なんですね。 ある意味有効な一票ですね。 とある、百貨店にメーカとして立っていたことがあります。 百貨店の人間が「士農工商で、俺らは一番最低な身分なんだ」と言われたことがありますが、 じゃぁ、私たちメーカーは奴隷だなと思いました。 ここにはかけないぐらいの、労働環境って、続いています。

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.10

No.9です 連続投稿すいません。 一点訂正をさせてください。 >ただ、同時に流入したためにヨーロッパのように「共産主義」と「社会民主主義」の混入状態となっていました。→誤 >ただ、同時に流入したためヨーロッパの用に「共産主義」と「社会民主主義」の対立軸が明確にはなりませんでした。→正 意味が全く逆になってしまうので。 また、上記のように明確化されてなかったために左派同士が無節操につぶし合ったり離合集散を繰り返したため、国民の支持を得られず、結局自民党優位政治である「55年体制」を許すこととなりました。 ではでは、お騒がせしました。

sagami11
質問者

お礼

大変参考になりました。 一個一個のフレーズが私の頭の中についていけなかったので、 何度も何度も読み返しました。 もっと勉強しなくてはと思いました。 深い部分だったんですね。 有難うございました。

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.9

日本は、明治末~昭和初期頃に、欧米から「社会主義・共産主義」の思想を輸入しました。 で、この「社会主義・共産主義」というのは大きく二つの流れがあります。 一つは、日本でもよく知られている「共産主義=(マルクス・レーニン主義)」です。 この主義を簡単に言うと、社会を「ブルジョア(金持ち)」と「プロレタリアート(労働者・貧乏人)」の二つの階層に分けます。 で、資本主義が成熟してくると少数の「ブルジョア」に多数の「プロレタリアート」が支配される体制となります。 そして、「プロレタリアート」が蜂起して革命が起こり、貧富の差のない「共産主義社会」が生まれます。 ただし、いきなり「資本主義→共産主義」となるのではなく、この間に「社会主義(プロレタリア独裁)」の状況が挟まります。 で、この独裁体制の元に財産分配をしていこうというモノです。 「マルクス・レーニン主義」は、当面はこの「プロレタリア独裁」を実現しようというモノです。 そして、これを標榜する党が一般に「共産党」と言われます。 というのも、旧ソ連の共産党を中心に世界革命で一気にこの体制を実現しようとし、世界の共産党と連携しようという体制が生まれます。 これが、所謂「コミンテルン」というモノです。 で、この「コミンテルン」に参加している(参加していた)政党を他の社会主義勢力と区別するため「共産党」と呼称します。 もう一つは、「社会民主主義」と言われるモノです。 こちらは、マルクス・レーニン主義よりも古く、ヨーロッパで資本主義体制と民主主義が成立する過程で生まれてきます。 主に、労働者階級を支持層とする点では同じですが、「マルクス・レーニン主義」の掲げるような「革命」や、その思想をもう少し推し進めた「無政府主義」のような過激な思想は掲げません。 あくまでも、民主主義体制ないで富の再分配を計ろうというものです。 こちらは、共産党と分けて「社会党・社会民主党・労働党」などと呼称されます。 日本はほぼ同時にこの二つの思想を取り入れました。 ただ、同時に流入したためにヨーロッパのように「共産主義」と「社会民主主義」の混入状態となっていました。 さらに、もっと過激な「無政府主義(アナーキズム)」を唱える人もいました。 この思想を取り入れた時期の日本は、まだまだ今のような「民主主義」とはほど遠い体制でした。 天皇を中心に、枢密院や貴族院などの所謂華族と民主主義を確立しようとする議会派・民権派(政党)との間で激しいやりとりをしていた時期となります。 で、この議会派やそれを支持する知識人の中から、社会主義・共産主義に傾倒していく人々が現れます。 (代表的なのは、幸徳秋水) http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/denshi/g_works/gw10_koutoku.pdf 当然、これらの人々は「華族」などの身分制を認めません。 また、天皇制も否定する思想も流行りました。 これは、「危険な思想」だとして華族をはじめとした保守派や民主主義を進めることには同意しても天皇制の打倒までは認めない民権派などから反発を受けます。 特に、「ロシア革命」で「帝政ロシア」が倒された衝撃は大きく、当局は厳しく取り締まるようになっていきました。 で、当局に弾圧されたり自分たちの主張を通すためにテロ行為に走ったりと激しくやりやっていきます。 特に、「大逆事件(幸徳事件)」は政府主導の左派弾圧事件の象徴として(左派には)記憶されています。 やがて、ロシアで「ソビエト連邦(とコミンテルン)」が樹立されると、日本の共産主義者の中から、この動きに合流しようという勢力が出てきます。 そして、1921年に堺利彦・山川均・近藤栄蔵らが集まり「日本共産党準備委員会」が発足し、翌22年にコミンテルン第四回大会で日本支部として承認され「日本共産党(非合法)」となります。 しかし、翌23年には当局によって解散させられ非合法政党となります。 ただ、民間レベルでは「共産青年同盟」などの下部組織が着々と作られていきます。 さらに、1926年にはもう一度佐野学らを中心として第二次共産党が再建されますが、こちらも1929年の(治安維持法に基づく)党員大量検挙され解党に追い込まれます。(四・一六事件) その後も根強く党再建の動きも見られますが、ことごとく当局に阻止されます。 第二次世界大戦が終戦すると、初めて合法政党として認められます。 第22回総選挙で初めて5議席を得ると、独自の憲法案である「日本人民共和国憲法草案」などを発表するなど、活発に活動していくこととなります。 そして、全国各地に「支部」が設立されると、労働運動や学生運動を活発に展開していきます。 そして、同じく左派の一翼を担う「社会党」が目覚ましい成果を上げられ無いのに失望した有権者を取り込み、一気に勢力を拡大していきます。 その後も、安保闘争や平和運動など闘争を展開していくこととなります。 しかし、冷戦構造の中でGHQにより「防共の最前基地」と位置づけられた日本ではそれ以上の拡大はできませんでした。 また、左派勢力は一枚岩とはならず「共産党系」と「社会党系」が反目し合ったり、「共産党内」でも「過激派と穏健派」で対立があって揉めたり、ついには分裂したりと、内外の敵に苦しめられたりと政権を取るにはほど遠い感じでした。(まぁ、烏合衆参を繰り返すのは社会党も含めた日本の左派の特徴ですけど) また、過激派は「暴力革命」という「マルクス・レーニン主義」の最も「悪い」ところを全面に押し出すために警察・公安によって厳しい監視の下にも置かれています。 で、2004年に不破・志位体制となり、現状認識を改めた「現実路線」へと転向し、「確かな野党」路線を打ち出しています。 主に、「象徴天皇制」について「国民が自ら選択すべき」として一時期の「廃止論」から後退させています。 また、今の日本に必要なのは「社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破」であるとし、「資本主義の枠内で可能な民主的改革」によって日本を改革していこうと提案しています。 その上で、「日米の対等な条約実現」「憲法前文及び第9条を含む護憲」「平和憲法による平和外交」「ルールある経済社会の創出」などなど、現状を踏まえて緩やかな改革による「社会主義・共産主義社会」を目指すとしています。 とはいえ、これらの路線変更は「マルクス・レーニン主義」の中の過激な用語を置き換えただけとの批判もあります。 よって、他の右翼団体や過激組織と共に「警察・公安」の監視下にあるようです。 http://www.npa.go.jp/kouhousi/biki2/sec02/sec02_0201.htm とまぁ、大まかな歴史をなぞるとこんな感じですね。 年配の方が共産党を嫌うのは、冷戦下の自由主義陣営からの「反共宣伝」と共に、共産党を含む左派勢力が内ゲバで抗争を繰り広げて社会に迷惑かけたり、60年代~70年代の「安保闘争・平和運動」の記憶があったりするからでしょう。 若い人は(私も含め)、そういった争乱を「肌で感じて」いないのであまり抵抗を感じないのかもしれません。 あるいは、「十把一絡」に「左翼=共産党=コミンテルン=(中露北朝と通じてる売国政党)」という認識程度で攻撃してるとか、、、。 では、長々と失礼しました。 参考になれば幸いです。 ※あ、私は別に共産党員じゃないですよ(笑) 政治思想史を調べる一環として興味持ってるだけですから(自己防衛のために一応・笑)

  • DDRSDRAM
  • ベストアンサー率36% (115/314)
回答No.8

 昭和30~50年代(1950~80年代)に派手な活動をして総すかんを食ったからです。特に労働組合や各種市民団体は、唯我独尊、他人のあら捜し、足を引っ張り嫌がらせ的に権利主張をやってました。暴力を使わないやくざといったところでしょうか。ストを連発して主導権をとるというスターリンの革命パターンの踏襲だったのでしょう。当初は社会主義革命を目指していたようですが、単なる利権団体に変質したようにしか見えませんでしたね。  1970年代前半には社会党左派とも袂をわかって孤立してしまいました。工場などでは、共産党系の組合があると生産計画にも支障が出たりして、1980年代ごろまでには会社から排除されました。  私は20年ほど前、とある公務員系の場所でいやな思いをしました。計画案や人事案にはことごとく反対、事実上「ままっこ」状態になって、共産党系の人は威張って仕事をしない、残りの人が仕事をするといった状態でした。  当時の活動の評価は、仲間内では仲がよく協力するがそれ以外の同僚を敵視し、部署や会社での仕事に支障がでるですね。現在では一部の公務員やマスコミ系以外には、共産党系はいないので極端な少数派ですね。

sagami11
質問者

お礼

そういうことも理由なんですね。

  • Yelm
  • ベストアンサー率19% (63/324)
回答No.7

日本共産党は冷戦時代の初めは1956年のハンガリー動乱でソ連の武力行使を支持するなど、明白にソ連を支持していましたが、その後ソ連の実情が明らかになると中国など他の共産主義国に乗り換え、カンボジアでポルポトが政権を取った時も当時の赤旗で絶賛するなど「共産主義」の看板さえ掲げればダボハゼのごとく支持してます。 そして面白い事にそれらの実情が明るみに出て、魅力がなくなると日本共産党は「我が党はそれらとは違う。そんなことは最初から分かっていた」とまるで賞賛した過去など一切なかったかのように振る舞いました。 間違い無く言えることは日本共産党は過去の失敗した共産党政権をことごとく礼賛した上で、都合が悪くなるとその過去を隠蔽するような政党だということです。 そんな不誠実な態度を支持しろと言う方が無理でしょう。

sagami11
質問者

お礼

今、自衛隊をソマリアに送るのを反対したり、 憲法9条を大事にしているのに、武力行使を支持するというのは 残念ですね。 わたしは、教科書で詳しく学んでいたんだろうか… まったく知りませんでした。 おじいちゃんおばあちゃんは、50年代にこの情報を耳にして 嫌っているんでしょうか?? 時代背景が、よく分からないです。 >都合が悪くなるとその過去を隠蔽 どの党にも言えることだと、思うのですが…

  • tknaka
  • ベストアンサー率45% (225/491)
回答No.6

「共産党」と「日本共産党」とを区別せずに「日本共産党」と聞いただけでソ連、中国、北朝鮮と同列に並べて、一党独裁の「共産主義」体制とそれに伴う腐敗に結びつけて考える人が多いためです。具体的に「日本共産党」の主張を勉強していない人はもちろんのこと、勉強した人であっても、「日本共産党は確かにこう言ってるけど、ソ連や中国を見れば結局腐敗する」と確信を持って主張するのです。しかし、北朝鮮はもとより、ソ連にせよ、中国にせよ、「共産主義」を前面に出していたにも拘らず、これらの国の政治体制は思想としての「共産主義」が追求していた政治体制ではありません。歴史の必然ではないことを理解できないことも、こうした「腐敗党」としての色付けの一因となっています。更に、こうした人々は現実に存在する自民や民主の腐敗は実際として許容していても、共産党の引き起こすであろう腐敗は許容できないというおかしな主張になっていることを理解していません。 また、歴史的には日本政府、そして「同盟国」アメリカが共産主義を危険思想として位置づけ、それを学校教育の中で、そして社会の中で喧伝してきたためです。共産主義、またはその前段階である社会主義を理解するためには、理論的にも政治的にもかなり勉強することを要求されます。多くの人はこうした即自的な利益に結びつかない勉強を後廻しにするか全くやらないまま日常生活に奔走されてしまい、実は労働者の利益代表である共産主義を排斥したい資本家層の利益代表である自民や民主、ひいてはアメリカが喧伝する共産主義像を鵜呑みにしているに過ぎません。戦前の治安維持法の下に行われた「主義者狩り」や戦後アメリカ・マッカーシーの下で行なわれた「アカ狩り」の余波としての日本での「アカ狩り」などが、とりわけ大きく急進的なものとして挙げられます。こうした共産主義を嫌わせる教育を受けてきた人々が、「反共産」の偏光レンズを通して「日本共産党」の主張、その背景となる理論を勉強しても、なかなか素直には理解できないと思います。 こうした状況の中で、共産主義側にも、そのじれったさに耐えられず急進化していく分子が出てきます。いわゆる全共闘時代のバリケード闘争やその後の革マル派や中核派による内ゲバ殺人事件などは、政府によって共産主義の暴力的な側面を強調する格好の機会となりました。また赤軍派によるよど号ハイジャック事件なども「共産主義」の違法性を喧伝する材料として利用されました。実際には、これらの過激派グループは「日本共産党」を批判しており、「資本主義政府の飼い犬」などと罵られているにも拘らず、「共産主義」として一くくりにされてしまっている状況があります。こうした点も「共産主義」ひいては「日本共産党」に対する反感につながっているものと思われます。

sagami11
質問者

お礼

勉強になりました。 >共産主義、またはその前段階である社会主義を理解するためには、理論的にも政治的にもかなり勉強することを要求されます。多くの人はこうした即自的な利益に結びつかない勉強を後廻しにするか全くやらないまま日常生活に奔走されてしまい、実は労働者の利益代表である共産主義を排斥したい資本家層の利益代表である自民や民主、ひいてはアメリカが喧伝する共産主義像を鵜呑みにしているに過ぎません。 一度、赤旗みたことありますが、難しくって、なかなか頭にすっとはいらないです。読売と読み比べして、面白かったですが。 わたしみたいなのには、子供あかはた新聞が必要かも。 >「共産主義」として一くくりにされてしまっている状況 縁の下のクソまでってやつですね…

  • ilovetv
  • ベストアンサー率11% (2/17)
回答No.5

共産党の立候補は「死票」を増やし、結果として、 自民党・創価学会を助ける結果にしかならないから。 賢くなってください。

sagami11
質問者

お礼

一理ありますね。

  • sugeaho
  • ベストアンサー率12% (67/551)
回答No.4

日本が共産主義になったら毎月の給料は0円になります。 配給で生活することになります。 これをあなたが支持するのなら、私は支持することを止めません。

sagami11
質問者

お礼

わたしと一緒にお勉強しましょう!!!

  • riddle09
  • ベストアンサー率32% (105/320)
回答No.3

2004年に綱領を改定するまでは、「革命政府の樹立」を最終目標に していたのが日本共産党です。しかも、圧倒的権力を有していたGHQ ですら敢えて手をかけようとしなかった天皇制に対して、廃止を公約と していたり、「日本人」の感情を逆なですることが多いようです。 近年は、綱領を改定してそういった部分を削除していますが、表向きは 隠しているだけでその考えを捨てていないと年配の多くの人が判断して います。それは、戦前・戦中・戦後を通じて、共産党の幹部達が逮捕・ 投獄・拷問されても自らの考えを捨てることはなかったのを知っている からです。 そういったことも含め、特に年配者は「共産党」に対する生理的嫌悪の 根は深いです。 日本人の気質に共産主義というものが合わないのだと言えるかもしれません。

sagami11
質問者

お礼

マインドコントロールされて、 国民が戦争賛成派だったんですよね。 戦争をけしかけ、 国の実力者がそういうことをしたのは 事実でそのときの日本のトップは天皇でしたよね。 >それは、戦前・戦中・戦後を通じて、共産党の幹部達が逮捕・ 投獄・拷問されても自らの考えを捨てることはなかったのを知っている からです。 こんなことされて、平和へ思想を曲げないのは、 偉い部分だと思っています。 ますます、分からなくなりました。 (すみません…)

  • bgm38489
  • ベストアンサー率29% (633/2168)
回答No.2

第二次世界大戦の頃、所謂「非国民」とされたからでしょうね。 国のいっていることがおかしければ、反対する。当然のことですよね。ところが、戦争の頃は「非国民」とされ、迫害された。戦後も、アメリカの統治に反対を続け、国の方針とは対立してきた。国からのけ者扱いにされた党なので、国民に嫌われているのでしょう。 いずれ、本当に正しいことを言っている党が、政権を担当する、というような国家になればいいですね。

sagami11
質問者

お礼

なるほど。 なんとなく、わかりますが もやがとれません。 わたしは、愛する家族を戦場に送り出したくないです。 危険な思いもさせたくないです。 当時を生きていれば、口にだせないか 口に出したところで きっと、非国民って、石投げつけられたでしょうね。

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