>京都は何故、共産党が強かったのでしょうか? また、今でも共産党が強いのでしょうか?
こんにちは。 これは大変良い質問です。
京都という街を論じるには歴史的な発展が深く係っています。 西暦8世紀の後半に都が奈良、(平城京)から今の京都に移されました。 これは周到に計画されたものではありませんでした。 奈良の町に当時何らかの壮大な環境破壊が起っていたためです。 緊急避難の策としての首都移転だったのです。
この街がその国の首都としての体裁と活況を呈して来たのは平清盛が宋との交易で大量の銅銭を輸入して来た12世紀の後半です。 さらに室町幕府三代将軍の足利義満が明と冊封関係を結び、明の使節を北山の鹿苑寺(金閣寺)に迎えるようになって国際的に国家として認められるようになりました。
それまでの日本はアジア大陸から孤立したひとつの島とそこに住む野蛮人に過ぎないものとして認知されていたに過ぎません。
室町時代に入り、急激に経済が発展します。 その担い手が京都の町衆(まちしゅう)です。 彼らは自分たちの手で都を作り上げて行きました。
彼らの賢さは狂言の中に如実に示されています。 狂言の主題はいつも同じです。 地方で急激に力をつけた武将が天下獲りを目指して上京して来る。 これを賢い町衆がオーディションする。
● 武将は馬鹿丸出しで、審査員である町衆に愚弄されて逃げ出す。 こういった筋立てで終っています。
この千年も都として続いて来た京都を守って来た町衆の鋭い審美眼は絶えず革新的なものに向けられているのです。
京都は周りを山で囲まれていますが、町衆の情報収集力は卓越しており、世界に広く巡らされています。 徳川幕府が鎖国政策を敷いていた時でも都京都では明から来た隠元禅師を御所に招いて世界事情の講演会を開くなどしています。 日本が200年以上も鎖国の眠りにあった時でも、御所の中では広く世界に目を向けた情報活動を行っていたのです。 ですから幕末の動乱時にも岩倉具視、三条実篤などの優れた公家が登場し、日本をリードして行ったのです。
京都という街にはいつも世界最新のホットな情報が流れて来ます。 それをテキパキと取捨選択出来る賢さが町衆には備わっているのです。 それが京都の革新性に繋がっているのです。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 京都の町衆という人たちは、とてもすぐれていたのですね。 自ら都とつくったことはすごいと思いました。 今の京都があるのは、室町時代のころの町衆が、がんばったからなのですね。 いろいろお教えいただき助かりました。 心から感謝いたします。