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電車内で携帯で話す人を不快に思う心理
こんばんは。 私はほぼ毎日電車に乗っているのですが、電車の中で携帯で話している人って よくいますよね。それを見ると嫌な気持ちになるのですが、時々「何で嫌な 気持ちになるんだろう?」と思います。 たとえばその携帯で話している人の相手が実際に隣にいたら、それはただの 「会話」で、特に気にならないですよね。その会話の片方がなくなる事によって、 どういう心理的な効果(?)を及ぼすのでしょうか。 私も↑の行為がマナー違反だと思いますし、医療機器に悪影響を与える事 は重々承知していますので、心理的な側面から皆様の意見をお聞かせ頂ける と嬉しいです。
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- opabiniya
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こんばんは。 ちょっとだけ違う側面から(といいつつ、対して違わない)。 電車の中を私的な空間として認知している→化粧・食事・エッチ・会話など、何をしてもカラスの勝手(古いな)。 電車は公共空間である→自ずから守るべきルールがある。 こういった認識の差が、行動に表れているのではないかと常々考えています。 その認識の差が嫌な気持ちになっているのではないでしょうか? 「公共=官が担当する事、だから電車は私的空間!」が蔓延した事で、昔の会所地的な「私」が集合してつくる「公的」な場は理解されなくなったのではないでしょうか。そのことが不快に思う(つまり違和感を抱く)ことに関係しているように思われます。
- ShiozawanoYuki
- ベストアンサー率15% (3/20)
電車の中の携帯電話ですか。 じゃぁ、電車の中ってどういう空間でしたっけ。 「公共の空間」 でもいいかもしれませんが、離れられない点で狭義にとって、 「呉越同舟な場」 と思ってみましょうか。 閉じた空間に誰ぞや知れぬ人が詰められてるんですよ。今でこそ「電車」と「旅」はイメージが離れてるのでしょうが、「旅は道連れ」なる言葉がまだ残ってたころ、列車の中ってどういう空間でしたでしょう。 ボックスシートで見知らぬ人がひざつき合わせ、顔と顔を向き合わせながら、窓の風受け、弁当ひろげ、 ついでに顔をすすで真っ黒にしていたことでしょう。(でしょう、です) そして、車中での長旅を、居合わせた人たちと世間話で過ごしたことでしょう。 何だか書いてることがご質問とずれてるっぽいですが、つまりは、 閉じられた空間で、「親しそうに話すのを」聞かされるのが不愉快、 ととれば分かりやすいんじゃないでしょうか。 仏頂面で乗って降りたら友達、が昔なら、 仏頂面で乗って降りたらクタクタ、というのが現代風でしょうか(それともイメージで話しすぎ?)。 ちゃんとご質問に沿ったことを書くなら、たしか会社の電話は不愉快でない、という記述があったと思いますが、 もしその電話でねんごろな猫なで声で(こういうのなんて言うか忘れてしまいました(><))話されたとしたら、その場は白い視線の映写会になりましょう。 ま、これも違う話ではあったんですが(くどい!)、つまり、 テンション落とすのが普通になってる呉越同舟な場で、 「親しそうに話す」 のが他の人のねたみを買うんだと思います。 もちろん、解釈のひとつに過ぎませんが。
- yasu828
- ベストアンサー率0% (0/3)
失礼します。 私も車内で携帯を使って話されると嫌な気分になります。 自分でそれはなぜかと考えた結果、妬みだと思うんですよ。こういったものは全て妬みから始まるんじゃないかと思います。 車内で携帯の使用を禁止していて、それに習って自らも使わないようにする。 自分はルールを守っているのに、話している人間はルールを守っていない。 そこに腹を立てているんですよきっと・・・。
- alex_d
- ベストアンサー率24% (25/103)
7番の方のおっしゃられてるとおり、不快と思うから不快なのだと思います。 みなの懐が小さくなったのでしょうか。個人主義というか、自分以外のものを受け入れる許容範囲が狭くなっているからだと思います。
- nekosuke
- ベストアンサー率42% (339/795)
下の方々が言ってる通り、例え聞きたくなくても聞かなければいけないことや声のトーンが普段より大きくなっている事が上げられると思います。相手が居る会話でも普段より大きい声で不快に感じる時があるので・・。 それともう一つ、私が考えるには電車自体の音(ガタンガタンッ)が一定感覚で脳内に安らぎを与える音なので安らいでる最中に別の音・・普段気にもしない音が聞こえると小さい音でも騒音となってしまうのでないでしょうか?
- digitalian
- ベストアンサー率29% (323/1104)
ふつうありえない状況だからではないでしょうか。 たまに電車の中で、誰も聞いていないのに独り言を大声で言っている人がいますが、非常識でなんとなく怖いので、ふつうの人はその人を自然に避けようとします。 携帯電話で会話している人は、他人から見れば、独り言を話しているようにしか感じませんので、人は恐怖を感じ、避けたくなるのではないかと思います。 この仮説が正しいとすれば、誰もが電車の中で携帯電話で話すようになって、みんなその状況に慣れてしまえば、携帯電話を不快に感じることがなくなるということになります。
- SCNK
- ベストアンサー率18% (514/2762)
なぜ不快か、それは不快なものだと思っているからです。逆説的ですが、快適な音と思っているものは不快とは思わないものです。たとえば轟音で飛ぶジェット機も好きな人たちにとっては快い音ですが、嫌いでたまらないという人は訴訟まで起こします。不快だと思えばささやくような音でも、たまらなく嫌でしょう。 虫の鳴き声は日本人には快く聞こえるが、欧米人にはタダの雑音と感じるというのもありましたね。 昔から電車の中で世間話というのはありましたが、それを特に不快とは感じていなかったのは、それを受け入れる社会の雰囲気があったからです。世の中が変わったということでしょう。 電車のアナウンスもうるさいという声がありますよね。万人に快い音なんてないのかもしれません。リラクゼーションというのもありますけど、そんな音があったら流して欲しいと思います。ただ居眠りして乗り過ごしそうですけどね。
- babuo
- ベストアンサー率17% (177/993)
みなさんのおっしゃるとおり、やはり公衆の場での携帯電話は、マナーに反します。 そして、みなさんが勘違いしてるのは、電車の中で相手がいて話をしていてもマナーとしては反する行為ですよ。 これを勘違いしてるので、「携帯電話はなぜマナー違反だろう。」と思う人が多いのでしょうね。
- fu-raibo-
- ベストアンサー率31% (41/129)
公衆電話でも会社のオフィスでもいいですが、据え置きの電話があってそこで話している人がいたら不愉快になりますか? 電車じゃないところ、例えば道端で携帯で話している人がいたら不愉快になりますか? 多分どちらも不愉快にならないんじゃないでしょうか。 それが電車だととたんに不愉快になるのはやはり電車の中だからだと思います。 電車の中だと不愉快になる要因として 1.No.3の方が書かれているとおり、聞こえてくる声が第3者にとって会話として成立していないこと。 2.その場から逃げられないため、聞きたくなくても聞かざるを得ないこと。 (車両を移ればいいのですが、そのためには今座っている権利を放棄するとか、人を掻き分けて動かないといけないとか何らかの不利益を覚悟しないといけない場合が多い) 3.公共の乗り物の中では自分の存在を他人に意識させないのが暗黙のルールですが、携帯の場合さっきまでその状態だったのに、着メロと共にこちらの心の準備もできないままに突然そのルールが破られること。 の3つが大きなものとしてあげられると思います。 携帯でなくても隣でぶつぶつ独り言を言われたらいやですし、最近はあまり言われませんが、昔ウォークマンが出始めたころ、イヤホンから漏れる音が耳障りと言われたのと心理的には似ていると思います。
お礼
こんにちは。 「電車の中」という特殊なシチュエーションによる部分が大きいという事ですね。 「公共の乗り物の中では自分の存在を他人に意識させない」というのは無意識に 実行していると思います。その暗黙のルールを破る行為って事なんですよね。 そう考えると、あんな狭い車内に沢山の人がいるのに何か変な感じですね。 毎日同じ電車で会う人はいても話をしたことなんてないし・・。 なんだかとても考えさせられました。ありがとうございました!
- yokkyun555
- ベストアンサー率17% (13/73)
今って電車内で携帯を使うのってマナー違反じゃないですか?それが頭の中にあるから、電車内で携帯を使う=不快という気持ちになってるんじゃないでしょうか。 電車内で携帯を使う事がマナー違反ではなく普通の事で誰もが使ってたら不快と思わないんだと思います。 >たとえばその携帯で話している人の相手が実際に隣にいたら、それはただの 「会話」で、特に気にならないですよね。 たとえば電車内で会話をする事がマナー違反だとすると、上記の事が不快に思えてくると思うんです。
お礼
こんにちは! あー、固定観念の問題という事でしょうか。 みなさん色々な側面から意見を言ってくださるので興味深いです。
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お礼
あっすみません、今回は「マナー違反かどうか」の質問ではないです。 でもありがとうございましたm(__)m