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梶井基次郎の檸檬

梶井基次郎の檸檬を読んでいるのですが、よくわからない表現があります。 何か華やかな美しい音楽の快速調の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている という部分です。 「華やかな美しい音楽の快速調の流れ」=主人公にとって美しいと思える果物 「見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに」=後に書いてある「青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている」ということから「美しい果実(いくつかの量)が石化したように積まれている」 ということでよいのでしょうか? 教えてください、お願いします。

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  • hakobulu
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回答No.2

たしか、京都寺町にある果物屋の陳列光景でしたね。 この陳列台は急斜面になっていたはずで、そこを思い浮かべながら解釈されるとわかりやすくなるように思います。 「華やかな美しい音楽の快速調の流れ」 =主人公にとって美しいと思える果物【の陳列状況】 だろうと思います。 つまり、斜面が急なので今にもそれぞれの果物が転がり落ちそうな危うい印象のまま陳列されている、という動的なニュアンスを「快速調の流れ」と表現したのでしょう。 「見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに」 =そのような危うさの中に陳列されているにも拘わらず落ちないのは、 「見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられ」 「あんな【鮮やかな】色彩やあんな【不安定なままの】ヴォリウムに凝り固まった」 とでも思いたいぐらいである。 ということでしょう。 「青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている」 という箇所は、あくまで、青物も果物のような陳列のされ方をしている、という付随的な描写に過ぎないと思います。  

mokuya
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 すごくわかりやすいです!

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  • kadowaki
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回答No.3

>何か華やかな美しい音楽の快速調の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている 少し理屈っぽくなりますが、八百屋に並べられている果物や野菜の色彩や形態を、主人公ができるだけ先入観、常識、通念、思い込み等々に囚われずに、つまり虚心坦懐に凝視しているうちに、それらがただのありふれた果物や野菜という通称の縛めから解放され、それまで隠していた果物や野菜それ自体の本来的な姿形やその本質、正体を露呈したのだと説明できるかもしれませんね。 >「華やかな美しい音楽の快速調の流れ」 思うに、「果物」が主人公に「美しい」と感じられたのは、それらが「美しい音楽の快速調の流れ」が堰き止められ、凝固した結果、果物という立体的な姿形を取るに至ったということではないでしょうか。 ここには、いわゆる美の根源には音楽があり、視覚美にしてもその原質が音楽であり、音楽の時間を止めると、そこに視覚芸術が実現するという、梶井特有の芸術観が垣間見られるのではないでしょうか。 >「見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに」 ここも、もともとは音楽のような流体だったはずの果物や野菜の精が、自分たちの意思に反して強引に堰き止められ、こんな姿に成り果ててしまった、と主人公がやや諧謔的、擬人法的に果物や野菜の代弁をしたと解することができますよね。 ちょうど、火口から流れ出た溶岩が地表の障害物に妨げられ、そこで「凝り固まったというふうに」。 >後に書いてある「青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている」ということから「美しい果実(いくつかの量)が石化したように積まれている」ということでよいのでしょうか? ここは、八百屋で果物や野菜が陳列されている様子について、交響曲の「美しい音楽の快速調の流れ」が画家特有の意識を通過した結果、それが立体的な構成をもって再現された、と主人公が受け止めているところではないでしょうか。 ということで、「檸檬」は作者の音楽の感性と美術の感性との交流、融合を画策した佳品と評しうるかもしれませんね。

mokuya
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 難しいですね、読解力をもっとつけてすらすら読めるようになりたいです

  • bee1015
  • ベストアンサー率20% (83/399)
回答No.1

『檸檬』を読んだのはずいぶん以前のことですので、ここの文章だけからの判断です。 文章では「・・・音楽の流れが・・・凝り固まったというふうに果物は並んでいる。」と読めます。 「華やかな美しい音楽の快速調の流れ」=主人公にとって美しいと思える果物 というのは正しいと思いますが、 「果物が石化したように」というよりは 「果物は、美しい音楽が一瞬に凝り固まったもののように見える」=果物が、音楽を色や質量にしたものに例えられている、と思うのですが いかがでしょう?

mokuya
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ちゃんと読めていませんね・・・もっと読解力を付けます!