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人を信じるって?

今年で28歳となり、今に至るまでそれなりに人と関わってきて、 人を信じると痛く傷つくことになるのでそうならない術はそこそこ 身に付いてるように思うんです。 例えば、公衆の場所で不快な行為をする人がいてもそういう人もいる。 友達や恋人がひどい態度や行為をした時もそういう時もあるって。 特に恋人に限っては女というのは往々にしてそんなものだと。 要するに信じたり期待しすぎると自分が傷つくことになるのでそうならないように不信に繋がる事象を一般性に置き換えて自分を守ってきた。 そしてそういうものが身に付けば身に付くほど自分が他人によって ブレることなく強くなり成長していると思い込んでいて。 でもずっと傷つくことを恐れて逃げ回ってただけじゃないかな? って思うようになりました。 確かに要領は良くなるかもしれない、でも本当は、自分の芯の部分では やっぱり人を友達を恋人を信じたいって強く願っていると気付きました。 それというのも嫌なとこだけじゃなく良いとこも沢山見てきてるんですよね、嬉しい位たくさん。 だから信じるという事、自分にとって嫌な事、悲しい行為を人からされた時にやっぱりあいつは、人というのはそういうもんなんだよと簡単に割り切らずに、悲しくて辛くて心が傷だらけになったとしても、 その人の良い部分を信じて向き合いたいと思ったんです。 それが本当に強くなるってことじゃないかなって。 大人としては要領が悪くて、青臭いって笑われるかもしれない。 でも僕は友達も彼女も、というか人そのものがやっぱり大好きなんで そこから逃げたくないって。 こういう考え方ってどうなんですかね?危ういですか? 皆様のご意見をお聞かせ下さい。

みんなの回答

  • Komiker
  • ベストアンサー率16% (83/518)
回答No.3

“人を信じる”とお書きですが、“信じる”ということばをどのように理解しておられるでしょう。また、他の人の“何を”信じる、信じないとおっしゃるのでしょうか?  人はそれぞれに異ったもので、心身とも別個の存在ということを認識しておられるでしょうか。  この辺についてご自分をお検べになった上、改めてお考えになってはどうかと思えます (^_^)v

  • reki4649
  • ベストアンサー率21% (116/539)
回答No.2

ヒントだけ。 「裏切られたから自分が傷つく」この考え方自体が間違っています。 そこが判れば本当に強い自分って物がイメージできますよ。

exp001_200
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 僕の中では裏切られるっていう感覚はあまりないです。 それほど人には期待しないで生きてきたので。 でもそのせいで問題もでてきたというような話です。

  • na-san33
  • ベストアンサー率36% (124/344)
回答No.1

私もexp001_200さんと非常に似た考え方です。 私の場合まだ22で考えも未熟で悲観的なものが大半ですが・・・。 「そんなこと平気でよくできるなぁ」とか、 「もっと人に気配りしてくれ」とか。 自分が当たり前でも周りの人はひとりひとり自分とは違う。 価値観のズレが大きすぎてとても苦しくなるんです。 新しく仲良くなった人とでも。 初対面、第一印象がすごい好青年で話しやすいと感じた。 2回目会った時も話しやすく、新しく共通の趣味の話題ができた。 数回遊んだりしてるうちに、この人めっちゃええ人やし、気があう。とか思ってたりするけど、自分自身の中で「ありえん」と思うことひとつあるとそこで、「この人は無理」って壁作ってしまうんです。 「100%信じたい、信じれてた」のが100%ではなくなってしまうんです。 結局誰に対しても100%を維持することは難しい・・・。 私はここでやっぱり本当の友達なんてできないんだって諦めてました。 だけど、exp001_200さんの文を読んで感じたことは、100%はありえないんだということ。 現実がこれなんだから、これをこれとして受け入れる。 0じゃないならそれでいいじゃないか。残ったところをしっかり見ていけば。と思いました。 きっととてもやさしい方なんだと思いました。 ただ、無理して、疲れないようにしてください。

exp001_200
質問者

お礼

確かに僕からもna-san33の文から共感できる部分が結構ありました。 人と人との価値観が違うということを当たり前のように受け止めなければいけない。 それができないのは自分自身の弱さだって僕も悲観していた時期がありました。 そうなんです、苦しいんですよね。なんで?どうしてそんなことするの?って。 で、その苦しみの原因を考え、そして答えは見つかりました。 「相手は自分をあまり好きではなく、他の人と同じように嫌になればきっと簡単に離れていく」 っていう自分に対する自信の無さと相手の器を過小評価していることの相乗効果。 要するに自分も相手のこともバカにしちゃっていたんです。 でも仲の良い人って自分が後悔するようなひどいことをしても離れていかないんですよね。 そういうことがあって、僕は 「例え嫌われても僕からは大好きだって気持ちを持ち続ければきっと気持ちがいいはずだ」って思うようになって、 でもそれだけじゃまだ逃げてるんですよね。更にもう一歩踏み込んで 「きっと相手も僕のことをどこか信用して好きでいてくれてるんだ」 と思うということ。これはね・・・これは正直とても怖いです。 冷静に考えるととても。もしそうでなかったことが分かった時、 僕は想像を絶するようなショックを受けるのではと。 だから人は余計な不安で身体に負担をかけないように無意識に知恵と工夫で自分を守っていくんだなと。 na-san33さんが「この人は無理」と心の壁を作るように、僕もまた予防線を張って生きてきました。 でもまた逆に考えるともし信頼されているのにこんな不安にかられてるのもまたとても失礼な話だとも思うんです。 行動という観点で見れば元々嫌いなのであれば既に関係性は崩壊してるわけですから。 こういう経緯で僕は信じる事の意味が少し分かってきました。 相手を信じるということは相手が自分に対する想いそのものさえも信じるということ。 そしてそれに呼応するように自分も自分に自信が持てるように責任を感じ、またそれを持って日々を頑張り生きていくということ。 na-san33さんもどうか本当の友達なんてできないとか、悲しい気持ちに とらわれないでほしい。 それだけ豊かな感受性があれば、同性にしろ異性にしろ素晴らしい人を 引き寄せられる気がするんです。 そしてあなた自身もまたより素敵な人になっているはず。 だからna-san33さんの成長を信じていますよ。