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追悼

以前の勤務先の友人が2~3ヶ月前に亡くなったことを最近知りました。(50代後半、病死) 7~8年近く合っていませんでしたが、とても優しい人で、話しているとほのぼのとする人でした。 お悔やみの気持を何らかの形で表わしたいのですが、その方の住まいを知りませんし、お家族に会ったこともありません。 住所(個人情報)を調べたり(くるまで3時間くらいのところ)、お家族も突然見知らぬ人に訪問されるのもどんなものかと考えてしまいます。 皆さんはこんな気持になったとしたら、どうするのがよいと思いますか?

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  • LTCM1998
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回答No.2

追悼の「悼」は「いたむ」と読みますね。 つまり、本来は、誰かに対して何かをすることではなくて、自分のこころの中で悲しむことが追悼だと思います。(『論語』にもあります) 折に触れて故人を偲び、その人の優しさを自分も実行できないか努力してみることで十分だと思います。そうすることで、故人の思いや行いは次世代に引き継がれていくことになるはずです。 私は亡祖父の徹底した無神論を引き継いでいるので、その亡祖父に手を合わせることも墓参りもしませんが、私にとっての最善の追悼はこれだ、祖父から受けた教育を自らのものとし、次世代に伝えていくことが使命だと確信しています。

e-toshi54
質問者

お礼

ご教示、痛み入ります。 30年くらい前のことです。父が亡くなってから、文字通り「戦友」が命日に来てくれました。2回くらい来てくれました。ただ、手を合わせて帰って行きました。確か、日帰り出来ないところの人だったと思います。

その他の回答 (1)

noname#251407
noname#251407
回答No.1

故人の供養とは、残された人の安心感・満足感であると思います。  西の空に向かって手を合わせるだけでも故人には通じます。   故人のお墓が調べられれば、お花をお供えすれば・・・  近くのお寺にお聞きになれば解る場合もありますが ご家族と面識の無い場合には、無理にお尋ねしない方が良いと思います。

e-toshi54
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ・・・少し感傷的になり過ぎているかも知れません。兎に角、宅にお邪魔するのは控えることにします。

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