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いじめをしてはいけない理由
いじめを根絶したい、いじめはあってはならないという立場での質問です。 よく、「なぜいじめが起こるのか」という問いに対し、「いじめられる側にも原因があるから」という答えがくることがありますが、いかなる理由があろうともいじめはいけないことを私自身はわかります(理論的に分かると言うより人としての生き方としてわかるという感じです)。しかしこのことを本来いじめている者(ここでは中学生を対象としています)に言っても理解ができないことがあります。彼らは、相手(いじめられている者)がむかつくことをしてきたとか、暗いとかダサいからと言います。また、本来いじめをしていない傍観者的な立場の子も、その考えに同調しがちです。そこで、理詰めで「いじめをしてはいけない理由」を説明したいのですがどのような説明が一番わかりやすいでしょうか。
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「いじめは何故いけないか」ということを一から説明していくのは大変に困難があると思われます。 それというのは「いじめ」というものが極めて「原初的」なところから発生しているためです。 幼児は最初は「いじめ」というものに無縁です。 しかし幼稚園などの「社会性」がある場所に自分が参加することで「自他比較」というものが始まります。 そのことによって自分が何者か、どのようなポジションか?などの認識を行っていくわけですが、その過程の中で「他者への有利性」を明確化するなどのために他者を「蹴落として」いくわけです。 これは非常に本能的な行動です。 鳥の一種は、一つの巣の中にある卵が孵化し、他の卵の孵化が遅れている場合、雛は無意識に「あとずさり」を行い、結果的に他の卵を巣の外に追い出してしまいます。 同じようなことが、人間にも当てはまるのではないか?と私は思っています。 競争心というものが人間の「DNA」には組み込まれているのでしょう。 「いじめ」というのは、私は 「極めて本能的なもの」であり「生存本能」に近いものがある、と考えています。 昔は「本能行動」を抑制する仕組みが、日常生活の中で機能していました。 子供が悪事を働けば即座に殴られたし、先生の体罰も珍しくも何とも無かった。 そこには「有無を言わせない権力」がありました。 自分の「言い分」は後で聞くにせよ、示し…行動として即座に執行される「罰」は「絶対的なもの」を当人に感じさせる働きがあったのです。 家族間の関連性もそうでした。 「家父長制」は、理由がどうあれ「権力者」は年長者という決まりがあり、その地位は高かった。 これは同時に「実力者が一番では無い」ということを、暗黙の了解のうちに子供たちに伝える役目も持っていました。 子供たちは、そうやって「本音と建前」を巧妙に「小さな社会」に教え込まれていたわけです。 教師だって人間…されど、先生は先生。 お父さんのほうがいっぱい働いてる…でも、おじいちゃんが一番偉い。 …「いじめ」は競争心など「本能的」と言いました。 どんなに教育で「みんな同じなんだよ?」と教えても、本能はそれを拒否します。 それに対峙し、コントロール化における存在は、それが真実ではないにせよ「権力者の絶対的存在」であり、その立場ゆえに可能だった「指導力」でした。 クラスというのは小さな社会です。 社会というからには権力者が必要です。 権力者の存在意義は文字通り「権力の行使」であると同時に「責を負う存在」でもあります。 「責任者でもある」ということですね。 責任者がいることで、他の人間(生徒)は自由に自分たちの行動を展開することが出来、そしてその反面「権力者」の鉄拳制裁が待っているか?と思うと、軽々しく自己本位の行動に走ることが出来なかったわけです。 今のクラスは、どうでしょうか?。 権力者ではなく責任者でもなさそうな教師。 制裁を恐れず、のびのびというと聞こえはいいが「無制御」な生徒。 …このような「コミューン」で、どうやって「小さな社会」が成立できるでしょうか?。 わたしは「大変に難しい」と言わざるを得ません。 私は「昔に戻せばいい」とは単純には考えません。 しかし「今までのもの」に変わるものを創造、成立させ、継続させていくというのは「恐ろしいほど」大変な道程であると思います。 私はこの場で何回か書いているのですが 「国民的プロジェクト」を踏まないと「いじめ問題」は解決、もしくは低減なんてしないと指摘してきました。 「理詰め」で行っていくとしたら、国家的プロジェクトの元、法制化してでもやらないと「絵に描いたもち」になると思うのです。 それくらい遠大で、難しい問題だと私は思っています。
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- disease
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100%無理でしょう。 いじめは大人にもあるし、政治家は常に野党と与党でヤジの飛ばしあい、さらい国同士では殺しあう戦争といういじめがあります。 戦争ビジネスを無くすことはできないし、人から争う心を取るのは不可能です。 もともと生き物というのは強いオスが強いメスと交配し、よりよい子孫を残そうという本能です。 力が強いものが弱いものをいじめるのが普通なんです。 人は理性である程度コントロールできますが、完全にコントロールするにはアンドロイドにでもなるしかないでしょうね。
お礼
ありがとうございました。
- shubal
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俺はいじめはその子の甘えやと思てきた。つまり自分と他人の区別がついてない状態のときに起こるやろうな。他人と自分とを区別して尊重するっていうのが、この社会の基本ルールやしな。悪意を持って他人に干渉することを禁止するしかない。その場合、明確な社会的懲罰を与えるしかないと俺は思う。悲しいことやけど。他人に悪意を持って接触することのリスクを教えるしかないわ。いや、社会にはいろんな意見を持った人がいて、それは間違いやとは言い切れん。人間の性根をカウンセリングとかで健康な精神の方へ誘導しようというような方法はいいと思う。そやけどそれでは間に合わへんにゃ。各中学校にカウンセラーを置くということを日本政府はせえへんやろ?それと他人にちょっかいだす子でも頭のええ子は、この社会がいかに不条理かということに気づいてるやろう。日本ですら生活格差はものすごいもんがあるし、価値観と言える価値観を正確に真摯に語れる大人がいるかっていうと、それすら怪しいもんや。ということは、そういうモラルや自分の頭で考えた価値観や人生観のおぼつかん親が、主に子供の広義での教育を担てるわけや。これは決して楽観的に考えることはできひん。俺は以前から子供の躾や成長過程に合わせてケアできるのは親の方で、学校はサブやと思てきた。俺には二人の子供がいて、もう二人とも成人したけど、彼らを育てててつくづく親の責任は重いなと思たな。よほどでない限り、おばはんみたいなんが学校に怒鳴りこんでいくっていのは、どうなんやろうと思てたな。 子供にわかって欲しいのは自主的な社会的倫理感を持つことと社会のさまざまな場面でのルールを守る、あるいは破ったときには罪悪感を持てる人間になって欲しいということやろう?それは十分俺みたいな人間にもわかるんやけど、なあ…。さっき不条理って言葉っこたけど、この民主主義か資本主義か知らんけどな、めちゃくちゃな社会やん。だってな、「合法的に戦争ができる」社会なんやでいまだに。それを子供に聞かれたら、なんて答えていいか俺にはわからんね。実際にアメリカやロシア、アフリカのあちこちで、やりきれへん殺し合いやってるやん。ほんまやりきれへんことやし、子供らにとっては、そんな社会の代表が俺ら大人やねん。なんか脱線してしもたかもしれかけど、いまの社会に生きる人間として、いじめをした子供に胸はって、それをやめろと言えへん。あえて言うなら、「お前らが大人になったら、この社会のいびつなとこを正して欲しい。お前らは俺らの、冗談なしに希望なんや」って言うのが俺にはやっとや。 ほんまに俺違うこと喋ってるのかもしれへん。もうこの文章書いてたら、なんかほんまにやりきれへん気持ちなってきた。ゴメンな、論理的でのうて。
お礼
ありがとうございました。お気持ちありがたく受け止めます。
- injya
- ベストアンサー率50% (6/12)
以前新聞か何かで読んだのだと思いますが、「なぜ人を殺してはいけないのか?」を子供にどうわからせるか、という課題を有識者の方々にいろいろ求めたのだそうです。そして誰だったか忘れましたが、わかりやすいのではないかというもののひとつに、「殺したらいずれ殺される」というものがあったように思います。 いじめの背景には、きっと恐怖があるのだと思います。そして自分よりも弱いと認識した者を何らかの形で攻撃することである種気を紛らわせているのではないかと・・・。 学校という本当にちっぽけな世界で、自分を誇示したところで年をとれば、いやがおうでも社会というもっと大きな世界に押し出されていきます。いずれ自分なんてちっぽけな存在だと言うことを否が応でも思い知らされます。力で何かを解決しようとする者は、必ず力で滅ぼされます。少なくともそんな事実をしっかりと伝えていけばいいのではと思います。どうしてあのときに行ってくれなかったのと言われるのが嫌だから、君たちに伝えるけど・・・、的な感じで、後は自分たちで考えさせればいいのではないでしょうか。若い頃は誰でも反権力的です。押しつければ余計に逆らいます。質問者の方の質問に少し外れるかもしれませんが、私は理詰めより、情に訴えるという方がいいように思います。
お礼
ありがとうございました。
- syuitilwo
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「ONE FOR ALL, ALL FOR ONE」の合言葉の様に集団の一員としての自覚、心構え等を論じて諭すのが良いのではないでしょうか? イデオロギーを語れと言いませんが、グループとしての活動をする上でいじめの行動は一欠けらの益をもたらさない。と説明するのも良いかと思います。
お礼
ありがとうございました。
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お礼
ありがとうございました。とてもわかりやすいです。