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国鉄時代の高崎線・上越線
民営化前というか、けっこう昔は高崎線の上野発長岡行の運用があったのを聞いたことあります。 その運用は全て115系での運用だったのですか? 高崎線に211系投入後、211系が上野と長岡を往復したことも少なくてもあったのですか?
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- kuni-chan
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回答No.3
これまでの回答の通りです。 少し補足しておきます。上野口に投入された211系は5両編成で、3編成を連結して最大15両編成で走ります。 編成にはセミクロスシートとロングシートがありましたが、ロングシートの編成が多かったと思います。これは上野口のラッシュ対策の為です。 当時はまだ115系が大量にいましたので、混雑する方に収容力のある211系を使用したのは当然の策で、長岡方面へ使用する余裕はありませんでした。
noname#109588
回答No.2
長岡行は1日3本ありました。 早朝の723M、昼過ぎの731M、それと733M上越夜行です。 どれも上野方にクモニ83+クモユ141を併結し115系の7連または11連で運転されていました。 211系はありませんでした。
- 風車の 弥七(@t87300)
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回答No.1
元国鉄職員です。 長岡は115系でした。夜行も1本ありましたよ。 ただ長岡行きはもう国鉄時代に消滅しました。 211系は民営化直前に開発された電車ですので、長岡には行っていません。
補足
その上野初長岡行の列車の消滅後でも高崎初長岡行の普通列車はしばらくの間、あったのでしょうか?今はもうそれさえもなく高崎初の上越線は全て水上止まりですよね。