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家庭が壊れました
僕は16歳の男子高校生です。このサイトの別のジャンルでいつも学んでいましたが、今日は、僕自身のことでの相談です。よろしくお願いします。 家族は父母と僕の3人でした。父が先月、3年間の病気の後で他界しました。癌でした。とても悲しいです。父は子供の時からいつも僕をかわいがってくれたし、勉強も教えてくれました。本当に大好きな父でした。 未だ、父が死んだのを信じられません。 母は仕事をしていなかったので、いつも家にて、美しく優しい主婦でした。父とも仲良しでした。 父が発病してから半年くらいから、仕事に就くことになり、ほとんど毎日出かけました。父の話ではこれからも経済的には心配はないので、お金のために母は働く必要はないけれど、気がまぎれるので働いたらよいと言っていました。 母も僕も毎日夜に父の病院に会いに行っていましたが、母は次第に忙しくなって、面会時間中に来れない日が多くなりました。仕方ないと思いました。 でも、ある夜、勉強が終わって寝る前に母にお休みを言いに行こうとしたら、寝室から母の電話している声が聞こえました。聞いたらいけないと思いながら耳に会話が飛び込んできました。相手は父ではなく、知らない男の名前だと分かりました。母の話し声がとても女の人らしい変な声でした。気まずいので、一度部屋に帰り、後でもう一度母の寝室にきたらもう会話が終わっていて、少し上気した顔で母がお休みと言いました。 そんなことが、よくあるようになりました。そうして、母が一段とおしゃれをして出て行き、帰りも遅くなりましたし、父のところには週末にしか行かなくなりましたし、行った時にはなんとなくよそよそしい感じでした。きっと仕事が忙しいと思いました。 でも、僕は母がすっかり変わったと思いましたが、理由は分かりませんでした。 そんな状況の中で、父が亡くなりました。母は余り悲しそうな感じはありませんでした。 父の葬儀の前に親戚が集まりましたが、その時、父のお兄さんが、静かに、母に対して、分かっていると思うが、あなたは葬儀にでる資格はないと厳しい表情で言いました。母は青ざめて出て行き、それきり帰ってきません。僕は親戚の人たちに母を呼び戻して欲しいと頼みましたが、皆で母はもうお前の母でなくなった。お父さんにも、僕にも人間として絶対にしてはいけないことをしたから、と言いました。何のこと分かりませんでしたが、一人のおばさんが、お母さんはあなたたちを捨てて、別の男の人のところへ行ってしまったから、あきらめようね。と言われました。それを聞いて、母のこのところの変化や夜の会話が分かりましたが、急に気持ちが悪くなり、恥ずかしい状態になりました。 悲しい葬儀の後、叔父の家で当分は過ごす事になりましたが、母も居ないし、寂しくてどうしようもありません。それ以上に、母のしたことを思うと、不潔さや父に対するひどい仕打ちにめまいがします。 夜も飛び起きますし、歩いても大声で叫びます。父のためにも、なんとか落ち着こうと思います。 どう言う心を持ったらよいでしょうか。どうか、教えてください。
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Dear kentaさん 昨晩書いたメッセージはなんだか簡素化しすぎてしまったので、 少し補足させて下さい。 >医学・医師の道を決めた僕にとっては、個人的な領域の心の葛藤のレベルより、むしろ人 >類、地球に対して何をさせてもらうのかを考えることから進めた方が合っているように思 >います。 私は、個人的な心の葛藤も、人類に対しての役割も、同じレベルで大切だととらえています。 世界で起こっている事象は、頭で考えると複雑な事情が絡まりあい、 いっけん難解に感じることでも、掘り下げて根源を見据えると、 個人的な感情に基づいている、と感じます。 さまざまな立場の、さまざまな人間の感情が、世界を動かしているのです。 だからこそ、個人的な心の葛藤を大切にし、自分自身の心と向き合い、 なにより自分自身を大切にする人こそが、 本当の意味で自分以外の人たちを大切にできる人だと私は感じます。 自己犠牲的な意識があると、本質からそれ、どこか自己満足に陥りがちになり、 気が付かないうちに、相手と対等ではなくなってしまいます。 人を人として理解するのは、国境を越えようが越えまいが、変わりません。 人を理解するのには、自分を通じて理解するほかないと私は思います。 そのために感情が必要です。嬉しいから、とか、悔しいから、とか。 そういうシンプルな感情が発端で、頭で考え構築された世界がある、というか。 目の前の人の心に共感し、その人のことを自分のこととして感じられるかどうか。 NGOや医学に携わる人には、なによりも必要な要素ではないでしょうか。 「つらさ」を本気で理解したことがなかったら、 目の前の相手のつらさに対し、本気で涙することはできません。 >こう言う領域からは、個々人の心象についての直接的なものは得られないかもしれません >が、狭い考えや、了見、感情から一度、自分を解き放ち、何をしているのか、何の意味が >感じられるかをつかむのには良いと思います。 賛成です。 そうやって視野を広げることでみえてくるものが多くあります。 私は、そのために、先程おすすめしたような方々の視点を通じて、 日本で生活しているだけでは見えてこない世界で実際に起こっていること、 そこで人々が感じていること、 それらをそのまま感じてみることをおすすめしたい、と考えました。 「今の自分がこうだから」と「今」に焦点を当て現状について考え込むより、 「未来にこういう自分になるために『今』なにをするか」という視点で考えた方が、 よりポジティブで意味のある向かい合い方だと感じます。 「世界の人たちと共にある自分」を将来的に想定されているのなら、 その「未来の自分像」を明確に描くための材料になる気がします。 >>また、相田みつをさんや、茨木のり子さんの詩も好きです。 人の「心」を知るために、自分の「心」を知る。 彼らの詩は、人間の感情を美化するのでもなく、つらいものはつらい、ダメなものはダメ、 美しいものは美しい、豊かなものは豊か、それが当たり前なのだと、 つまりは、自分は自分のままでいいのだと、教えてくれる気がします。 私自身、自分の弱さを受け入れられたとき、世界が広がったように感じます。 豊かな感受性を育んで下さい。
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- mi-nilyann
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追伸 kenta8811さんへ 強く強く 自分の道を歩き 断ち切れない思いを 一つずつ一つずつ 心の底のおもちゃ箱に片付けて 真っ直ぐ 素直に くじけず 歩んで行き 必ず 夢は大切な人の 思いにつながる。 時にはなみだするのもいい 立ち止まるのもいい 歩みだけは止めてはならない 心こそ大切 貴方の心こそ 私の息子への思いと kenta8811さんへの思いは同じです。 強く歩んでもらいたい。 返信無用
お礼
mi-nilyann様 重ねてのアドバイスありがとうございます。 ともすれば挫けそうな気持が頭をのぞかせそうになりますが、いただいたお言葉を胸に、一歩一歩踏みしめながら、前を向いてまいります。 その向こうにはきっと心が晴れる空が広がっていると思っていきます。 本当に温かく、強い励ましのお心とお言葉をいただきましたことに感謝したします。他人の僕にこのようなお気持ちを頂けるなんて、うれしくて涙が出てきます。 心からお礼申し上げます。ありがとうございました。嬉しさの余り、お礼を書いてしまいました。お許しください。
- mi-nilyann
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はじめまして、 辛かったですね。 貴方はお母さんに何を求めていますか? やはり、母親としての自分の前に居てほしいという気持ちでは ないでしょうか? お母さんもまだ、若いし、弱っていくお父さんを見ながら 将来一人になってしまう不安と寂しさが先に きてしまっただけではないでしょうか? 貴方も大人になって、結婚した時に 初めて気がつくこともあるでしょう。 お母さんと話し合わせてもらいたいということを、 もう一度、親戚の方に相談されたほうがいいですよ。 納得した状態で 次に進むことも大切です。 お母さんに子どもとして、 自分の思いをぶつけなくては、 心がはじけてしまいますよね。 その代わり、 貴方の思っていることが 伝わらない時もあります。 それは、しっかり心に留めておいてください。 ショックが大きくなってしまうおそれがあります。 結果がどのようになろうとも、 強く生きていってください。 貴方には親戚の方もお友達もいらっしゃる。 亡くなられたお父さんの心、思いだけを大切に生きていってください。 私の子ども達も 貴方と同じくらいの年に、離婚した元夫が 癌で他界しました。 娘には伝えてありましたが、 息子は高校受験だったので病名を伝えていませんでした。 亡くなった日息子は唖然とし 空白状態でしたが、 今では、大学へも行き 頑張っています。 私という存在よりも 友人や担任の先生が大きな存在だったみたいですよ。 御自身が納得し、 次の新たなステップにされることを祈ります。
お礼
ありがとうございました。 お子さんのことをお聞かせくださいまして有難うございました。 私の母は病苦の父を見捨て、その死の時にも立ち会わないと言う人間性を捨てた人です。 私としては、そう言うことはどうしても信じられませし、そう言う人が母だったと言うことが残念です。 僕の心の母はもういません。単に動物としての母だけがおり、私は生涯その人に会いません。従って、恨む対象にもなりません。記憶の外に消えつつあります。 他の方のお礼にも書きましたが、父の影響もあり、その闘病と死に向き合って、僕は医の道に進む決心しています。 頭では分かっていても、心の整理には時間がかかり、ここに相談しにきました。大分、気持ちが楽になりました。 ありがとうございました。
まだ二十歳前なのにお辛い状況のようですね。 お母さんは不倫していたということでしょうか? お父さんが大変な時にそれはさすがにひどいと思うし、親戚の方の言うことの方が正しいけれど、お母さんはたぶん弱っていくお父さんを精神的に見ていられなくなってしまったのかもしれません。 私も去年の5月に母を肺がんでなくしました。 もうすぐ一周忌で最近は精神的に落ち着いてきたけど、最初のころは私も精神的にしんどかったですよ。 誰でも大事な人をなくした後は精神的に不安定になるものです。 それは時間がきっと解決してくれますから大丈夫。 周りの大人にうまく甘えることで精神的に楽になることもあると思います。 16才ということはもうすぐ高校2年生くらいかな? 独りぼっち同然になっちゃったから辛いでしょうけど、勉強と部活だけは頑張ってね。 お父さんがきっと守ってくれてると思うから。 ついでにこれからのことをおじさんたちと考えるのもいいけれど、市役所の窓口に行くことがあったら色々と聞いてみるのもいいですね。
お礼
ご自分のお辛いことを出して、アドバイスいただきまして深くお礼申し上げます。その前に、深くお悔やみを申し上げます。 時間が大切なことがわかりました。自分の心をしなやかに、でも負けそうになるのに自分で必死で耐えて行きます。 父の辛さ、無念さを思い、また、父の与えてくれた心の遺産を生かして医の道に進むことにしました。 母は最早、人間としての母ではなく、動物としての母となりました。心は最早、つながっていませんので、一生会いませんし、恨むこともありません。 ご親切なアドバイスをいただいてうれしいです。ありがとうございました。
家庭が壊れました→壊して行った・・・・では無いんですか。 自分も親(母親)離婚で×でも巣立ち迄親業は責務で果たして来ました。 身内の方が言う事が正論と思いますけど、完全に裏切りと思う思いは同じ様な経験を子どももして居ます、養育費の踏み倒しです。 高校入る段階で行きなり止めた、これって裏切りですよね・・・・ 金銭的な裏切りです、真綿で首を絞める行為と私は同じ位子どももうち拉がれていると思います。 親とは経済的支援と身体的支援と両極を補い係わりをする存在と思えるんです。 質問者さんは身体的支援(精神的部分で)の添え木を奪うと言う行為です。 親とは両輪で動く車と同じと思えば、どちらも大切で失う事も出来ないと存在その物ではないか・・・・・ >夜も飛び起きますし、歩いても大声で叫びます。父のためにも、なんとか落ち着こうと思います。 <親を越える大人力を付ける事です、それには何をしなくてはならないかに尽きると思う。 家の子は自立出来るライセンスを目指し、今はその世界で自立して居ます。自立出来る精神力と自活出来る経済力で自立です。 それを目指す意味で、親を越える亡き親父さんの無念を晴らす意味で良い意味で親父越えをする事です。 それには、メソメソ出来ない自分がいる筈です、自立に向け進路を真剣に問う時期も近いとも感じます。
お礼
アドバイスをありがとうございました。 前の方にもお伝えしたように、僕は医の道に進むことにしました。それは父の影響と父の闘病、死に向き合って得た結論でした。 それに向かって、これから頑張ります。 有難うございました。
- msbaker
- ベストアンサー率23% (17/71)
お若いのに本当にお辛い思いをされましたね。お父様のご冥福を心からお祈り申し上げます。 お父様はお元気だった頃あなたをとてもかわいがってくださり、勉強も見てくださったとの事、あなたのことを心から愛しておいでで、あなたはお父様にとって自慢の大事な息子さんだったんですね。お父様はきっと今、天国からあなたを温かく見守ってくださっているはず。お父様のお気持ちにこたえるためにも、お辛いでしょうがどうかここは頑張って、お母様のしたことを恨むよりも(人を恨むことは人生にとって何のプラスにもなりません)、勉強やスポーツやお好きな事に集中され、お父様のような優しくて立派な大人の男性になって下さい。あなたが社会にたくさんの貢献をする素晴らしい人になってくださることを、お父様は何よりも望んでいらっしゃるのではないでしょうか。 私の友人に子供の頃、あなたよりもっと幼いときに親御さんをなくした人たちが何人かいます。きっとあなたのように随分辛い思いをしたのでしょうが、みんな心の温かい素晴らしい人たちで、私はいつも彼らの生き様から様々ことを学び、彼らを人生のお手本にしています。 あなたもきっと素晴らしい大人になってくださるはず。お父様のためにも頑張ってください。応援してます。
お礼
父へのお言葉とアドバイスをありがとうございます。 お読みしていて、大好きな父との時間、深くて輝く言葉やアイデイアを思い出して、涙が止まりません。こんな弱虫ではいけないと思いますが、止みません。せっかく力付けていただいているのに、恥ずかしいです。 前のアドバイスを頂いた方々に書きましたように、僕の人間としての母はもう居ません。動物としての母はいますが、そんな動物に恨むことはありえませんし、僕の心と記憶の外に追い出しました。だから。生涯、会うことはありません。 父はいつも、僕に社会のためになること、人間の未来につながることを しようね、と言っていました。 父の闘病の3年とその死に向き合ってきた時間の中で、僕は医の道に自分の生涯を捧げたいと心に決めました。それは、父が子供のころから話してくれた”シュバイツァー博士”の生きた道に大きく影響を受けたとお思います。父もきっと喜んでくれると思います。 そう言うことを決めていたので、人間の道に反することをした母はもう、僕の母ではありません。母は僕に許しを求めるのではなく、神に求めたらよいと思います。だから、母を恨むことはありませんし、恨む程の価値もありません。残念ですが。 あと2年で大学受験ですが、心のある医の未知を学べる可能性の高い大学へ進学することを目指しています。そうして、父に入学式に一緒に来てもらいます。 暖かいアドバイスとエールをありがとうございます。 本当にうれしいです。
- shingo4508
- ベストアンサー率8% (3/37)
本当に辛く苦しい状況だと思います。 でも、あなたの責任ではないし、あなたにはどうする事も出来ません。 残念ながら前を向いて、一生懸命勉強し、一人の男として独立するしかありません。 どうしても、お母さんを呼び出して責めたいなら、それも良いが何の解決にもならないと思います。 頑張って下さいね!
お礼
ありがとうございます。 僕の心の母はもうこの世にはおりません。動物の母としては存在するかも知れませんが、心のないものは受け入れられません。 NO.2でアドバイスいただいた方へのお礼に書いたように、母とは生涯、会いません。忘れます。 僕は父を思って、自分を育て、いつも自分を父に報告していきます。 アドバイスありがとうございました。
若いのに大変苦労されましたね。 大人の汚い部分を見てしまったみたいですね。 現実は現実でくつがえせません。 しっかり受け止めて強く生きてください。 大変な辛い出来事ですが、その経験があるからこそ、 同じような経験をしている方の思いがわかるはず。 お母さんを恨んだりしては、いけませんよ。 恨んでも何も変わらない。 お父さんの為にも立派な人になってください。 人生は荒波ばかり。 そして、あなたの人生はまだ始まったばかり。 環境、状況に負けず強く生きてね!
お礼
ありがとうございます。 未だ気持ちが整理できません。 母に対しては、辛い闘病の間も、死を迎える時も父を支えなかったばかりか、父を見捨てて、他の男性のところへ行ってしまったことは絶対に許せません。それはやはり、最も基本的な人間性の問題です。どんな理由があっても、許せません。 母と息子と言う生物的な関係はあっても、心の関係はなくなりました。もう、母という心の存在は消しました。 母とは会いませんし、関係のない人にしてもらおうと思います。 あとは、自分で心を育てていきます。 ありがとうございました。
- orangezzzz
- ベストアンサー率35% (401/1119)
こんばんは。 男子たるもの、16歳なら大人の自覚を持つべし。 世の中には中学を卒業して自立している人はたくさんいます。 そして一日も早く父の背中に追いつくことを目標に生きてください。 応援します。
お礼
ありがとうございます。 頑張ります。
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お礼
sartiala様 こんにちは、昨夜は中途半端なメイルで失礼しました。 ここで教えていただいた「自分に向き合う」、「人ともに感じ、思う」と言うことはきっと大切なことなのだと思いますが、いつの日かそのようになることを目指していきたいと思います。それはきっと日々の生活の中で体得していくものでしょうね。 最近、僕の心をとらえた本があります。S・リンポチェ(チベットからベトナム、パリへ亡命した僧で宗教哲学者)の「チベットの死者の書」、E・カスタネードの「無限の本質」、E・サイ-ドの「世界の多様性」などですが、人は人のために何をしたらよいのかについて深い心の領域で語っていて、共鳴できます。決して押し付け的な思想ではなく、精神性の高い吐露はすごいです。 僕は性格のためか、どうしてもこのような方向にひかれます。 今日は休校だったので、父の主治医に会いました。休診日ということでゆっくり話をしてくれました。僕の医師への道の志をとても喜んでくれました。 その時、彼が言った「難しい手術に父と一緒に心を合わせて挑戦させてもらったことに感謝と誇りを持って、父に感謝、尊敬をしている。ただし、救えなかったのとは医師としての消えない責である」 とい言う言葉を聞いた時、医者は患者と共にあることを強く感じました。この方は世界でも有名な医師であるのは、この姿勢があるからだと思いました。 なんだかまとまりのない書き方になりました。ごめんなさい。 これから、陽光を楽しみに行ってきます。 kenta
補足
smartiala様 こんばんは、kentaです。メールを差し上げてから、天気が良いので散歩に出かけました。行き先を考えないで歩き始めましたが、急にポスターで見た阿修羅像を見たくなりましたので、歩いて東博へ行ってきました。平日で空いていたのでゆっくりと阿修羅に対面できました。 そのうちに、何故かいろいろなことが思い出されましたが、阿修羅を見ていたら涙が溢れてきて居る僕と一緒に涙を流してくれているように感じました。でも、ふと気づくと静かに微笑んでいます。これはなんなのでしょうか。何故かその前では素直に自分らしくなれます。阿修羅のことは詳しくは知りませんが、人の心と共に居てくれるような救いがあるように思いました。本当に素敵な阿修羅です。 宗教、宗派を超えたなにか「人らしさ」が感じられます。 こんな気持ちをいつも持てたたらいいなあ、と考えながら帰宅しました。こんな医師ならきっと万人を救うのでしょうね。 そう言う心のあり方に近づきたいです。 興福寺でよく対面しますが、今日はまったく別の阿修羅でした。 教えていただいた相田みつおさんの「生きていてよかった、にんげんだもの、いのちーいちばん大切なもの」と茨木のりこさんの「自分の感性くらい、言葉のさやげ」などをアマゾンで取ってみようと思います。 お忙しいのに、お甘えして拙いことをお書きしてごめんなさい。 でも、また教えていただければ本当にうれしいです。 長い中断で、本当に失礼しましたが、僕のことを未だ覚えていて下さることを祈っています。 kenta