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重度の知的障害の息子をもって

1歳になる息子がいます。 初めての子供です。 2月に入り、重度の知的障害がわかりました。 大金もかけ、辛い不妊治療の末の妊娠。 妊娠中も、切迫流産に子宮内胎児発育遅延と、入院を繰り返し 心配は尽きませんでした。 無事に男の子が生まれ、主人が長男ということもあり、 あととりが生まれたと、周りの喜びもひとしおでした。 小さく生まれているので、運動の遅れだけと思い込んでいたのに、 まさか知的障害があるなんて、生まれて初めての衝撃でした。 息子はおすわりができずに(座らせたら座るが倒れることが多い) 寝返りも、うつぶせから仰向けはできるけど、いつのころからか、 その逆ができなくなりました。 うつぶせで顔を上げますが、ずりばいはまったくできません。 四肢に麻痺はなく、表情は乏しいですが、笑わせると声をだして、 喜びます。オモチャは大好きですが、ただ舐めるだけで、 ルール的なものはありません。 ものまねもなく、人見知りもありません。 2週間ほど前、左手でオモチャがつかめなくなり、 麻痺のような症状がみられ、それはそれは心配しました。 (結局、整形外科的なものでした) CT、MRIまで撮って、急を要するような出血や腫瘍はないが 普通の1歳児と比べて、少し脳が小さい、、今後の 発達によっては分からないというものでした。 歩ける保障もなく、言葉に障害が出るかもしれないが、 今の段階、年齢では、何とも言えないということでした。 主人の家族は協力的な姿勢ですが、私は申し分けなくて、 顔を合わせられません。 防げなかったことにせよ、自分を責めてしまい、死にたい。 と本気で思ってしまいました。 周りは墓参りをしなさいとしきりに言います。 私的にはたたり呼ばわりされている気がして、 卑屈になってしまいます。 墓参りしても、なぜ自分だけこんなめに!神様なんていない!と 素直に参っていない自分もいます。 今後は受け入れては悲観する繰り返しだと思いますが、 少しずつ強くなって、この子を命がけで守りたいと思います。 現在、療育の手続きをすすめており、自分は情緒不安定のため 精神科に通っています。 子供の世話と家事は最低限できています。 子供が寝てから夕食を作りはじめるくらい、遊んであげています。 刺激を与えてたくさん遊んであげてとドクターにいわれ実行していますが、同じ境遇の方や専門家の方、今、親としてしてあげることで アドバイスがあれば、お願いします。 また、こんな言葉に励まされた、、この本に救われたなど、 なんでもいいので情報をください。 現状はかわりませんが、前向きになれるきっかけになれば と思い質問しました。 長文失礼致します。

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  • chacan2
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回答No.17

#14です。自分の回答を読んで、もしかしたら言葉足らずだったのではと心配になり再度書いています。(気にされているとは返信にはありませんでしたが)「頑張ってくださいとはいいません」と書いたのは、自分以上に頑張っている人に、そんなことがとても言えなかったからです。 耳の件、心中察すると同じ母親として本当に胸が詰まる思いです。私がその立場なら受け止められるだろうかと思うと、私程度の器量で無理ではないかと思ってしまいます。 宗教的な話をするのはあまり好みではないし、私自身、無信教に近いのですが、以前読んだ、または聞いた話では、障害があって生まれたお子さんは、天界では高層級の魂だそうです。来世、または来来世には天界人となる魂で、最後の修行として神(仏だったかしら?)が与えた試練なのだそうです。いわば天使のような存在であり、その高貴な魂を預ける相手(つまり両親)は、選ばれた存在なのだそうです。神(仏?)が「この親であるならば、天界人となる魂を大切にするであろう」と見込まれた相手だそうです。 宗教的な話なので、真剣に読めないかもしれませんが、そう思えば、健常児の親に対して、「私の方がより立派な母親よ」ぐらいの精神でいらしても良いです! むしろ、それぐらいの精神で大きく構えても、罰が当たらないのではないでしょうか? (思うのは自由ですものね) 実際、大きな心配を抱えながらも、家事もちゃんとこなしていらっしゃるとのことで、「歯を抜いて痛いから、今夜の夕食は手抜き(お茶漬けとも言う)でいいや」となってしまった今日の私など、穴があったら入って、更に土をかぶせたい心境です。 お子さんの将来のことを考えると本当に心配ですよね。でも「登校拒否」「いじめ」「自殺」「家庭内暴力」「ニート」「犯罪者」と健常児でもレベルは違えど杞憂はあったりします。「自立できるのか」という心配はどんな親にもあります。「うちは健常児だから自立は出来る」なんてのんきに構えている親は多くはいない気がします。(きっと障害児の自立ハードルは比べものにならないほど高いと思いますが)健常児だからこその親が助けられない種類の事も多々あります。 障害あるなしに関わらず、親が出来ることは子供を信じること、子供を守り出来る限りの力になる、それしかないですよね。 私の弟は38歳で脳梗塞で半身麻痺、言語障害になりました。72歳の母は親として出来る限りの事をしようと必死になってます。リハビリなども老体にむち打って手伝っているようです。(私も手伝いたいのですが、子供がいることと離れて住んでいるので難しいのです) いくつになっても、母親は子供のために必死なんだなと痛感しました。私もこの先、子供のことで色々な困難に直面しても(きっとするでしょう)、皆さんや母のように受け止める努力をしなければならないと、改めて思う次第です。 徒然と書いてしまい、もしもお気に障るような書き方があったら本当にすみません。健常児の親のくせにとお思いならもちろんそう思っても全然かまいません。その気持ちがもしも何かの糧になるようなら。

yama91403
質問者

お礼

>「頑張ってくださいとはいいません」と書いたのは、自分以上に頑張っている人に、そんなことがとても言えなかったからです。 chacan2様の優しいお気持ち、ちゃんと伝わっていましたよ。 >障害があって生まれたお子さんは、天界では高層級の魂だそうです。来世、または来来世には天界人となる魂で、最後の修行として神(仏だったかしら?)が与えた試練なのだそうです。いわば天使のような存在であり、その高貴な魂を預ける相手(つまり両親)は、選ばれた存在なのだそうです。神(仏?)が「この親であるならば、天界人となる魂を大切にするであろう」と見込まれた相手だそうです。 何度も何度も読んで、涙がとめどなくながれました。 感動の涙です。 主人も心がすっきりした!と、かみしめておりました。 夢物語でもいい。  障害をもつ人の家族に是非とも読んでいただきたいと思いました。 外に出ると、例えば買い物先のスーパーで、この中で私が一番 不幸だ。なんて、とんでもない傲慢な思いにかられることがありましたが、chacan2様の回答以来、背筋がピンと伸び、堂々としている自分に気づきました。 >私の弟は38歳で脳梗塞で半身麻痺、言語障害になりました。72歳の母は親として出来る限りの事をしようと必死になってます。リハビリなども老体にむち打って手伝っているようです 息子の件以来、新聞やテレビで悪質な犯罪や自殺をきくたびに、 元気な体と考える頭があれば何でもできるじゃないか! もったいない! と、強く思った時に気づいたのです。 私だって、若さと元気な体に恵まれているのだから、 なんでもできるんじゃないかって。 世の中には何十年も他人を看病している人だっている。 お腹を痛めて生んだこの子を育てられない訳がないと そう考えたら勇気がわいてきました。 chacan2様の回答で夫婦で心地よい時間を過ごせ、 希望と自信がわきました。 ありがとうございました。

その他の回答 (22)

回答No.2

こんばんは。 教員です。知的障害のある子どもたちとも、障害のない子どもたちとも、日々一緒に過ごしています。 私も人の親ですが、 障害のある子の親御さんたちの苦労は、本当に、傍目にはわかりにくいけれど、大変なものであるだろうと想像いたします。 ただ、 こんな言い方すると語弊があるかもしれませんが、 知的障害のある子どもたちは、天使のような一面を持っていることが多いです。 私の知っている、何人かの子たちも、天使のような子たちでした。 「発達」は、大人になる上で必要な過程ですが、気持ちの良いものばかりではありません。 たとえば、「反抗期」だって、精神的発達の大きな一過程です。 荒れている中学校で、子どもたちが万引きしたり、タバコふかしたり、ケンカしたり。 そういうことだって、多かれ少なかれ、精神的に発達してきて不安定になってきたから、起こりうることなのです。 「天使のような子どもたち」には、ときとして、そういう一面が見られないことがあります。 年齢より、良い意味でも、悪い意味でも、幼いのですよ。 8歳、9歳にもなって、足し算ができない子がいます。きちんと椅子に座って待てない子がいます。 でもその子たちは、純粋なのです。 人から騙されることはあっても、人を騙すことをしりません。 人からあざけ笑われることはあっても、人をあざけ笑うことをしりません。 人から馬鹿にされることはあっても、人を馬鹿にすることをしりません。 そんな子たちを見ていると、こちらがいやされることは多いです。 小学校では、知的障害のある子たちというのは、得てして人気者なのですよ。 自分の劣等感を隠すために、自分より弱い者を笑う、心ない子もいるでしょう。 でも、その年齢にふさわしくない「幼さ」「純粋さ」ゆえの可愛さに、一緒に遊びたがる子たちは大勢います。 手はかかります。 大変です。 ほんの少しのことを教えるのにも、本当に根気と忍耐がいります。 でも、可愛いのですよ。とっても。 手がかかる子ほど、かわいい。それも事実です。 そして、私自身、どれだけその子たちに成長させてもらったことか。 忍耐と希望、諦めてはいけないこと。 大人の醜さ。 その子たちから教えてもらったことは、少なくありません。 神様は、乗り越えられない試練は与えられません。 天使の話を知っていますか。 赤ちゃんたちが、産まれる順番を待って、神様の前に列を作っていたそうです。 そこに、顔に大きなあざのある子がいて、とてもうれしそうに喜んでいました。 「なぜ、そんなに嬉しいの?」 そう聞くと、その子はこう答えました。 「だってね。このあざは、神様が、僕なら乗り越えられる、そう思ったからくれたんだ。このあざは、僕の勲章なんだ」 と。

yama91403
質問者

お礼

>成長させられる、、、 素晴しい職業にお付ですね。 >忍耐と希望、諦めてはいけないこと。 大人の醜さ。 実体験で教えられたこととあって、 胸をうちます。 確かに、息子には後ろに羽があって、飛んでいるような 、それこそ天使のような錯覚を覚えます。 見つめあっていると、悩みも忘れるほど癒されます。 天使の話、感動しました。 障害を否定することは、息子自身を否定していることになると 気づきながらも、暗闇から抜け出せずじまいですが、 少しずつ足を前にすすめていきたいと思います。 ありがとうございました。

  • nunomasa
  • ベストアンサー率27% (6/22)
回答No.1

大事なのは、 障害を悪いこと、と思わないことです。 ご存知かどうか、わかりませんが 世の中には、障害者でもみんな素敵な人ばかりではありません。 嫌なことを考えたり、卑屈なことをする障害者の人もいます。 それはやはり 小さい時から「障害者になんか生んでしまって・・・」 「障害者だから、できなくてしょうがないよね・・・。」 みたいに、障害を持っていることを悪いこと、何でもできないのは障害を持っているからだ、のように教え込んだから、だと思います。 障害を持って生まれた、ということは その子に、何らかの可能性を持って生まれた、ということです。 それを認めて、かつ、障害を持っていることも ひとつのその子自身の能力のように考えてあげましょう。

yama91403
質問者

お礼

>障害を持って生まれた、ということは その子に、何らかの可能性を持って生まれた、ということ >障害を持っていることも ひとつのその子自身の能力 そうですよね。 息子はまだ1歳。 可能性のかたまりですよね。 わたしが卑屈になって、息子の能力を つぶさないように、すこしずつ、前向きに変わっていけたらと おもいます。 みなさん、たくさんの回答に感謝します。 PCに不慣れな上、子供が寝ている時か、 深夜しか確認できないので、遅くなりますが、 必ずお礼します。 ありがとうございます。

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