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こんな現状をどう思いますか?
昨日は、各地で選挙がありましたが、棄権する人が前回より多かったそうです。 その理由として、「変わらないから」「結果が見えているから」などが多かったみたいですが、 まず、「めんどくさいことはやりたくない」 それから「自分はこうして欲しい」のに「やってくれそうな人がいない」から「無駄なことはやりたくない」 結局、人任せで無責任ってことかなと思いますが、皆さんはどう思いますか? 日本の未来は、明るいんでしょうか?
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結果が出ないことに耐えられないのではないでしょうか。 政治の場では、いろいろな意見がぶつかりあいます。 ある有権者の考えたことがそのまま通ることなど、たとえば1年間の国会審議を通してみれば、そこで審議される案件の何分の一、何千分の一かに過ぎないでしょう。 「私はAが正しいと思ったのに、Bになった」→「投票しても無駄だ」 と、自分の意見が通らなかった部分だけを見たうえで、すぐに諦めてしまう方が多いのではないでしょうか。 争点が明確だった55年体制の時には、選択肢はAかBかB’かくらいしかありませんでしたから、自分の期待が反映される確率も高かったのです。 しかし、論点が分散し、ある政党の政策が必ずしもある有権者の利害全体を反映したものとならなくなってきたため、有権者の期待が裏切られる確率も高くなったのです。 問題の一つは、このような状況において、民主主義的統制というものをどのように機能させるべきかという構造的問題です。 棄権者の中には無責任な人もいるでしょうけれど、参加するうちにばからしくなってしまった人もいるのではないかと思います。 それでもなお、これだけ複雑化した政治体制においては、代表制民主政治がよりよい選択であることは確かだろうと思いますから、日々の敗北感に耐えながらもよりよい代表者を選んでいくしかないのだろうと思います。
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- keiri2002
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#3です。 >空想するのは自由ですが、それを自分で実現しようとする気持ち・意欲がない限り、いつまでも空想の世界だと思いませんか。 全くその通りだと思います。 今確かに日本は平和でお金持ちで知識率も高いです。自慢していいでしょう。選挙に行かなくても暮らしていけます。でもこの状況がいつまでも続くと勘違いしてませんか?人類社会は悲しいかな、いつ戦争が始まってもおかしくない。平和は薄氷の上に成り立っていて、努力を怠ると直ぐに壊れてしまいます。日本が巻き込まれない保証なんて何も無いんです。円なんかふっとんで紙切れになる可能性もある、自給率が数十%だから直ぐに食べるものにも困る。まぁこれは最悪のシナリオに近いですけど、考えられないことはない。 結局政治は自分自身のためです。それでも選挙に行かないって人は、敷地に核シェルターがあって、中に発電装置、水、食物、家畜、その他もろもろの生活物資があって、外で何が起ころうと、生きていけるってことでしょう。 もしかしてシェルターは一家に一台?・・・
お礼
私自身、考えが明確なわけではありません。 ここに書いたことが全て正しいとは思いません。 逆に自分に同調することを望んでいるわけでもありません。 いろいろ書いてみて、あるいはご回答いただいた中に、何かきっかけになるものが欲しいと思っているだけです。 また、これをきっかけに、何かのきっかけになればいいなという気持ちです。 わざわざややこしいことを書いて、その反応を見るなど、ふざけたやつ極まりないですが、お許しください。 でも、現実的な回答が欲しかったなと思います。
- ticky
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tickyです。再び。 インターネットが普及したら、本を読んで調べなくなるのも当たり前、 通販が出てきたら、自分で買い物をしなくなるのも当たり前、 自動車・バイクがあればあまり歩かなくなるのも当たり前、 それによって、いざというときに困るとか、足腰が弱るとか影響が出るのも必然だと思います。 今、社会で問題になっていることは、経済の問題や、複雑な外交の問題など、難しいことだらけ。本当は人任せにしちゃいけないんだけど、でも難しくてよくわからない、知らない、勉強するにも忙しい、面倒くさい、わかる人や意欲ある人に任せよう。。。 人任せの人が増えることによって、影響も出るでしょう。たとえば、前世紀に軍部が幅をきかせて暴走したのも、当時のそういう風潮がやはり一つの原因になったと聞きます。 >手は出さなくても考えだけはしっかりもっているぐらいの意識はあってもいい 「そんなの俺の知ったことじゃない」-そもそも知識・関心が不足しているのです。僕たちの世代の大部分(他の世代もそうじゃないかと思ってきましたが)は、テレビにゲームに忙しくて、本も読まない、学校で何を勉強しているのかよく知らない、とりあえず先生のいうようにしてればいいや、という風潮の中で育ってきました。ややこしいことは知らなくていい、やらなくていい、だって簡単に出来るじゃないか、簡単にすむじゃないか(学校の授業でいうなら、暗記すればすむじゃないか、考えるなんて面倒だ)-この風潮をまずどうにかすべきかもしれません。 知らないじゃなくて、もっと自分の身の回りに関心をもつべきではあるけれど、でも、現実は違うし、それは結構自然なことじゃないかと思うのです。そうかんがえると、そういう人たちの存在を受け入れるしかなく、かわりに、そうでない人たちで、がんばっていくしかないのではないかと(心の中で)思います。
お礼
そうですね。全てのことを理解できる人間などいないと思います。 でも、この風潮の原因が何か知りたいと思います。 これは、人を観察したり、問いかけに対する反応を見たり、・・・無意識なことが多いと思いますので・・・じっくり観察してみたいと思います。 世の中には矛盾が多いし、それを意識することは少ないと思います。 全てのことに関心を持つのは無理なことですよね。 でも確かに世の中にはいろいろな人がいるのだから、そういう人がお互いに補完しあってうまくいっていると思います。 でも、自分のこと・自分の利益のことしか関心のない人が増えてきていると思うのは私だけでしょうか。
- yama_x
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ANo.#6の者です。 >政治家はある意味で「有権者を写す鏡」ではないでしょうか。 確かにそうかもしれません。 が、そうであれば、現在、その鏡は曇ってますね。 それを磨く責任があるのは政治家? 有権者? 私は政治家であるべきだと考えます。 綺麗に磨かれた鏡であれば、有権者の行いが 正確に反映されるでしょう。 例えば、抵投票率は結構前から言われていますが、 それを映し出すはずの政治家の反応は? 「世論が黙っているから好きなようにやれるぞ!」と 喜んでいるのではないでしょうか? これは「磨かれた鏡」の反応ではないでしょう。 >本当の政治家の動き・行動を知っているんでしょうか 報道の問題も確かにありますが、政治家自身が、 成功は過大に世に知らしめ、間違い・失敗は 認めず、屁理屈で応えているように思えます。 いろんな情報も開示してくれないですし。 これでは有権者は「本当の姿」は知りようがありません。 >批判するだけの評論家成り下がっていないでしょうか たしかに望ましい状況ではないですが、 評論家すらいなくなるよりはマシかとも。 「曇った鏡」にどんなに行動を写してみても、 何も見えない、だから外野で批判をするだけ。 そうすると、さらに鏡は磨くことを怠って・・・ 卵が先か、鶏が先か・・・
お礼
・・・・・・。
今までの学校教育が.政治に無関心になるような教育を行っていたから.当然ではありませんか。 というのは.戦争直後に.政治経済に関して興味を沸かないようにする制作として.甲子園が行われました。 政治経済上の各種問題に対して.今日もを持たせない為に.スポーツを普及させたのです。 現在も.政治経済上大きな影響が現れるであろうじきには.タレントのニュ-ス報道が主体になったりして.極力政治経済問題から.他の娯楽分野に興味を持つように仕向けています。 ある種の植民地政策です。オームしんりきょうでも同様なことをしていました。また.自民党系支援宗教団体でも.公明党系支援宗教団体でも同様なことをしています。 支配者にとっては.植民地政策を通して.自分たちの身勝手な行動を追求する連中が経ることですから.明るいでしょう。
お礼
今の日本は北朝鮮のような恐怖政治の国ではありません。 支配する・されるというより、みんなの意見をまとめるという考え方で成り立っていると思います。 宗教などで常識をはずれたような行為が目立ちましたが、宗教自体が自分の主観を捨てた人の集まりという見方も出来ます。 自分の考えをもたないことがどんな結末を招くか・・・指導者がよければ問題ないが、悪い指導者であれば悲惨な結末となります。また、自分の意志で結果を出さない人は、悪い結果に対して、人のせいにしたりするものです。 植民地という言葉にはどうもピンときません。 最後の結論も良く分かりません。
- Bokkemon
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政治が縁遠い存在になっているのではないでしょうか? 若い人達にとっては「政治=格好悪い」なのかもしれません。もちろん、そうではないと考える人もいるのでしょうが、多数は自分のことには関心が高く、政治は他人事だと思ってる、そんな状況なのではないかと思います。 かつて、日教組全盛の時代がありました。その頃は教師が生徒の価値観を無視して日教組の考え方を押し付けようとしました。その日教組が凋落すると、今度は文部科学省が政府の価値観を押し付けようとします。そのような環境では、自由な思考が閉ざされ、政治はタブーにしかならないように思いますし、そういう教育を経てきた人に、自由な自分自身の政治的視点を持てと言って理解されるものなのかどうか・・・。 政府は「発想の豊かさを伸ばす」と言いますが、その制度を検討しているのが社会と隔絶されたガチガチの受験教育でエリートコースを歩んできたキャリア官僚達です。多くは東大出身ですが、東大OBが社会でどう評価されているかについて東大自身が調査した結果、「指示されたことは確実にこなすが、自分で創造する力は無い」というものだそうです。そういう官僚が牛耳っている日本という国では、誰かが敷いたレールでないと走れないような人材教育を推進してきました。そのレールはエリート官僚にとって居心地が良かった揺り籠の中と同じなのです。 そういった価値観を「善」として無意識的に植え付けてきたために、政治に無関心であることが「カッコ良いもの」のように錯覚を生んでいるのではないでしょうか。 yanmar-zさんが考えておられるように、投票に行かずに棄権することは、その結果に対して白紙委任していることと同じです。実質的には(意思表示を行使しなかった)結果に対して責任があるのですが、外形上は結果責任を感じなくて済むかのような歪んだ状況をもたらします。結果に対しての責任は同じであるにもかかわらず、です。 白票を投じることを「無効票」とするのではなく、「不信任票」と明確に区分すべきです。そういった投票行動の意思を汲み取るシステムにしたうえで、投票棄権者には罰金を課すくらいのことはあっても当然だと思います。成人には成人の義務として、子供たちの将来に対する責任があるはずですから。
お礼
教育の大切さは分かる気がします。が、家庭でのふれあいもあるはずです。また、友達・クラブ・塾など、さまざまな人とのふれあいもあります。 確かに過去にはそんな時代があったと思います。現在も変な”常識”にこだわっている人もいます。 だからといってそれを素直に受け入れる気がしないのです。 投票システムを工夫していくことには大いに賛成です。 私にも子供がいますから、子供の将来に責任を感じています。 今の子供について言えば、教育も遊びも食事もかなりの部分が与えられたものになっていると思います。自分で工夫する機会が少ないような気がします。自分の身を守ることさえ受動的ではないでしょうか。 各自が自分なりの考えを持つことが大事なことで、それが自分だけのエリアで終わらず、みんなの事まで含めて考えられるようになるべきだと思っています。
- ticky
- ベストアンサー率36% (123/337)
#5のものです。近隣諸国と比べて、今の日本がよいかどうかというのは、私にはわかりません(個人的には、自慢はしないけど、今の日本には今の日本の良さがあると思う)。けれど、今の日本で、景気の不安はあるけれど、それでも、多くの人が衣食住に困るような状況ではないし、他に差し迫った危機も、漠然として複雑怪奇な景気の問題を抜きにすればほとんどありません。 もちろん、政治に関心がうすい状況が絶対いいといっているわけではなく、いまのよくない現状を変えるのは、1.実際の政治の現場から、2.ひろく市民の、政治に関わる立場から、の二つが重要だと思います。 1に関しては、実際に多くの政治家の方が危機感を持っておられるようですし、2についても、最近はNGOの活動も盛んです。私の周りの友達も、「難しい話はよしてくれ」というような人が実際多く、「国立大学でこのようでは」とも思いますが、一方で、関心深く持っている人も結構います。 マスメディアだって、このごろはきちんとした番組を作っているように思います(あまりテレビを見ないのでよく知りませんが)。
お礼
若干失礼なことを書いてしまったかもしれませんが、 この問題は単純なようで非常に複雑な内容を含んでいると思います。 ただひとつ言える事は、問題意識のない人は、問題解決の力にはなりえないということです。 人任せにしている人は、自分で工夫していくこともないし、問題定義が一方的にマスコミからのものとなるとどうなのかなと思います。 何十年前に比べて、今の社会の移り変わりは速くなり、例えば、食生活ひとつとっても、インスタント食品・ファーストフードなどが幅を利かすようになり、体質の変化や、あごが弱くなり口をあいたままの人が増えたため、風邪を引きやすくなったとか、便利になった反面・意識しないうちに不便を強いられることがあります。自分が何もしなくても生きられる世の中に対して身を任せていることが、気が付いたら取り返しのつかないことになることはないんでしょうか。 私自身、誰かがやってくれるからいいと言う人が、非常に多いのが気になりますし、手は出さなくても考えだけはしっかりもっているぐらいの意識はあってもいいんじゃないかと思いますが。
- local_club
- ベストアンサー率13% (6/44)
投票率が低いのは、日々の生活にだいたい(細かい不平などはありますが)賛成しているからだと思います。本当に、どうしようもなく現状を変えたい人が大多数になれば投票率は上がります。過去の投票率にもこの状況は示されています。現在の日本の状況に対してマスメディアは一斉に暗いニュースばかりを流しますが、私は疑問を感じています。世界一の貯蓄率、比較的低い失業率、高い教育レベル。。数十年前の大きな右肩上がりの経済社会で無い限り満足できない人は別として現在の日本の状況はあまり卑屈に考えるほどではないと思います。あえて現在の日本の問題点を上げるとすれば、(1)国民一人一人が何でも他人の責任にする風潮がある(何よりも個人の構造改革が必要とされているのに気づかない)、(2)マスメディアの非社会性、(3)誤解した人権、平等主義 ではないかと思います。
お礼
まったく同感です。 この状況をそのまま受け流している現状に不安を感じていましたが、local_clubさんのような方もいる事がわかり少し安心しました。 現状を把握できずに次への進展はないと思います。 ありがとうございました。
- yama_x
- ベストアンサー率20% (188/940)
候補者がちゃんと政策に関する演説をしてくれて、 ちゃんと公約を守ってくれるのであれば、 ちゃんと投票にも行くでしょう。 他の党・候補者を貶すだけの演説をされても、 「で、あなたは何をしたいの?」という感じですし、 たまに良いこと言ってても言ったことやってくれないし、 離党して当選したときとは全然別の方針を持つ党に 行ってしまうし・・・ そういう意味で、有権者の意思は全く反映していないくせに、 票の重みの格差だけ問題にして、無意味に選挙制度だけを 改訂しようとして・・・ 投票する意味無し、と考えてもしょうがないでしょう。 私は、「投票に値する人がいません」という意思表示で、 白票を投票しています。 わざわざ不在者投票で白票を投じたこともあります(笑)
お礼
政治家はある意味で「有権者を写す鏡」ではないでしょうか。 我々は、マスコミに誘導されがちですが、本当の政治家の動き・行動を知っているんでしょうか。あるいは、本当の問題の根源を理解しているんでしょうか。 批判するだけの評論家に成り下がっていないでしょうか。 そんな人が非常に多いような気がするのは私だけでしょうか。
- ticky
- ベストアンサー率36% (123/337)
政治にあまり興味を持たない人が増えているというのは、今の日本がそれだけよい国で、国民の信頼を得ているからだともいえます。よく見れば色々なところで細かで複雑な問題がたくさんあるけれども、その一方で本人にとって身近で明らかで単純な問題が減ったのではないでしょうか。もし、「変わらなくても」、「結果が見えていても」、自らに直接関わってくる身近な大問題があれば、権利を行使しようとするでしょう。また、今の政治の問題として、「誰がやっても結果はあまり変わりそうにない」事実があります。この現状に対して、何らかの判断をせよというのも無理があると思います。また、「いい加減な判断をするくらいなら、棄権すべき」と思う人もいるでしょうし、私には、ごく自然な現象に思えます。 もちろん、政治側の問題もあると思います。 でも、私は、色々な人がいて、それでもそうした人たちの心をもくみ取っていくのが、日本の民主主義であってほしいと思います。 私は、この前、選挙権を得ました。 今の日本をみると、将来はどう考えてもむつかしいようです。けれども、日本の将来は、私たちの世代が直接何とかしなければならない問題で、色々な方面で、中には積極的に活動している人もいます。ですから、日本の将来は(そんなには)悲観なさらずともよいと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 でも本当にそうでしょうか? 将来を悲観する必要はないと思いますが、例えば近隣諸国と比べて日本は自慢できるほどよい状態に思えるでしょうか。 少し違う方向に向かっているような気がしてなりません。
- bokku12
- ベストアンサー率20% (23/112)
私はほとんどの選挙に行っています。 日曜日が忙しい時は不在者投票に行きます。 「変わらない」と言う人は「変わっている」実感が無いからじゃないかなぁ。信号機1つ、つけるだけでも大変ですからね。 (選挙に行かない)無党派層が一致団結すれば与党でも倒せるのに・・・ 私はスウェーデンのように福祉に力を入れて、お年寄りや働く女性、生まれてくる赤ちゃん達に住みやすい環境を作りたいと思っています。 選挙に行く。 自分や家族、友人の幸せにつながる。 選挙に行かない。 他人なんかどうでもいい。自分さえ良ければ。 お母さんのお腹にいる胎児は、お母さんが身を削りながらどれだけ大変な思いをしているか、わからずにスクスクと育っていきます。 政治にしても同じです。政治家がいままでどれだけ命を削る思いで現在の日本を築いてきたか。(悪い政治家も多いですが)誰も知らない。誰も教えない。学校でも教えない。知ろうともしない。知らないから感謝もない。感謝も無く無関心だから政治家もやる気が無くなる。有権者が無関心だからちょっと悪い事やっちゃおうかなぁと思うようになる。 政治に無関心な人でも今の世の中に不満な人はたくさんいるはずです。 不満を選挙にぶつけなければ日本は変わらない! 政治家が悪くなるのは、すべて有権者の責任! 良いことも悪いこともしない無責任の人が結局、社会を悪くしてしまいます。
お礼
回答ありがとうございます。 私がこの問題をぶつけたのは、会社の仕事上で、無責任なあるいは無関心な事が多いとふだんから感じていて、たまたま選挙の新聞記事に同じ現象を感じたからなんですが、政治も普段の生活の延長じゃないかと思うんですがどうでしょうか。 普段の生活に何も疑問を感じない。あるいはしてもらって当然ということが多くはないでしょうか。 政治家がすべて悪いとは思わないですが、少しでもよくしようという気持ちが少ないような気がします。 自分だけよければいいとかじゃなくて、みんながよくなるにはどうしたらいいんだろうかという気持ちを、少しでも多くの人が持てればいいと思います。
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お礼
そうですね。決してあきらめないことは、何より大切なことだと思います。そして、ベストを尽くし、やれること全てをやって、「あとはなるようになるさ」というのが「カッコイイ生き方」だと思います。 民主主義的統制の構造的な問題は、今でもいろいろ議論されているとは思いますし、これは永遠の課題なんでしょうね。会社ひとつとっても、マニュアルはあるものの、実効性については常に疑問が付きまといます。 腹が立ったり、チクショーと思ったり、でもそれが問題意識のきっかけなんですよね。 耐えることはきらいじゃないんですが、実のある辛抱ならなおさらです。 次につながるんであればがんばりがいもありますよね。 いろいろとありがとうございました。