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選挙権を行使しないと、本当に何も言う権利はないのでしょうか?

よく「選挙に行かない奴には文句を言う資格はない」などと聞きます。 しかし、例えば投票率の低さから、現職の議員や諸政党に省みる点が 一切無いとは考えられません。 極論ですが、投票率が0%の選挙があった場合、それは民意を反映して いるとは言えないのでしょうか? 政治への無関心ばかりが取沙汰されますが、白票も棄権も結果が 同じであれば、棄権する方が楽な分そちらを選択する人も少なく ないと思います。 「そもそも無関心の原因がどこにあるか」位は思いをめぐらせても 良さそうな気がします。 棄権も立派な選択であり、政治について発言出来ないということは ないと考えるのですが、いかがでしょうか?

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回答No.17

NO11でありまする。 質問者のお礼・補足の対して、返答します >しかしながら1点、全ての人に自らの政治意思を触れて回ることなど不可能なので、他者の言説を放置しても良いということは無いと思います。 殊民主政治に置いては有権者全員が平等であるが故に他者の視点は重要だと考えます。 自らの選択が誤解を受けるならば、それを避けるに越したことは無いのですから。  私個人は、他者の言説を放置するべきだと思っています。 他者の言説が違法行為でない限りは、それを放置するのが「表現の自由」の認められた近代国家・近代社会の日本のあり様であるからです。  もちろん、異論・反論をもって干渉・介入する権利も当然ありますが、質問者が行われた事例(「選挙に行かない奴には文句を言う資格はない」)などという人間は、権利・義務という概念も法規範も理解してない感情論の存在であって、その意見の正当性はありません。  辛辣にいえば、妄言であり唾棄するべき有権者の思考回路です。 それに過剰に反応することなく、粛々と政治意思を固める・考慮するのがあるべき主権者の姿だと思います。    もっと言えば、そんな言説をする余裕があるほど、考え、責任を負っているのか?と問い詰めてみるべきだと思います。  今の日本の民主主義は、主権者たる我々が、政治家・官僚に責任転嫁し、憲法前文の「国民の厳粛な信託」が行われていません、 信託とは、信託する側にも責任が発生するものであり、悪政・失政の責任は主権者も負うべきものです。結果責任を国民が負っているのは当然ですが、政治家も同じく責任を負っているのは間違いない事実です。  例えば、”政治家は責任を負わない”という批判をしますが、政治家自身は一国民の側面で責任を負っていることは間違いないのです。  同時に、政治家は無責任な国民に責任転嫁され、時には連帯責任を負わされます。  それが当然という国民もいますが、自分の責任を認めた上での批判とは到底思えません。    つまり、主権者の多くが誤解を犯している現状で、それにナーバスになっても仕方ない、という考えが私には支配的なのです。  だから、質問者自身も一部の有権者を見限って、政治を考えることをお薦めしたいのです。  質問の発想・視点は今の日本人に欠如し、明白な選挙権の間違いを提示しています。その水準の質問が出来る人には尚更、啓蒙活動ではなく、政治意思を昇華してほしいのです。  あくまでも個人的な見解ですが・・・・・・

WhiteBrief
質問者

お礼

今回の質問に対するみなさんのご回答で、自身の中に主権者としての自覚が芽生えたように 感じます。有権者という言葉はその権利を「与えられたもの」と錯覚しやすいと思います。 それは責任の所在を希薄にし、私から政治を遠ざけていたような気がします。 確かに頭ごなしに「お前は政治を語るな」と言われると腹立たしいですが、受け流せるだけの 論理的根拠が自らに欠けていたのも事実です。 政治意思を昇華させた先に何があるのかは分かりませんが、幸い考えることは好きなので、 これからもことあるごとに悶々としていきたいと思います。 bismarks05 さんのご回答は一言一言に力があり、励まされるこちらも自信を持って、 自らの意見を述べる原動力になりました。誠に有り難う御座居ました。 その他の回答者の方々にもこの場を持って感謝を申し上げます。 まるで膝を突き合わせて議論しているかのような大変有意義な時間になりました。 誠に有り難う御座居ました。

その他の回答 (16)

  • cetus07
  • ベストアンサー率46% (117/254)
回答No.16

こんにちは。 政治家の政策に与える影響という面では白票と棄権は違うということは理解されたようですね。 >「そもそも無関心の原因がどこにあるか」位は思いをめぐらせても >良さそうな気がします。 むしろ、政治家は思いをめぐらせたうえで、あえて無関心にさせておきたいと考えているかも知れないと想像することはできませんか? >棄権も立派な選択であり はい、そう思います。棄権もひとつの選択だと思います。但し、現状に対する不満としての意味ではなく、(投票して積極的な支持することに対して)棄権は消極的な支持になっていると思います。 なので、発言できないということはないと思いますが、支持したことと矛盾するような発言は、どこか可笑しいんじゃないの?と言う印象はもつ人はいると思います。

WhiteBrief
質問者

お礼

>>思いをめぐらせたうえで、あえて無関心にさせておきたいと考えているかも知れない No.14 の red_kids さんもおっしゃっておりましたが、さもありなんなお話でそれが事実なら、 自身の主張が実に虚しいものと思えて参ります。 棄権という行為はやはり表面的であれ潜在的であれ悪印象を与え易いのでしょう。 それを踏まえた上で、行動したいと思います。 貴重なご意見、有り難う御座居ました。

  • Halical
  • ベストアンサー率8% (5/60)
回答No.15

No.10にて回答したHalicalです。 補足されたので、回答したいと思います。 >>やはり投票率は単純に政治への参加率ととられがちなのですね。 とられがちと言うよりも選挙のルールと言っても良いくらいですね。 あなたが言っている内容は既存のルールを守らずに、 自分が考えた新しいルールを主張している様なモノです。 野球で例えるならば、 「ランナーがいない時にファーストゴロを打った場合、一塁手は一塁ベースを踏まなくても良い。」と言うルールを追加する様なモノと言えるでしょう。 あなたがいくら、「自分はアウトにする気が満々だったし、この試合に勝つ事を誰よりも信念と責任を持って考えている。ベースを踏むだけなのでエラーもしない。したがって一塁ベースを踏んだのと同じた。」と主張したところで主審は認めないでしょう。 無関係な人達やルールを理解していない人達の中には理解してくれる人もいるかも知れませんが、全員が納得するとは思えません。 もっと言うなら、それによって損をする相手チーム側の人間は、 例え心の中で納得していたとしても、口では納得してないと言うでしょうね。 以上の理由から、あなたは自分の考えを分かりづらい方法で伝えようとしていると言えるでしょう。 >>私を困らせて喜んでいる愉快犯的なご回答有り難う御座居ます。 >>政治家のみなさんには大いに困っていただきたいと思うのですが 私は愉快犯的に回答した訳ではなく、自分が政治家をやるとしたらどうするかを考えて欲しかっただけです。 今の政治家が何も考えていないと思っているようですね。 では、何故そういう人たちが当選するのでしょうか? 有権者が馬鹿だからでしょうか? あなたが政治家に望んでいる事は実現可能なのでしょうか? あなたが得をする時、誰かが損をしている事を知っていますか? 考えてみてください。 >>発言せずとも行動に信念と責任が伴っていれば、少なくとも私は >>それを信用にたる人物と思いますがいかがでしょうか。 主語がないので誰の事言っているのか分かりません。 話の本題は「信念はあるが行動しない人に発言権があるかどうか?」でしたよね?

WhiteBrief
質問者

お礼

なるほど、俺ルールですか。スポーツの例話が実に参考になりました。 確かに明文化されている以上、独自の理論をぶち上げたところで単なる妄言なのかもしれません。 >>あなたは自分の考えを分かりづらい方法で伝えようとしていると言えるでしょう。 核心を突くお言葉でぐぅの音も出ません。 損得の話も実に興味深く拝読させていただきました。 物事には理由があり、観測者により往々にして多面性を持つといったところでしょうか。 確かに私自身の意見に対するアンチの視点までは考えていたものの、 政治家の立場からのそれには欠片すらも思い至りませんでした。 >>発言せずとも行動に信念と責任が伴っていれば これについては投票という意思表明を「発言」、投票自体を放棄する行為を「行動」と 捉え記述した訳ですが、この解釈を巡って既に「観測者による多面性」が発生していて、 大変に興味深いですね。この場合曖昧な表記をした私に明らかな非があると思います。 誤解を招いてしまい(誤解という言い方が正しいか分かりませんが)申し訳ありません。 因みに主語は「考えあっての棄権者」といったところでしょうか。 大変無礼な振舞いを働いたにも拘らず、真摯にご回答いただき誠に有り難う御座居ました。 物事をより深く考えるきっかけをいただきました。

  • red_kids
  • ベストアンサー率44% (78/174)
回答No.14

No.3で回答した者です。 補足有難う御座いました。 >しかしながら私のように白票と棄権を同意とはき違える人も >ひょっとしたら少なくはないのではと思います。 >その点を鑑みるに棄権=考える力が無いと論ずるのは幾分 >早計ではないかとも思います。 まぁ確かに勘違いしている人もいるかもしれませんね。 でも意図的にこの事に気付かないで欲しいと思う 政治家もいるのです。 以前、森総理が言った ”無党派層は家で寝ていてくれればいい。” この言葉に集約されていると思いませんか? 要するに馬鹿にされちゃってる訳です。 選挙に行ったって何にも変わらないと思わせていれば 投票率が下がり都合が良くなるからです。 でも選挙に行かない立派な理由が有る人は 考えが有っての事なんでしょうから ”考える力が無い”という私の意見は訂正してお詫び致します。 但し、何を言おうが言論の自由ですからそれを 抑える権利は誰にもありませんが、 政治について発言する前になるべく ”私は投票棄権者であり、こういう考えに基づいて投票はしない” という事を前提に発言してください。 その理由が ”ああ、なるほどその通りだな” と思わせるに充分な説得力が有れば誰もあなたに 反対意見を述べなくなるでしょう。

WhiteBrief
質問者

お礼

自らの意思を明確に他者に示せてこそ、政治論は展開出来るということと解釈致しました。 もっともこれは議論全般に言えることで至極当たり前のことなのでしょう。 些か独りよがりが過ぎたのでしょうか、結果として投票率なりに影響を及ぼさなければ、 蚊帳の外で自らの考えの有無などを論じても意味を成さないのだろうと思い至りました。 結論はもう少し先になりそうですが、棄権するのであれば白票を投じようかと思います。 重ねてのご回答、有り難う御座居ました。

  • moritan2
  • ベストアンサー率25% (168/670)
回答No.13

ついでですからもう一つ恐ろしい話をしておきます。 政治家は政治の結果に対して直接的には責任を取る必要がないということです。 たとえば、とんでもなくひどい政策で日本経済が壊滅して北朝鮮以下になってしまったとします。それでもその政策を実行した時の総理大臣はじめ政治家たちは責任を取りません。せいぜい次の選挙でぼろぼろになって引退する程度です。責任を取る必要が無い理由は国民によって選ばれたという建前があるからです。国民は棄権しようが、白票を投じて政治家が1%の投票率で選ばれようが、結果に対する責任は国民が負わされることになります。 太平洋戦争は東条英機や軍部の責任であって国民が悪くないなどと言えるのは、当時の日本の政策を決定した人間が国民によって選ばれてはいないからです。これがもしも当時の日本が民主国家で今と同じように国民によって選挙で選ばれていたとしたら、国民全体が賠償責任を負わされていたかもしれません。おれは選挙を棄権したから責任が無いなど言っても通用しないと思います。 選挙を棄権したり白票を投ずることは自由ですが、結果責任は免れませんのでよくよく覚悟をして棄権された方がよいと思います。

WhiteBrief
質問者

お礼

重ねてのご回答有り難う御座居ます。 国民主権とは視野を変えればそのような側面があるのですね。 太平洋戦争を例に大変判り易いご説明有り難う御座居ます。 裁判員制度とも通ずるところがあり、大変興味深いお話でした。 「覚悟」という言葉にも主権者としての責任・自覚を意識させられました。 政策決定には責任が伴い、それは誰でもない自分自身も背負っているのですね。 もう少し良く考え自らのスタンスを決めたいと思います。

  • moritan2
  • ベストアンサー率25% (168/670)
回答No.12

文句を言う事は自由です。しかし、文句を聞くか聞かないかも政治家の自由です。0票ということはないと思います。少なくとも自分で自分に入れるでしょうから1票はあると思います。 どのような形でも当選してしまえば次の改選までは法律により政治家としての身分が保障されるので政治家としての権力を行使できます。例の杉村 太蔵氏も衆議院議員としての権力は持っていました。 それがいやなら、国民としての権利を投票という行動によって行使するしかありません。それをやらなければ、当選した政治家は法律よって身分が保障されていますから、政治家としての権限を自由に行使するだけのことです。 棄権も白票も自由です。ただし、結果は自分たちに返って来ます。

WhiteBrief
質問者

補足

貴重なご意見を有り難う御座居ます。 当選したもん勝ちであとは半ば好き放題。選挙内容は勝ち負け以外はどうでもいい。 といったところでしょうか。 勝ち負け以外にも見るべきところがあると個人的には思うのですが何だか虚しいですね。 投票率・無効票数抜きに決まってしまう以上、結果が自らに跳ね返ってくるというのは 承知していますが、それを以て喜ぶ政治家の姿勢に疑問を感じずにはいられません。

回答No.11

>極論ですが、投票率が0%の選挙があった場合、それは民意を反映して いるとは言えないのでしょうか? 極論では決してありません。 ゼロという数字が極論という人もいるでしょうが、 選挙制度に問題があったり、投票所の不備などの「選挙」そのものに問題があるケースでは、選挙を否定するために、棄権という政治選択肢が行使されることは当然ありえるでしょう。  例えば、現状の公職選挙法は様々な問題点を抱えています。 一票の格差・公務員の選挙運動禁止・戸別訪問の禁止措置など挙げればキリがありません。  それらの制度に対する不満・抵抗の意味での棄権は「自由選挙」を大前提にする近代選挙からして自由権として正当性があるでしょう。  同時にご指摘の”所与の選択肢から信任できる・投票できるものがない”というケースでの棄権・白票という投票活動も正当性があります。    これは、法的にも政治的にも正当な主権者の権利行使であって、 ”投票権を行使しない人間に文句を言う資格がない”などというのは陳腐な感情論でしかありません。  問題はよく考え政治行動に対して責任を負うことであり、投票した人が偉いなどということはありません。  逆に、大して考えることもなく投票した有権者よりも、熟慮の結果、棄権・白票という責任ある政治意思をした有権者の方が、より民主的責任感のある有権者と言えるでしょう。  棄権・白票は考慮されたものである限りは、選択肢であり、その権利は保障されて然るべきものです。  政治的発言は『表現の自由』であり、表現の自由の資格は、投票権の有無でも投票行動の有無でもありません。    問題は投票したことはでなく、政治意思に責任を持つことです。 もっといえば、どんなに政治的知識が浅くても、投票行動に対する責任を負っている有権者ならば、それは最大限尊重されるべきなのです。  正しい・正しくない。というものではなく、責任を伴っていることが政治意思の価値というのが私の結論です。  少なくとも、考慮した末の棄権・白票を恥じることはありません。 政治意思の自由は近代人権の一つであり、それすら理解できないような野蛮人の言説などは放置しても問題ありません。  要は、結果論ではなく、責任感なのですから・・・

WhiteBrief
質問者

補足

とても勇気づけられるご回答有り難う御座居ます。 理論的にとても分かり易く、私が漠然と抱いていた疑問を すっきりと解消するご意見です。 重要なのは責任の伴う政治意思とのことですね。 しかしながら1点、全ての人に自らの政治意思を触れて回ることなど不可能なので、 他者の言説を放置しても良いということは無いと思います。 殊民主政治に置いては有権者全員が平等であるが故に他者の視点は重要だと考えます。 自らの選択が誤解を受けるならば、それを避けるに越したことは無いのですから。 全体に納得のいくご回答であり、大変参考になりました。有り難う御座居ました。

  • Halical
  • ベストアンサー率8% (5/60)
回答No.10

>>よく「選挙に行かない奴には文句を言う資格はない」などと聞きます。 義務を果たさない人間に権利はありません。 >>投票率が0%の選挙があった場合、それは民意を反映して いるとは言えないのでしょうか? 「そちらで勝手に決めていいよ」という民意を反映していると思います。 >>白票も棄権も結果が同じであれば 別にカウントされるので同じではありません。 >>「そもそも無関心の原因がどこにあるか」位は思いをめぐらせても 良さそうな気がします。 あなたの考えは政治家を困らせて喜んでいる愉快犯的な考えであり、 建設的な意見ではありません。 結局、困るのは日本国民です。 今の政治家に任せられないと思うのなら、同じ考えの仲間を募って被選挙権を行使してみてはいかがでしょうか? 今の政治家が、あなたの思うような人間なら、あなた達は楽勝でしょうね。 >>棄権も立派な選択であり 人間は発言だけでなく、行動が伴っていないと信用されません。

WhiteBrief
質問者

補足

私を困らせて喜んでいる愉快犯的なご回答有り難う御座居ます。 すいません、冗談です。貴重なご意見を有り難う御座居ます。 やはり投票率は単純に政治への参加率ととられがちなのですね。 国家の在り方や、運営を国民の代表として自ら背負う訳ですから、 政治家のみなさんには大いに困っていただきたいと思うのですが いかがでしょう(思慮を重ねていただきたいという意味です)。 仮にぽっと出の小僧の政治思想が百点満点で、今の政治家が落第点であっても、 選挙で勝てないことは毎週少年ジャンプを楽しみにしている私でも、 曲がりなりにも20年以上は息をしていた訳で想像に難くありません。 発言せずとも行動に信念と責任が伴っていれば、少なくとも私は それを信用にたる人物と思いますがいかがでしょうか。

  • hiroki0527
  • ベストアンサー率22% (1101/4910)
回答No.9

No1です。 政治家が中高年以上に受ける政策をなぜ出すか? 「票に繋がるから」です。投票率が高いからね 若者を相手にした政策を出さないのか? 「出しても票に繋がらないから」です。投票率は過小ですからね。 政治家は「どんな政策を出せば受けるか」はよく考えています。 票を投じない人はかるんじられているんですよ。 権利の行使をしない人が幾らぶうたらいっても相手にされません。 聞いた所で得票に繋がらないからね。 民意を著したいなら「白票」が消極的なやり方でしょう。

WhiteBrief
質問者

補足

重ねてのご回答有り難う御座居ます。 おそらくはそれが実情であり如何ともし難いところ なのでしょう。 因みにみなさんは現在の選挙制度そのものに疑問・不満を 感じますか?感じるとすればどのような所にでしょうか。 またそれは民意によって変えられると思いますか? 可能性の話ではなく実現可能かどうかのレベルでお願いします。

noname#108517
noname#108517
回答No.8

別にそんな事言われる筋合いはない。 そんなこという奴がアホです。

WhiteBrief
質問者

補足

貴重なご意見有り難う御座居ます。 端的に言ってしまえば私も同意見です。 しかし意見の異なる2者が選挙権で言えば平等であり、 互いの意見が平行線を辿るのは如何せん不毛に感じるのです。 主体だけでなく客体を飲み込んだ上で自身の意見・判断を 持ちたいと考えております。

回答No.7

「義務」を果たさないヤツには「権利」は無い。 「権利」を放棄したヤツには「援助」は無い。 投票は、義務か?権利か?責任か? どちらにしても、投票しないヤツには 資格が無いと言われてもしかたが無い。 ただ、資格が無くても文句などいくらでも言える。 が、それは無責任者の遠吠えでしかない。

WhiteBrief
質問者

補足

行使しないだけであって、当人に権利を放棄するつもりがなくとも 結果を見ればそれ即ち棄権であり(実際下記補足にて私自身棄権と 書いていますが)、無責任と見られても仕方の無いことなのでしょう。 貴重なご意見を有り難う御座居ました。

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