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過去帳
先日、親戚が過去帳を見に行き、 滋賀のお寺まで行きました。それによると、 先祖は浅井長政の子供?でお寺に育てられた人らしく 辿っていくと私から見て祖父の祖父まで来るらしく、 そこには、仕事や役職、家族構成や家の間取り(瀬戸内地方)等も細かく書いていたらしいです。 私の実家のお寺は違う宗派のお寺ですが戦後に移ったらしいのです。 いったい過去帳とは何ですか? なぜお寺にあり?先祖までもわかるのか?信憑性もあるのですか? 誰か教えていただけませんか?
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こんにちは。ここよりも歴史のカテゴリーの方が良さそうにも思います。私は格別詳しくありませんが、回答が無いままなので、知っている範囲で答えます。 過去帳の起源は江戸初期の宗門改制度 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E9%96%80%E6%94%B9 にあると言って良いでしょう。通常は在所、戸主名とその家族名、生死の日付けが記されている程度のものだと思います。こちらに付いては宗門人別改帳の項目を参照してください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E9%96%80%E4%BA%BA%E5%88%A5%E6%94%B9%E5%B8%B3 宗門人別改帳が過去帳の呼び名に変わったのは、信仰の自由化と、戸籍制度が変わった明治初期以後のことになるでしょう。これ以後は寺が檀家の様子を記録しておく私的文書となったと考えて差し支えないと思います。主に死亡者を記録するため、「過去帳」の名称になったのではないでしょうか。 質問のように家のことが詳しく記されているというのは無かったことではないのかもしれません。ですがおそらく主に武士や貴族、これ以外は神官、僧侶、医師といった知識階級の中の限られた者だけだったのではないでしょうか。その過去帳が明らかに宗門人別改帳に起源を持つものだとすれば、ある時点からの信憑性は相当に高いと感じます。 ただしこの「ある時点」というのが曲者です。戦国時代には大名が箔を付けるために自らの出自を偽ることは頻繁に行われていました。天下も統一された平時になって、尚ご先祖がそのようなことをしたかどうかまでは判断出来ません。ですが本当に浅井長政の血筋であるかどうかは、もっとほかの史料を当たって証拠を固めないと、嘘とも真ともなんとも言えません。 浅井の家系はすべての家が絶えたわけでは無いようですし、武家の二男以下が僧として家を出された例も多いので、有り得ないことではないでしょう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E4%BA%95%E9%95%B7%E6%94%BF きちんと読むと万寿丸の家は続いたとありますね。浅井家の菩提寺は長浜市の徳勝寺だともあるので、もしかしてこの流れですか? これだけの家なら、そのような過去帳が遺されているのは不思議ではありません。そうだとするとこれは当初より一族の系譜を記した「過去帳」であって、宗門人別改帳に相当するものではないと感じます。いずれにしても内容はかなり信用できるのではないでしょうか(中には見栄っ張りの先祖もいて、その者が勝手に昔の分まで書き改めてしまったことも考えらないではありません)。
お礼
カテ違いだったみたいですみません。 有難うございました。 大変参考になりました。