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49日法要・白木の位牌から過去帳でOK?(曹洞宗です)
度々の質問ですがよろしくお願いいたします。 先日、実母が亡くなりまもなく49日法要と納骨を控えています。(私はすでに嫁いでいます。) 49日法要の準備として色々調べると白木の位牌から塗位牌を作って法要後仏壇に納めるのでこの日までに塗位牌を用意する・・との事だったのですが。 施主(父)曰く、過去帳があるから(ダブってしまうので)そちらに記入?するから位牌はいらないから用意しなくて良いと言うのです。 他の宗派で確かに過去帳だけ・・と言うのも聞いた事がある気がしますが。 他にも父曰く、お墓に名前を彫るのも今では無く一周忌までに刷ればよい・・とか、気持ちも問題だから細かい事は気にするな・・等など。無宗派ならともかく、先祖代々今のお寺さん(曹洞宗)とつきあっている以上気持ちの問題だけでは済まないと思い色々と最低限の常識や型式があるのでは・・と不安です。 私も仏事については全く無知で色々調べて父(施主)にアドバイスしてみるのですが父は聞き入れません。(もう嫁いでいるから口出すな・・と)親戚とも色々あって見捨てられていて父は自分の考えで一人で物事を進めてしまう所があり心配です。(当初は父は49日法要もしないと言い張りました!!)今まで母に任せきりで本家の長男なのですが相当非常識な人間でこのような仏事に関しては無知で世間知らずです。 こちらは東北で曹洞宗ですが本当に位牌は用意しなくてよいのでしょうか?どうかお分かりになる方、葬祭系の常識に詳しい方のアドバイスお願い致します。
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曹洞宗の僧侶です。 信仰や先祖祭祀の形は、結局はそれを行う人の心の形を写すものになるのですが、ccmicanさんのおっしゃるように「先祖代々今のお寺さん(曹洞宗)とつきあっている以上気持ちの問題だけでは済まない」のが現世の現実ではあります。 一口に「位牌」と言っても、いろいろな形式があります。 現在、もっとも多く用いられているのは、故人ひとりひとりに一基のご位牌を用意する形ですが、他に小さな厨子型の位牌の中に歴代のご先祖さまのお名前を記した小さな白木の札を納める「繰り出し位牌」と呼ばれるもの、大きな牌板に複数のご先祖さまのお名前を追記していく形のご位牌、過去帖そのものを収納する形の位牌もあります。 これらのどの形を取るかは、地域の習慣や菩提寺さまのお考え、施主家の伝統などがあり、一概にこうだと言い切れるものではありません。 実際的な対応としては、お付き合いされている菩提寺のご住職にご相談されることが一番まちがいのない方法だと思います。 ご位牌と過去帖は本来、意味合いの違うものですので故人のお名前を記したものが複数あったとしても「ダブって」しまうわけではありません。 ご位牌はご先祖さま(故人)の霊位を拝礼する拠り代ですし、お家のお仏壇にある過去帖は、本来はお仏壇に向かってお経を上げた際にご先祖さまのお名前を回向文の中に読み込むために用いるものです。 回向文とは、読経の功徳をどのように回向するか(振り向けるか)ということを仏さまとご先祖さまに言上するための文言で、たとえば、 「上来、○○経を諷誦する功徳は、○○○○信士霊位に回向し‥‥云々(ここに○○経をお読みしたのは、ご先祖さま○○○○さんの精霊のために功徳を手向けるものです‥‥云々)」とお読みします。 在家のお家の仏壇にある過去帖は、この読み込みのためのご先祖さまのお名前を記した記録簿のようなものであって、それ自体が霊位の拠り所というわけではありません。 ですので、過去帖があるからご位牌はいらないというのは少し話の筋が違うようです。最近の社会の風潮では、私流とか個人の意思の自由が持て囃されていますが、それが本当に至当であるかは、実はよくわかりません。 曹洞宗の開祖である道元禅師は道心(信仰やその実践の志のこと)について「些細なことや詰まらないと思うことでも、おろそかにしてはいけない。自分が意味を見出せないことであっても、他人がなぜそのようにしているのかをよく見て考え、尊重しなければならない。本当の心があれば、それは誰の目にもそれとわかる振る舞いとして現れるものだ」という意味のことをおっしゃっています。現在の大本山永平寺の貫首、宮崎禅師も「人は勝手気ままを自由と思っているが、そうではない。きちんと形に納まったものが平生底(日々の作法)としてあるものだ。本当にまっすぐな心があるのなら、たとえば歪んだままの履物の位置をまっすぐにせずには居られないはずだ。履物が歪んだままで平気なのは、心が歪んでいるからだよ」とおっしゃっています。 「気持ちの問題」というのはまさに正論ではあって、なかなか他人が口を挟みずらくする言葉ですが、こと曹洞宗では、その気持ちを表すために形を整えた振る舞い・作法が重視されるということを、お父様にも知っていただければ、より良いご先祖さまの祭祀を続けて頂けるのではないかと思います。
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- haraomushi
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うちは「位牌を使わない」浄土真宗ですので、詳しい事は存じませんが、 位牌を使われる宗派でも、亡くなった方が出るたびに位牌を増やしていったら、お仏壇に溢れてしまうと思います。 「先祖代代…」というと、すでに相当数があるのでしょうか? 一杯になってなければ、どこかの段階で過去帳に移して位牌はなくなっているのではないでしょうか。そのタイミングが早いか遅いかの問題で、いいかわるいかの問題ではないように思います) いまの民主主義の時代には、長男も末娘も立場は同じですから、「嫁いだ娘が…」というのは意味のないことですが、 どっちみち、お父さんが「過去のしきたり」だけで縛られることはないのですから、 結局は「本人の考え」が優先です。 (「間違った知識」を信じてるのなら「本当はこうだよ」とおしえてあげるのはかまいませんが、最終的には思想信条の自由が、憲法で保障されており、宗旨を世襲で強制することもありません)
お礼
アドバイスありがとうごじました。 たまたま私の嫁ぎ先のお寺も同じだったので(長男の嫁です)、今でも儀両親と両親では仏事の考えというかやり方も違っていたところもあったので、儀両親に指摘されたりすると色々不安になったりしたものですから・・。 でも結局は本人(父)の考えが優先ですから。黙って見守る事にします。
お礼
ご住職様からの詳しいアドバイス、とても参考にさせていただきました。 私の嫁ぎ先(長男の嫁です)もたまたま同じお寺さんだったので儀両親の仏事の考えややり方?と実家のやり方の相違が多々あり、儀両親に色々と突っ込まれると不安な所もあったものですから・・・。 実父はあまり型式やしきたりを好まず(というか無知なのですが・・)、一方嫁ぎ先は仏事に関してはきちんとするほうなので。同じ本家という立場で同じ菩提寺でも各家によって違うものなのでしょうかね・・? いずれにせよ、今後は実家に関しては黙って見守り、私は嫁ぎ先の長男の嫁として嫁ぎ先のやり方を・・と思います。