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「山手」。鉄道だと「やまのて」、道路だと「やまて」?
東京を一周するJRの鉄道(厳密には違いますが)の「山手線」の読みは「やまのてせん」ですが、都道317号環状6号線の通称「山手通り」の読みは「やまてどおり」となっています。どっちも「山手」が由来のはずなのに、何故読み方が違うのですか? この間も、道行く人に「『やまのてどおり』はどっちですか?」と尋ねたら、「『やまのてどおり』じゃなくて、『やまてどおり』ですよ。」と言われてしまいました。 また、戦後しばらくは鉄道も「やまてせん」と呼ばれてたみたいですが、それと関係があるのですか? 回答よろしくお願いいたします。
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昭和30年代生まれの、いわゆるヤマノテと言われた地区に住んでいる者です。 No.1さんが書かれているとおり、江戸時代から下町に対して、下町以外の、山間部ではない地域が、ヤマノテと呼ばれていたようです。 大正生まれの私の父親に聞いた所によると、国鉄、と言うより戦前に鉄道院(この頃は院電と呼ばれていたと言います)時代から鉄道省時代(この頃は国電ではなく省電だったとのことです)の東京の下町付近からヤマノテを一周する路線ができた時、山手線と書いて作った側はヤマテセンと呼んだようですが、一般市民内でヤマノテという呼び名が強かったので、市民レベルではヤマノテ線と呼ばれていたとのことです。 事実、私の母親(昭和10年代生まれ)は、私が物心の付いた頃である昭和30年代後半の時のことですが、ヤマノテ線は101系で運転されており、正面方向幕には「山手」と表示し、昭和42年から103系と交代してからも、国鉄は「ヤマテセン」と宣伝し、私と同年代の友人も「ヤマテセン」と呼んでましたが、私の二親は「ヤマノテ線」と呼び、私が「ヤマテセンではないのか」というと、「このあたりのことを昔はヤマノテと言い、あの路線は昔からヤマノテ線と言ってたんだ。今の呼び方がおかしい」と言ってました。 その後、当時あった京浜東北線の神奈川県内の行き先駅「山手(こっちはヤマテと読みます)」と併走区間で紛らわしいとの意見が出たとのことで、私が小学校5年生頃に方向幕を「山手線」と変更、このときローマ字読みをもじの下に入れたのですが、このローマ字は「YAMANOTE Line」でした。この時初めて、旧国鉄が正式路線名として「ヤマノテ線」を認めたものでした。 環状6号線の通称「山手通り」の読みは、「ヤマテドオリ」です。これはこの名称が付いた(環状1号から6号には名称が付いてます。例えば5号線は明治通りですね。6号が山手通りです。7号線とと8号線には着いていません。カンナナ、カンパチと呼ばれてます)時期が東京オリンピックで、この頃は山手線も「ヤマノテ線」ではなく「ヤマテ線」と呼ばれていた時期です。 しかし、国鉄にしても、JR東日本にしても、自分で着けた通称は普及しませんね。 旧国鉄の全身が着けたヤマテセンはヤマノテセンと読み替えられました。JR東日本が通称として使おうとしたe電は利用者に無視されました。 旧国鉄時代の通勤区間の呼び名である国鉄電車を詰めた国電に対する通称で一般化した酷電は、あまりの通勤ラッシュに悲鳴を上げた利用者が着けた通称でしたし。
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- mashkun
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「山手」を「ヤマテ」と発音する場合、大抵は対になる「浜手(ハマテ)」と呼ばれる地域が近くにあります。 横浜や神戸では駅名や路線名に登場しているので有名ですね。 横浜の根岸線の駅はヤマテです。 神戸市営地下鉄の「西神・山手線」は「セイシン・ヤマテセン」ですし、「県庁前」は開業からしばらくは「山手(県庁前)」でした。
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回答ありがとうございます。 「山手」っていろんなところにあるんですね。
- travelKENKEN
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JRの山手線は、戦前の線名には振り仮名がなかったので、公式の呼び名は決まっていなかったが、「やまのてせん」という呼び方が一般的だったようです。これが日本が戦争に負けて、占領軍の支配下になった結果、鉄道省にローマ字で読み方を記すようにと命令があり、どうしたわけか「YAMATE-SEN」と看板等に記したため「やまてせん」が国鉄の正式名称という誤解を生みました。 1971年に国鉄では、各線名の呼び方を正式に決める事になり戦前に復して「やまのてせん」を正式な呼称とすると定められました。これは、当時でもかなり話題となりましたので、小学生だった私でもニュースで取り上げていたのを明確に憶えてます。JRになってからというような最近の話ではございません。 道路の方はいわれを知りません。 なお、全国には山手○○はまだあるはずで、神戸市には地下鉄山手線(やまてせん)、道路の山手幹線(やまてかんせん)があります。JR西日本の阪和線は国有化される前は南海鉄道山手線(やまのてせん)でした。
お礼
回答ありがとうございます。小学生でも分かるぐらい話題になったんですね。
- TinyPine
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追記します。 山手線はもともと"やまのてせん"でした。 その後はNo.1の方の通りです。 詳しくは http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E5%B1%B1%E6%89%8B%E7%B7%9A/?from=websearch#.E3.80.8C.E5.B1.B1.E6.89.8B.E7.B7.9A.E3.80.8D.E3.81.AE.E5.91.BC.E7.A7.B0.E3.81.AE.E6.84.8F.E5.91.B3
お礼
回答ありがとうございました。
- Willyt
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山の手というのは下町に対する言葉で、これは多分江戸時代からヤマノテと言い慣わして来た古い言葉です。 その語山手線が完成すると、鉄道省はこれをヤマテ線とつけ、また東京都は環状六号線を確かオリンピックのときに山手通りに変更したのです。ところが国鉄がJRとなって暫くして、ヤマテ線を突然ヤマノテ線と呼び変え得ることにし、国電をe電などというキテレツな名前で呼ぶとしましたが、e電は定着しませんでしたね。今はJR線で通っているようですね。ともかくヤマテとヤマノテは複雑ですが、それぞれ歴史を背負っているのです。
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回答ありがとうございます。複雑ですね。
お礼
詳しい回答ありがとうございます。よく分かりました。