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尊敬できない親
「身体的」「言葉的」に暴力を振るうなどの、尊敬に値しない親はどのように「尊敬」すればよいのでしょうか?? 聖書には出エジプト記の20章の「十戒」に「親を尊敬しなさい」とありますよね??私はキリスト教の学校にいっているので、キリスト教に触れられている方はなるべくキリスト教的な意味でお願いします。 また、いろいろな人の意見も聞きたいので宗教に触れたことのない方のご意見も大歓迎です。 回答お願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
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私自身のことを書かせていただきます。 質問者さんと同じくキリスト教の学校に通っていました。 若い頃は熱心に聖書を読んで、教会にも通いました。 現在もキリスト教ではないのですが信仰をもっています。 幼少期から両親から虐待を受けてきたので両親を尊敬することができず、結婚した現在も心の葛藤があり、苦しんでいます。 一番は、尊敬できない自分を謙虚に認め、神様に許しを請うことだと思います。 そして、尊敬ができる心、感謝ができる心に変えていただけるように、絶えずお祈りをするようにしています。 若い頃に比べると、両親に対してかなり感謝や尊敬ができるようになりましたし、両親の人格を肯定できるようになりました。 しかし暴力などと無縁に育った方に比べると、まだまだ尊敬や感謝の気持ちが足りないと感じています。 あるがままの自分を謙虚に認めて、両親を尊敬できる自分になりたいと願い、努力すること、祈ることを大切にしています。 心理学や精神医学や社会学の本を読んだり、カウンセリングを受けたり、両親から虐待を受けてきた者同士で分かち合いをすることで、いろいろなことを学ぶことができました。 工夫も大切だと感じています。
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- ishiid1
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聖書によると暴虐を神は憎まれます。 *** 聖8‐参 詩編 11:4‐5 *** 4 エホバはその聖なる神殿におられる。 エホバは―その王座は天にある。 その目が見,その輝く目が人の子らを調べる。 5 エホバは義なる者をも邪悪な者をも自ら調べ, その魂は暴虐を愛する者を必ず憎む。 また、言葉による暴力を聖書は非としています。 *** 聖8‐参 箴言 12:18‐19 *** 18 剣で突き刺すかのように無思慮に話す者がいる。しかし,賢い者たちの舌は[人を]いやす。 19 永久に堅く立てられるのは真実の唇であり,偽りの舌はほんの一瞬にすぎない。 ですから、真似をすべきではありませんし、 相手に仕返しをすべきでもありません。 パウロはこう書き送りました。 *** 聖8‐参 ローマ人への手紙 12:17‐21 *** だれに対しても,悪に悪を返してはなりません。すべての人の前に良いものを備えなさい。18 できるなら,あなた方に関するかぎり,すべての人に対して平和を求めなさい。19 [わたしの]愛する者たち,自分で復しゅうをしてはなりません。むしろ[神の]憤りに道を譲りなさい。こう書いてあるからです。「復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる」。20 そしてこうあるのです。「あなたの敵が飢えているなら,食べさせなさい。渇いているなら,飲む物を与えなさい。そうすれば,燃える炭火を彼の頭に積むことになるのである」。21 悪に征服されてはなりません。むしろ,善をもって悪を征服してゆきなさい。 暴力がひどい場合は、是非然るべきところに相談してください。
- stkc
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はじめまして。 私は信仰する宗教を持っていませんので単なる私の考えで。 人の気持ちは強制できないです。無理にはできないです。 感謝や尊敬や謝罪や憎しみ etc は当人の心から自然に生まれるもので、「そうしなければ」と思っても出てくるものではありません。 犬でも虫でも人間でも生殖機能があれば子孫を作れます。 極端な話、殺人犯だって親になれます。 そして子供は無力です。現在の社会では子供は自分で働いて自分を養う事は出来ません。ですから親が子供を養うのは当然なので養ってくれた事を感謝する必要もないと思います。 私の父は質問者さまの親には及ばないでしょうが、気分の浮き沈みが激しく、理不尽な支配、異議を唱えると怒鳴られ悪くすると蹴られました。 ですが、社会人になってある出来事があって私はとても幸せだな、生まれてきてよかったと思える事があって、その時は不思議なことに親に感謝の気持ちが生まれました。その時はですが^^;。 どのように「尊敬」すればいいのかの回答になっていなくてすみませんが、質問者さまもいつか何かが変わる事もあるかもしれません。
- hhituji
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とても辛いだろうと思います。 暴力をふるう親を尊敬するのは無理だと思います。 だが、聖書には十戒もあるし、さらに恐るべきことに 「敵を愛し迫害するもののために祈れ」という戒めがあるのです。 「敵を憎め」という教えがあればどんなに楽か。だが、やはり神は人間に神の心の一部を植え付けたのでしょうね。親を憎むのは自分の心もとても痛みます。 似たような問いにこういうのがあります。「DV夫と別れるべきか」 クリスチャンだったらこれにも悩むでしょう。 そして、私もクリスチャンですが、もしこのようなことに悩む人がいたなら、「暴力をふるう夫とは別れなさい」と、はっきりアドバイスします(一般人から見れば当たり前ですけどね) どんな答えをしても、いい答えにならないと思いますが、参考までにC.S.ルイスの考えを書いておきます。 かれは、著書、「キリスト教の精髄」の中で「汝を愛する如く汝の敵を愛せよ」について取り組んでいます。 かれはその中で、「汝を愛する如く」にこの問いの答えがあると考えるのです。 愛するというのは、その人のためにならないといけないのです。もし、あなたを本当に愛する人ならば、あなたを叱り、叱咤し、激励し、時に怒りをぶつけるでしょう。 そこから彼は「敵を愛する」ということを「何でも許すことではない」という結論を導いているのです。 あとは、あなたがあなたなりに親にどういう態度をとればいいか考えてみてください。 ルイスは、同じように「汝殺すなかれ」という命題にも取り組んでいます。彼は、戦争で人を殺すことも、死刑も、聖書で禁じられているわけではないという結論を導いています。 ここで短い説明だけをすると内容的に誤解されそうなのであまり書かないことにしますが、悩める人にはぜひとも読んでほしい内容です。 あなたがあなたなりに納得できる人生を送ることを期待します。
- norikunny
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「反面教師」という目で見てはどうでしょうか… あなたが社会にでてから他人に身体的、言葉的暴力を振るわない人になるための試練だと。 一方であなたを生んでくれ、今まで育てて、学校まで通わせてくれている点は立派で尊敬に値すると思います。
- lirakko3g
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親といえども全てを尊敬する必要はありませんし、何もかも完璧な人はそもそもいないですよね。 嫌いな部分、認められない部分があってもしかたないと思います。 でも、貴方という人間をこの世に送り出し、今日まで育ててくれたことは事実です。 それだけでもすごいことじゃないのでしょうか。 まだ幼い日の貴方が親を困らせたり泣いたりしたとき、病気になったり熱を出したとき、貴方のためにしてくれたことを想像してみてください。 尊敬する=感謝する に 置き換えたら、少しはできるのではありませんか?