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持ち物検査について

持ち物検査について質問です 学校での持ち物検査は任意の協力の下で行うものですよね? それなのに、強制する場合や、 拒否すると内申書に響く場合があります。 これじゃ、任意じゃないと思うんですけどどうなんでしょう。 先生が内申書に響かせているのなら強制じゃないですか?拒否すると内申書に響くのを知っていて行うのは、不当だと思うんですけどどうなんでしょうか。

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  • my3027
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回答No.2

もし任意の建前なのに強制してれば不当です。 ただ治安、教育上必要な場合もあります。「強制」にすればいいのに、建前上任意にしている中途半端な学校が悪いです。

noname#107363
質問者

お礼

そのとおりです。 任意の割には、拒否できないと思います。 強制にすればいいと思います。

その他の回答 (7)

回答No.8

持ち物検査は任意でしょう。 では、なぜ持ち物検査を拒絶するのでしょうか? 学校は管理される組織です。 持ち込みを禁止されるものもあります。 それに従わないのなら、その事実を内申書に書くのは、当たり前と思います。 以前、高校の二次試験に金髪や変な服装をした受験生を不合格にした校長が、非難され、左遷されました。 この処分に対しては、逆にその処分を非難し、校長を擁護する意見が多数寄せられたそうです。 私も同意見です。 自由には義務が伴います。 自らを律することも求められます。 考えてみてください。 卒業して、実社会に出れば、無茶と不条理が隊列を組んで向かってきます。 準備も考えもなしに立ち向かえば、好い鴨です。 内申書云々、自由云々言えるのは、学生のうちだけです。

  • huna-huna
  • ベストアンサー率5% (13/241)
回答No.7

せっかく事前にわかってる検査の日に休まなかったのですか? いっそインターナショナルスクールに転校すれば良い。 ちなみに、「公益を害する恐れがある場合」というのは事実上存在しません。 「自分の責任でやる」と言えない公務員的体質の人が、詭弁として使う言葉です。

  • momoituka
  • ベストアンサー率28% (417/1463)
回答No.6

根本的な考え方が違うと思いますよ。 今は管理が行き届いた場所や環境で生きているから 見えない事ばかりで疑問に思うかもしれませんが 嫌な規則を作って居るのは 自分たち本人であるという認識が薄過ぎる様な気が致します。 問題が発生しなければ 誰がわざわざ反感を買ってまで 面倒な嫌な事をしなければならないのか。 それだけの責任と義務が まだ質問者様たちに対して発生しているからです。 悲しい事件の中心は 世の中が悪いだけじゃないですもの。 厳しいルールがあった事が どれだけ幸せなのかを 世の中に放り出されてから知る事になるでしょう。 今の時点では 解らなくても仕方のない事なのかもしれませんね。

回答No.5

 質問者さんの別の質問への回答でもあったように、公益が優先しますね。  任意なので拒否しても良いとは思いますが、公益を害する恐れがある場合、質問者さんは学校への登校を学校側から拒否されても文句が言えない場合があるでしょう。生命や財産に危害を及ぼすものから、学習環境を害するモノまで公益を害するという解釈は多岐にわたります。登校を拒否されれば状況にもよりますが、自宅学習ということにもなるかもしれません。質問者さんに意思があれば中学卒業の学力は学校でなくても得ることが可能です。  内申書を重視している人にとっては強制と映るかもしれませんが、逆に内申書を気にしなければ質問者さんは自由です。逆の表現をすると自由を得たいのであれば内申書の結果は無視しなければならないでしょう。  内申書なんて所詮通学していた学校の尺度でしかありません。そこから自由になって、内申書なんて関係ない進路に進めば良いのです。  持ち物検査を逃れる自由と、内申書が良い内容というのは必ずしも両立するモノではありません。最も多いと思われる進路で周りと同じように生活して過ごしたいのなら、その学校という集団に定められたルールは守らねばなりません。  それを代償と考えるかどうかはその人次第ですが、自由になるためにはそのための代償が必要です。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.4

人様に見られて恥ずかしい物を持ち歩く性根を正せ。が意味だけどw 任意は優しさだよ。 強制なんて言葉を使えば萎縮して勉強どころではなくなる。 生徒は教科書ではなく人の顔色を伺うようになる。 強制はいわば命令。 命令ってのはむやみに使ってはいけないんだよ。 本当に使わなければならない時に使って初めて命令に価値がある。 だから相手に命令を出していない内が平和な証拠だけどね。 平和をぶち壊したかったらどうぞ、拒絶してください。

  • 10ken16
  • ベストアンサー率27% (475/1721)
回答No.3

学校に於いて、生徒は守られる存在です。 いろいろな意味で、結果責任を負わなくてもよい立場と言い換えて良いでしょう。 その分、学校が生徒を管理監督する責任と義務を負います。 学校の裁量で所持品の検査を行うことは、法令に反していません。 むしろ、必要に応じてそれを行う権限、というより責任と義務が学校にあります。 これは、たとえば旅客機への搭乗の際に、持ち物を規制され、 それについて係員が検査することと同様のことです。 ちなみに、ここでいう『任意』の意味は、 公安関係が行う『任意同行』の『任意』に近いものです。 個人の信条や自由意志に基よるかどうかではなく、 単に物理的強制を伴わなければ、任意と解されています。 露骨にいえば、 「『任意』のうちに応じないと、次は強制的手段も採れるヨ」 という意味ですね。 ちなみに、内申書(正式には調査書)には、そういったことはまず書かれません。 調査書は、各学年の担任・学年主任・針路担当・教務主任・教頭・校長の目を経て、 記述内容からてにをはにいたるまで、確認されます。 大多数の教員は、その内容や結果に対して責任を負いたくないと考えますから、 調査書の内容は美辞麗句が並ぶものになります。

  • zorro
  • ベストアンサー率25% (12261/49027)
回答No.1

お考えのとおりです。学校の安全を確保するために特に必要な場合もありますが、本人の同意のない検査は不当です。

noname#107363
質問者

お礼

そうなんですか。 参考になりました。 新学期に委員会に講義してみます。