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これは・・・・・・夢?
眠りに落ちるとき、まず目からやられることに気付きました。 横になってテレビを見てると、まず瞼が下がってきます。 CMの間だけ、目は休ませよう、頭は働いているし、番組が再開したら起きればいい。 すると今度は耳がやられます。ふと気付くといつのまにか番組は始まっていて、驚きます。 さて、この寸前まで頭の中では勝手なシーンを考え、物語を進めていました。 この、頭の中の物語は、夢なのでしょうか。これを夢といってよいのでしょうか。これが夢に移行するのでしょうか。 いったい、どこからが夢なのでしょうか。夢の定義やメカニズムを教えてください。 睡魔に完全に頭をやられる寸前、闘いながら考えたことです。無事生還できたからこそ、覚えているんでしょうね。
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- tanigawa9
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夢なのか現実なのか?。僕は50年も生きていますが、今でも、この人生そのものが夢なのではないか?・・・と思うことがあります。寝て夢を見ているときは本当に真剣にその夢の中で生きています。夢が現実よりもリアティーに満ちていることはよくあることです。夜中にあまりの鮮烈さに目を醒まし、『よし!明日の朝まで絶対覚えていよう』と思っても、ほとんどは忘れているし、ただ一つ言えることは、その鮮烈さだけは覚えていると言うことです。 例えは変わりますが、こんなことを考えます。それは『あの虹は七色だが、誰もが同じ色に感じているのだろうか』『象の形はこうだと言うが、誰もが同じ形として認識しているのだろうか』ということで、その答えは『否!』ということだと思います。結論はあなたが感じる感覚は、唯一無比のもので、表現し得ても、受け取る側は完全なる同一の認識ができないと言うことです。それが感性であり個性なのではないのでしょうか?。絵心はあってもゴッホの絵は描けない、と言うことで話を締めくくりたいと思います。
- stomachman
- ベストアンサー率57% (1014/1775)
読む必要に迫られた面白くない本を読みながら仰向けに寝てました。つまり両手で本を持っていた。ところが途中で話がどんどん面白くなってきた。論理がぶっ飛んでる。縦横無尽の凄い展開です。あまりに面白いので変だと気が付いて目が覚めました。相変わらず本は持ってましたがページは進んでおらず... 眠いのに無理して読んでいるうちに「大丈夫。ちゃんと読んでるよ」と自分自身を騙して眠ってたんですね。意識だけが脳の高次機能ではない証拠です。夢が意識を刺激しすぎないようにいろいろと調節をする(あまりどぎつくない表現に差し替える)などの「自主規制」メカニズムがあることも知られています。でも著者より面白い話を作っちゃって失敗したんだから浅はか? ところで、どんな話だったのかすぐに思い出そうとしたんですが(なにしろ眠いもので)もたもたしている内にどんどん忘れて行く。面白いという印象以外、結局再現できませんでした。これは夢の特徴のようです。 同じメカニズムと思われますが、居眠り運転で事故を起こした人の言い分に、自分は広い駐車場で休んでいる積もりだったとか、目を開けている積もりだった、というのがあります。これは笑い事じゃ済みません。 夢は、余計な情報を整理して長期記憶を形成するのに必要な作業の副産物、という説もあるようです。
お礼
こんな困った質問にお付き合いくださいましてありがとうございます。 目覚めてすぐに思い出せなくなる、というのは確かに夢の特徴ですね。ここまでいくと「夢」といってもよいのでしょうか。 私の場合、それまで考えていたことを全部覚えているんです。ほんの短い間で、そこまで落ちていない、ということだろうと思うのですが、「今寝てた?」と訊かれたら、「考え事しよった」「夢見よった」、どちらを言うべきなのでしょうか?(その代わり私は夜ほとんど夢を見ません(覚えていません)) しかし、「夢日記をつけるコツは、目覚めてすぐなら思い出せるから、枕元にノートを置くこと」といいますので、私の「全部覚えている」も夢なのでしょうか。「それにしては頭がはっきりしている」と言っても、これはしっかり眠っていた人でも言えることですね。 これが夢だとすると、夢って、無意識って、とても意識と近いところにあるんですね。「意識がなくなって無意識」というより、「意識の影に無意識」という感じがします。意識と無意識の騙し合い。ああ、意識的に考えたことだと思いたい。 夢は意識を守るものなのですね。「意識」の部分を騙しながら、「無意識」に取って代わらせる。この境目を知りたいところです。
お礼
面白いお話しをありがとうございます。 夢について、私たちの基本的な認識すらも揺らいでしまいました。私たちの基底にはあいまいなものが確かにあって、「夢」にしても頑張って解明したところでこのような疑問や不安は消えないのではないかと思います。 「リアルな現実」と言いますが、「リアリティー」って何でしょうか。私は以前リアルな絵を描こうと考えていましたが、自分の腕をみてそれが不自然に見えてしまったので描くことをやめました。リアルとか普通とかいう基準がそれほどの正しさや普遍性を持たないということに気付いたとき、それは世界を揺るがすものになるでしょう。しかしそれらの持つ幅に気付けば、それを大きく見ることも、わずかなものだということもできると思います。 たとえ私たちの見ているものが違うとしても、私たちは伝えようとする努力を怠ってはならないのではないでしょうか。ゴッホだって多くの人に何かを伝えることができているから偉大なのだと思います。