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世の中のこと II
学校では理想ばかりを教え、世の中の酷い現実とそれに出くわしたときの対処法を教えてくれないのはなぜですか? 例)対処法と気持ちの整理のしかた ロストジェネレーションに生まれ再チャレンジの道が閉ざされているときは、、、 理不尽にペットを殺されたときは、、、 金融危機の煽りを受け、内定を取り消されたときは、、、 先輩にも取り消された人がいるんですが「放心状態で何もする気がしない」と言っています もし学校の授業で習っていたら直ぐ行動に移れるんじゃないかなと思います よろしくお願いします
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- ryuken_dec
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学校は基礎的な読み書きなどを教えるだけの役割しかありません。 >対処法と気持ちの整理のしかた >ロストジェネレーションに生まれ再チャレンジの道が閉ざされているときは、、、 >理不尽にペットを殺されたときは、、、 >金融危機の煽りを受け、内定を取り消されたときは、、、 これらは、その基礎学力をもって【自分で学ぶ】べきことです。 内定を取り消された時の対応・・・ Aさん:実家の農業を継ぐ Bさん:大学院に進む Cさん:ヒモになる Dさん:再度就職活動をする Eさん:アルバイトに応募する Fさん:友達の会社に行く Gさん:起業する Hさん:株の専業とレーダーになる Iさん:世界一周旅行に出る Jさん:プロゴルファーを目指す Kさん:弁護士事務所に戻る Lさん:アメリカに留学する Mさん:本を書く Nさん:親の会社に就職する 人によって選ぶ道・選べる道が違います。これを学校の授業で教えるのは不可能です。友人が3ヶ月前に起業したとして、それを3年前の授業で「2年9ヵ月後にあなたの友人が起業するから、そこに就職すればいい。」なんて教えろというのか。 その瞬間のその人の事情と特性と環境によって全く異なりますので、誰かがどこかで教えられるものではありません。 予知能力者以外は不可能です。 もし、一般論として辛いことに対してどう立ち向かうかということであれば、それは教えてくれています。 >この人たちができることを学校で教わった記憶はありません 湯浅さんの言わんとしていることは学校で教わったことで十分推論できます。 >「努力しろ」とは言われましたが、「努力のしかた」は教わりませんでした それは理解が足りないだけです。努力の仕方など1+1=2ですよ程度には十分に教えています。それで1+1=2では全く分からないから教えろとでも言っているようなものです。 学校というのは考え方を教える場ですよ? 間違っても個別の具体的なケースでどうすべきかというものを教える場ではありません。それは金を払って専属コンサルタントでも雇ってください。彼らの仕事です。 例えば顧問弁護士、顧問税理士、顧問会計士、顧問コンサルタントなど質問者様が望まれるようなことをしてくれる人はちゃんと存在します。学校がやることではありません。彼らに教わってください。
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
教えていないんですか? 私は学校時代に学校で教わりましたし、保護者会での話によると、私の子供の学校でも教えているそうです。たいていは道徳の時間や、今なら保健や総合の時間、または授業中の雑談などを通じて学びます。 ただ、そういうものというのは、決まった対処法があるわけではなく、人それぞれ、自分に合った、時代や状況に合った対処法を、自分なりに開発していくものだと思うんです。それを自分でできるようになるために、日々、いろいろな角度から学んでいるはずであり、一方では、対処法を共に考えるために、スクールカウンセラーなどのもとを訪ねるよう指導されているはずですし、今の時代なら、その他の相談先の電話番号などが書かれたカードなどが、全国の児童生徒に配布されているはずです。 また、回覧板や、無料で配布される市町村の広報紙などにも、相談先や解決のヒントが書かれたものが載りますので、何かの事情で学校に行けない人や、学校で学び損なった人にも、情報を知るチャンスがあります。もちろん、学校を卒業してからも、保健所や役所の無料相談を通じて対処法を探ることはできますし、その旨も広報されています。 お役立てください。
お礼
貧困襲来[著者]湯浅 誠 こんな本が出たらと願っていた。テーマは貧困。ワーキング・プアの若者たちを評して、「若いんだから死ぬ気になれば何だってできるはず、考え方が甘いんだよ」などと口走るオジサンたちは、まずこの本を読んでからものを言おう。 いま日本社会では貧困の大量生産がすすんでいると著者は言う。みんな死ぬ気で頑張っていないから? とんでもない。貧困へと勤労市民を追いやるメカニズムが強力にはたらいているからだ。著者によれば、貧困とは、生きてゆくのに不可欠な「溜(た)め」を奪われた状態に陥ること。なぜそうなるのか、豊富な具体例を引きながら、著者は諄々(じゅんじゅん)と説く。教育が保障されていないこと、非正規職への就業者には企業福祉が適用されぬこと、公的な支援が受けられぬこと、家族の支えが得られぬこと、そして「うまくいかないのはぜんぶ自分のせい」と納得させられてしまうこと。 人を貧困へと追いこんでゆくそんなしくみを見ようともせず、努力が足りないと切り捨てる制度や政策にたいしても、本書は鋭い批判を浴びせる。最後のライフラインである生活保護の申請を抑えこみ、餓死者が出ようと恥じない「水際作戦」、「福祉に頼らず自立しろ」と、生活の安全保障を外し「決死の綱渡り」を強いる再チャレンジ政策…、みな、貧困者をさらに痛めつけるばかりではないかと問いかけるのである。 貧困者の自立生活支援に長く現場で奔走してきた著者の物言いは冷静沈着、貧困は自己責任ではなく社会が解決すべき問題であることを、クリアに、しかもわかりやすく説明して余すところがない。悲惨さを声高に訴える姿勢など微塵(みじん)もないその語り口に、しかし、貧困を隠し放置している権力への深い怒りをみる。 格差社会を論じる本は山ほどあるが、格差の「キモ」である貧困問題は素通りするものが大半。そういう格差本のあざとさを一蹴(いっしゅう)する本書が、ネットカフェをはじめ、誰でも読める場所に常備されたらと評者は夢想する。出色の一書だ。 この人たちができることを学校で教わった記憶はありません ありがとうございました
補足
日本では一度非正規、フリーターになると正社員への回路が全く閉ざされています。経団連の2006年のアンケートでも、フリーターを正社員として積極的に採用したい企業は1.6%という数字が出ています。正社員になれない限りずっとボーナスは出ないし、給料も上がらない。仕事は単純な肉体労働です。フリーターの平均年収は現在106万円ですけど、私もそれぐらいが生涯における最高年収で、体が動かなくなるにつれて年収は下がっていくだろうと思っていました。そうしたら本当にその通りになって、30歳を過ぎるとバイトも雇ってくれなくなるという現実もあり、10年後には周りのフリーターの人が雪崩を打つような形でホームレス化し始めました。それが今、ネットカフェ難民のような形で現れているわけです。 ネットカフェ難民になるのも本人の責任みたいに言われることが多いですよね。しかしこれは湯浅誠さんの『貧困襲来』という本に詳しく書いてありますが、人材派遣会社、サラ金、敷金礼金ゼロ物件といった「貧困ビジネス」が、フリーターがホームレスになるまでに暴利をむさぼる構造として存在しています。例えば賃貸物件では、フリーターの人を入居させるのを大家さんは嫌がります。だから敷金礼金ゼロをうたう物件に入らざるを得ない。でもそういう物件って実は賃貸借契約ではなく、施設管理契約という契約で、家賃を1日滞納したら追い出せる仕組みなのです。インフルエンザなどで家賃を払いに行けず、家で寝ていたら本当に追い出され、そのままネットカフェに行ってしまったというような被害報告もかなり聞いています。 もうひとつネットカフェ難民やホームレスになった人に取材をしていると、共通の経験を聞くことができます。それは製造業の派遣をしていたということです。製造業の派遣というのは、究極の景気の調整弁です。管理するところも人事部ではなくて、工務部や調達部という部品を管理する部署なのです。人件費ではなくて物件費という、物を管理するところのお金で扱われているのです。元々人間扱いではないので、工場で作っている商品が想定より売れなかったら、すぐ1カ月で雇い止めです。突然「あと3日で仕事が終わるから、寮も出てって」と言われて、東北あたりから何も分からずに連れてこられた若いフリーターの人が、土地勘も全くない、知り合いもいないところで仕事と住むところを同時に失うのです。 つまり彼らに触手を伸ばし、身ぐるみはがしてホームレスにする過程で儲ける、というシステムがビジネスとして成立しているわけです。これは個人ではあらがいようがないもので、そこに国の規制なりを入れてどんどん摘発してもらわないといけません。自分が悪い、運が悪かった、仕事ができないから雇い止めになったと本人は思っていますが、いくら仕事ができてもそういうシステムの中にいる限り、解雇になってしまうビジネスが先にできているのです。今まで若い人たちはそういう状態にある自分を責め、その結果たくさんの自殺者が出ました。2002年から、20代の死因の1位はずっと自殺です。
- kamuneko
- ベストアンサー率44% (11/25)
はじめまして。 学校では理想ばかりを教え、世の中の酷い現実とそれに出くわしたときの対処法を教えてくれないのはなぜですか?< それは、世の中の物事のあるべき姿(実態、理想、現象など)は、先人の経験(歴史)や実情に基づいて後人へ教授できるのですが、 例えば不測の事態の対処というものは、各個人の人格や経験にゆだねられるべきもので、これを学校で教えることは、個人の思想(宗教や哲学などを含めて)を他人の思想よって支配されかねない恐るべき行為となるからです。これは教育としては、絶対にあってはならないことです。 だから、諸先輩からのアドバイスを求めたり、さらなる知識を得ようと人は努力します。様々な情報を分析しながら、自分の考えや行動を、自分で決定しなければなりません。 世の中の出来事は、その時の個人の能力の範囲で理解され、そして成長、経験によってさらに理解を深め、そして、なんらかの対処を要する場合は、個人の意思決定(経験や知識、アドバイスなどに基づき)によって回避等対処するべきことなのです。 すべては自らの「努力」で、さまざまな局面に対し解決してゆくのが人間です。
お礼
>「努力」 「努力しろ」とは言われましたが、「努力のしかた」は教わりませんでした 質問のしかたが悪かったようです、改めて質問しなおします ありがとうございました
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
本を読め。これは学校から言われている事では? 本の中に対処方法を書かれた物もあります。 それに、全ての災いに対して対処方法を教えることは時間的にも無理です。これらは人生経験の中で自分で考え、そして行動することで解決する問題です。 私は様々な苦労をしています。現在進行形ですが、自分の持っている道が閉ざされたら回り道でもしても進めと思っています。自分の中で常に悪い状態を考え、ではどうすれば良いのかシミュレートしたりもします。 様々な文学作品でも逆境に遭いながらも前に進む事が書かれています。 学校は学ぶきっかけ。そして、学ぶことは学校だけで全て知ることは出来ません。人生常に勉強です。 それにと、授業でならったからといって、そのまま通用しないのが世の中です。だから考えるのです。負けないためにも。
お礼
>本を読め。これは学校から言われている事では? 漠然とし過ぎている、解説が必要、 「この本は、ロストジェネレーションに生まれ再チャレンジの道が閉ざされているときの対処法が書いてあるから、きちんと読んで分からないことは先生に質問しなさい」とは言われませんでした >全ての災いに 全てじゃなくても、主だったものとか、、、 >時間的にも無理です >様々な文学作品でも こちらの方が時間がかかるような、、、 ありがとうございました
- ap10
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なぜそんな事を学校に求めるのかが不明 実際にそんな現場を与えなければ教えようがないでしょ 言葉や方法論だけ説明したって理解できるはずもない イコールそんな授業価値がないと・・・ それに教えようとは思ってないが、学校で十分体験できる事柄だと思います 先生方や先輩方の理不尽な対応とか体験ないでしょうか? そこから自分でどうすればいいかを見つけ出す事だと思います また学校の教育というより部活動とかの方がこの手の事は向いてる気がします そういう意味では体育会系な部活に強制入部という対処法はあるけど、万人に使えるわけじゃない 自分の経験上、単純に言われた事だけやってきた人が、経験の不足により陥る状況という気がし、ちゃんと自分で道を作ってきた人は当然の如く対応しちゃいます 「ただの責任のなすりつけにしか見えません」というのが本質問に対する感想です
お礼
>言葉や方法論だけ説明したって理解できるはずもない 何も無いよりは、、、 >先生方や先輩方の理不尽な対応とか体験ないでしょうか? 卒業するまで我慢しとけば、、、 >単純に言われた事だけやってきた人が、経験の不足により陥る状況という気がし 「道の作り方」を教えるのも大人の責任だと、、、 僕はある程度の「力」をつけてもらえなかった人(子ども)に対する責任は大人にあると思います ありがとうございました
お礼
質問のしかたが悪かったようです、改めて質問しなおします ありがとうございました