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ミニ新幹線は、どういった理由で計画から開通に至ったのですか?

約3年前に、http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3237548.htmlで質問をした者です。 しかしながら、私の質問文に語弊が存在し、はっきりしない形で終わってしまったため今回敢えて同様の質問をしようと思いました。 一体ミニ新幹線(山形-新庄間は除く)が、誰の手で・何のために「計画→開通」へと導かれたのでしょうか?。 (政治家が通したかったからなのか、住民の要望があったのか、JRが勝手に幅を変えて直通できるようにしただけなのか?)  東海道・山陽新幹線が太平洋ベルト地帯の主要輸送手段として必要な点、東北・上越・長野新幹線が首都圏への足として普通に必要な点は納得できるのですが…。

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  • EF8195
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回答No.1

東北6県のうち、東北新幹線のルートから外れた山形県・秋田県は、当然ながら新幹線の恩恵を受けません。直通の特急列車がなくなり、(途中の駅まで新幹線を利用する事で所要時間は短縮されますが)乗り換えの手間が増えます。皮肉な事に、山形新幹線開業までは、特急「つばさ」のうち1往復が上野発着で残されました(福島・山形間改軌工事のため、最後は仙山線経由で運転)。このため、新幹線への直通運転を望む声は、東北新幹線開業(1982年)の頃には自然発生的に地元から出ていたと思われます。 但し、政治家の影響があったのは事実です。山形新幹線の場合、地元選出の民主党衆議院議員・鹿野道彦氏(当時は自民党所属)が熱心な推進者として知られており、同氏のHPにも、「自らの業績」として掲載されています。秋田新幹線については、特定の政治家が「熱心に推進した」「影響を与えた」のかどうかまでは分かりません。 http://www.dpj.or.jp/member/?detail_131=1 http://www.kano.or.jp/keireki/keireki.html また、東北新幹線は長い間盛岡止まりであったため、乗り換えの手間という点では八戸や青森へ行く場合も同様でした。しかし、盛岡・新青森間が札幌への「整備新幹線」ルート上にあるため、青森県では「青森市(新青森)までのフル規格推進」一本で、とりあえず「沼宮内(現:いわて沼宮内)・八戸間」だけ先行して着工された時も、この姿勢は「ブレない」で貫き通しました。ここが山形や秋田との違いです。

noname#110669
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。これだけが理由という訳ではなかったんですね。 これでやっと納得することができました。

その他の回答 (2)

回答No.3

どちらを知りたいのでしょう? ・(フルであれミニであれ)なぜ山形に新幹線が通ったのか→#1の方の回答 ・なぜフル規格ではなく「ミニ新幹線」なのか→#2の方の回答 どちらにも解釈し得るので気になりました。

noname#110669
質問者

お礼

これは申し訳ないです。#1の方の内容に興味がありました。

回答No.2

 以前JR東日本の会長だった山之内氏の著書「新幹線がなかったら」によると、1980年代、当時の国鉄幹部が安価・早期に新幹線網を拡張する手段として考案、JR化後、山形県に働きかけたところ乗り気だったので、山形県とJRの双方が知恵と資金を出し合う形で実現したようです。  計画としてはフル規格の「奥羽新幹線」なるものが存在するのですが、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E7%BE%BD%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A  いわゆる整備新幹線よりも優先順位の低い基本計画線、国鉄・JRには金が無いし、費用を考えると地元政治家も積極的に推進できないということで膠着状態となっていたところに、ミニ新幹線というアイディアができて双方乗り気になったということでしょうか。  山形新幹線や秋田新幹線が出来たのには、その他に技術的要件(似たような条件にある岡山接続の伯備線や四国各線の場合、振り子車両や非電化区間への対応を考えなければいけない)や、東海道・山陽新幹線は長大編成の頻発運転(山陽はそんなに過密でもないですが、新大阪の折り返しがネック)で、ミニ新幹線が入り込む余地が小さい事、発案者の存在(国鉄時代のミニ新幹線の発案者はJR東日本に移った模様)も考慮する必要があるのかな、とか考えたりもします。

noname#110669
質問者

お礼

ご回答して頂き、ありがとうございます。そのような見方もてきるんですね。

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