資本主義社会制度と自己責任の限界とは?
資本主義社会で、
ホームレスや
落ち目の三度笠、流し、
非正規労働者等に成るのは
資本主義社会の
制度上仕方がないので、
良い運に巡り会えなかった
(運が悪い)からなのではないのか?集まった答え。
1.
それを不満に思ってるならそうかもしれませんが、不満に思ってない人も多いと思います。
努力をして、正当な成功を目指す人ばかりではありません。
ほどほどの努力で程々の人生を目指す人も多いので。
人の幸せは、職業だけでは測れない。と思いますよ。
>良い運に巡り会えなかった
>(運が悪い)から
運の悪い人、運のいい人は確かにいるでしょう!1%~5%ぐらいは。
要は「努力」が足りなかった人の方が多いと思います。当然自己責任。
まあ努力と言っても、それを必要だと思う知恵、感覚、先見性、アイデアなど生まれ持った能力がなければならないですが・・・
性格や環境も左右されるので「運」も関わってきますが・・・やばいと言う感覚が欠如し悪運、良運の見極めもできないボンクラでは良い会社も見えないでしょう。
>良い運が見えなかった
>(目が悪い)から
先見の目 が悪かったということでしょう!自己責任
補足;勉強は学校が教えてくれる・・という学生
給料は会社がくれる・・・・・という社員
学問は自分で学ぶもの
給料は自分で稼ぐもの
制度が孕んでいる欠陥に対しては
見向きもされずに、
個人の罪、無知。
先見性がないから。
社会の仕組みを知らない本人が悪い。
努力すれば、、と言う答えが目立つが
これは資本主義的な考え方に
答えに人間たち全てが浸かり過ぎて
資本主義という制度
そのものに視点が行かないからでは?
それとも、
頑張れば出来るとの
精神論、根性論が世の中に
人々の意識に
定着し、住み着き、浸かり過ぎた為に
自己責任を覚えたての言葉の様に
言っているから
資本主義社会の制度的に
目が行かないのか?
資本主義社会、
資本主義制度的の
欠陥、限界とは何か?
自己責任の欠陥、限界は?
この世の全てを自己責任で
説明することは、可能か、否か?
社会カテゴリーの人間にとって、
自己責任、
精神論、根性論
資本主義社会・制度、
お金(紙幣・通貨)とは何か?
社会カテゴリー皆さんの
ご回答のほど、
お待ちしております!
お礼
そんなもんみたいですね ありがとうございました