もう一回だけ顔出しをお許しください。
先のコメントで「教授に意見を届けておきます」と書いたので再度、ご意見を伺いました。その回答を私の最後の発言として紹介いたします。
教授回答_
「この国で略奪愛・横恋慕というものが起きるとしたら、その状況は、貧しい環境の男が金持ちの男に自分の恋人を奪われる。奪われそうに
なるというケースです。他人の恋人を奪うことが出来るのは、その男性より経済力のある男だということを基に、こういう言葉の表現は考えてください。言語文化はその国の社会背景を表します。文化の異なる国の言葉を、ニュアンスが近いからと言うだけで直訳はできない。中国の女性は経済力のある男性との結婚を望みます。女が男を選ぶのであって、男が女を選ぶわけではない。好きな女性と結婚したいなら男は必死に財を築けばいい。経済力があれば、好きな女性が望む物を買い与えることが出来ます。その力がないのであれば、他人の恋人や妻を奪うなどということは誰も考え付かない。“金持ち(絶対的、強者)>貧しい者(弱者)”という社会構造が存在する以上、強者が弱者に恋人を奪われるケースは少ない。また弱者が強者の恋人を自分のものにしたいと望んだり、弱者の恋人を強者が奪おうとした場合、弱者は強者&自分の恋人に懇願するしかないと思います。」
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…というものでした。教授の意見を参考にすると、奪われそうになる側は、けんか腰の口調や暴力で解決しようということはありえないかと。低姿勢で頼み込むしかない状況!?などとあらためて思った次第です。
以上です。
お礼
みなさん、いろいろと貴重なご意見、ありがとうございました。 お返事が遅くなって申し訳ありません。 回答の入力文字の制限から、2回に分けてコメントさせていただきます。 この言葉は誰に対して言うとか伝えるということではなく、 将来中国で生活するつもりで中国文化を勉強中の私が、興味を 持ったものでした。 清不要槍我的愛人 に対して友人の中国人に問いましたが、 別におかしくはない、ただ”槍”は中国語で”銃”のことだ そうです。 別に”弱腰”ということでもなさそうだということでしたが、 ただご意見のあったように、中国語(に限らないとは思いますが) 日本語との間で直訳はNGですよね。 同じ表現でもいろんな言い方があるようで、その辺は特に中国語 では難しいようで、シテュエーション(相手、状況等)により 違う表現方法があるようです。 ただ、表現としては十分伝わるということで、これを相手と 同じ中国人が伝えるのと日本人が伝えるのとでは(普段は) 対応が異なるのは目に見えた事実だと思います。 日本人が伝えると、”ああ、この人は外国人だから..”と 思い(そうでない切迫した状況では別ですが)、意味を理解 してくれるということだと思います。 <続く>
補足
”回答へのお礼”の続きです。 教授のご意見の一つについてですが、“金持ち(絶対的、強者) >貧しい者(弱者)”という社会構造、これは構造というもの ではないと考えます。あくまでも”そういった考え方がある”という 事実であって、決して構造ではない。 人の”心”とはそんな単純なものではないと思うからです。 結局は生活を第一に考えるので、いくら燃えるような恋愛をしても 経済力が実生活についていかないのであれば、愛してはいても 結婚には結びつかない、といったことは結構彼らの考えとして あるように思えます。理にはかなっているかもしれません。 ”駆け落ち”して四畳半アパートに細々と暮らす..という考え は少ないようなイメージです。 しかし、やはり”愛”というのは強いものであり、時には経済面 などは乗り越える力を持つ、という事実は中国人にも存在します。 命さえあれば、自分さえあれば、どんなどん底からでも這い上がって いけるということは、例え日本人でも中国人でも、心の命の底に 根付いているのは確かな事実です。 短いかもしれませんが、私は約1年間の中国人達との心のふれあい の中で、そういった事実を心で噛み締めることができました。 言葉や文化の違いはあれ、所詮は同じ人間。今、私の心にはそれしか ありません。