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エフゲニー・オネーギンと同性愛?
こんにちは。 先日,チャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」を観てきました。 大変に素晴らしいオペラだったのですが,疑問がひとつ。 演出上,オネーギンとレンスキーがどうも(・・・というか,明らかに^^;)バイセクシャルとして描かれていて,つまりご両人はそういう関係(汗)にあったと・・・。 台本やプーシキンの原作を読み込まないままの質問で大変に恐縮なのですが(日本語のそれらを入手しにくい環境です・・・),それ(同性愛)を示唆するような内容が含まれているのかどうか?・・・というのが質問です。 マニアックな内容ですが,憶測等でもかまいませんので,お気軽に回答いただけましたら幸いです。 【ご参考に(若干の映像あり)】 http://www.bayerische.staatsoper.de/888-ZG9tPWRvbTEmaWQ9MTI0NSZsPWRlJnRlcm1pbj0-~spielplan~oper~veranstaltungen~videobeitrag.html
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オネーギン、プーシキン、チャイコフスキーはある意味、同類の人間だと思います。 劇中で「負」の主人公オネーギンは、なぜか「正」の人間を惹きつけます。詩人レンスキーがそうです。 が、結局はお互いに深いところで相受け入れることが出来ず、婚約者に対する嫉妬からきた正義感から最後は決闘という破局をむかえます。しかし、残ったのは負の方です・・・ プーシキンやチャイコフスキーは共に偉大な芸術家で、優れた資質の故に時代よりも半歩先を走り続けることの孤独、ヨーロッパの合理主義に憧れながらも体の中で脈打つ情緒的なロシア気質、支配者でもなく民衆でもない不安、情熱と冷笑、勤勉と怠惰・・・、オネーギンに代表されるそういった資質・系譜は、プーシキンの中にもチャイコフスキーの中にも、しっかりと受け継がれていたように思います。また、彼らは実際にも決闘(プーシキン)や同性愛(チャイコフスキー)が、それぞれ原因で世を去っています。 ご覧になったオペラでの演出はおそらくそういったことを劇中のオネーギンとレンスキーに強烈にあてはめた演出ではないでしょうか・・・?
お礼
こんにちは。 オネーギン像をより強く印象づけるための演出手法,あるいは同性愛者だった(と考えられている)チャイコフスキーの投影としての演出,というのは,あるかもしれませんね。 チャイコフスキー自身,このオペラの作曲中,まさにオネーギンのような境遇(手紙による求愛を受けていた)にあったようですし。 また,ちょろっとWebで調べた中途半端な知識によると,「オネーギン」のような人物像は,ロシア文学に特徴的(つまり,当時のロシア社会にもよくいた?)なキャラクタのようですね。 オペラでは単なるイヤなヤツみたいになってしまっていますが(一説によるとチャイコフスキーはオネーギン嫌いでタチヤーナに入れ込んでいたとか?),原作ではもっと違った魅力,というか,オーラを放っているキャラクタなのかもしれませんね。だからこそタイトルも「エフゲニー・オネーギン」なんでしょうし。 決闘後の苦悩や哀しみが,「親友」ではなく「愛人」レンスキーを喪ったがゆえのものだ,というのも,納得できるような,いや,できないような・・・(笑) ・・・ええと,整理できていないままお礼しておりますので文章がぐちゃぐちゃですが,考えるきっかけを与えてくださいましたことに感謝いたします。 ご回答,ありがとうございました。