是は「意識」のせいです。人間は意識する事で苦しい思いをする事が有ります。耳鳴りだけでも意識をして苦にした時はそれがますます苦になります。精神疾患の症状は大抵の場合が意識した事そのものが症状名になる事が多いみたいです。精神衛生に良いという事は心が絶えず自由に動く事が出来るという事です。
貴方の場合は心が一か所に停滞して流れない心になっています。これが精神衛生には良くない事です。一か所に停滞しているという事は、意識し続けているという意味です。どういう風に悪いのかを説明して見たいと思います。
その前に心と言うものが、どういう風にして出来ているのかを私なりの解釈で説明してみたいと思います。心には二つの要素が有ると思います。一つは自我意識と言うものです。いわゆる自分自身が感じている心、自分が感情を抱いている自分自身の心と言う事です。
ですがよくよく自分自身を観察してみた場合に気が付く事が有ります。自我意識ははたして自分の事を、どの位把握しているのだろうか?と言う事です。歩くという事でも自我意識はほとんど感知していないのではないのか?と言う事をです。
何気なく意識をしないでやっていてうまくゆく時と、何かあって意識した時にうまくゆかない時です。意識をして何かをやろうとした場合は自分が確かにやっています。では無意識に何かをやっている時はどうでしょうか?うまく事が運んでいます。ですが自我意識は余りその事には関知していません。
それでは自我意識が関知していない時はどうでしょうか?それは自我意識はやっていない事になります。実は心の秘密と言う事は今言った事に関係しています。人間がうまく生活が出来ているのは今言った意識と無意識が密接に絡み合っています。
無意識を統率しているものがいます。自我意識には分かり難いのですが、確かにいます。そしてはっきりとした意識が有ります。普通の健常者と言う人達は、その二つのものがうまく調和をして仲良くして絶えず手を取り合って生活が成り立っています。
それは意識と無意識がタイミングよく交代出来ているという事になります。意識をした時からそのタイミングがずれだしてしまう事が有ります。その事が精神疾患の原因になるという事が有ります。神経症と言うものはその典型とも言えるかと思います。
その事を説明してみます。意識をするという事で自我意識は心から一人歩きを始めます。ですが自我意識だけではうまく事は運びません。その事でなおさら自我意識は意識をするという悪循環が出来ます。つまり無意識の働きを使えなくなってしまうからです。困っていry自我意識に対して、無意識の意識は、自我意識に自分の存在を働きかけます。これが精神疾患の「漠然とした得体の知れない不安感」と言えます。
一つだった心が自我意識だけ離れてゆきます、無意識の意識は呼び止めようとします。そのアピールが耐え難い感じに映るために、大抵の人は精神科医の門をたたく事になります。ですが本当の対処の仕方は、その苦しい想いを受け入れるという事です。その受け入れる事によって、今までの子供時代ののような関係が取り戻されるからです。今の精神科医の精神疾患の対処の仕方は、本当の心を無視した対処の仕方になっていると思います。
今の対処の仕方であれば、精神疾患の本当の解消は難しいかも知れません。その辛さを受け入れた時に、二つの心が出会えるからです。今の医学では「悪いものを追い出そう、受け入れるなと、いう治りとは反対の症状の固定の方向を目指している気がするからです。
お礼
詳しい説明をありがとうございます。 しかし・・・今の心理状態ではあまり理解できません・・。 医者に掛かることで救われるとも限らない。という事でしょうか? 僕自身、そのように感じる事はあります。 新しい仕事を始めたばかりで、仕事を休んだりする事にも抵抗がありますし・・・。 気持ちを他に向けるって事も大事なんですかね・・。 それが今は難しくて・・・。