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永遠の愛
婚前交渉が当たり前の様な風潮がありますが、 お互いに自分達しか知らないから絆が生まれ信頼し合い特別な関係つまり夫婦になれるのではないかと考えています。 色々な人との性交を経験しないと大人になれないのでしょうか?それが大人になる為の経験なのでしょうか? 性交は愛情表現と言いますが、確かに素晴らしい愛情表現だと思います。ですが愛があっての表現だと思います。 愛があるなら彼女に対して社会的責任を持つことができるのではないでしょうか、 責任を持たないまたは責任を持つ気がないのに性交するのはたんなる性欲処理だからではないでしょうか? 婚前交渉をするということはその相手と結婚する予定がない限り未来の配偶者を傷つける事になると思います。 僕は妻を疑いたくないですし、妻をそういう気持ちにさせたくはありません。 僕がおかしいのでしょうか?人生経験豊富なみなさんまだ若く童貞の僕に助言よろしくお願いします。
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- hyuuma8579
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理想論と現実の話ならば、尚のことそうなりますね。 理想が単なる妄想ならば別ですが、貴方だけの心にあるものではないはずです。万人共通の思い描く「正しい生き方」のひとつなのです。 もし、その理想論からかけ離れているというなら、私は、現実の方を問題視します。というのは、「婚前交渉しない」ということが、絶対不可能な突拍子もない、とんでもない、ふざけた理想だといえるなら「絵に描いた餅」として、一笑に付すだけのことですが、あまりにも真摯なテーマです。この問題に関しては、現実が、その理想論から、かけ離れればかけ離れるほどに、理想が間違っているというより、理想だと知りつつも、理想通りにできないのだとしたら、その人間は、正しい心に従えない、弱い人間だということになるのです。現実が、その理想からかけ離れるほどに見えるぐらい弱い人間が多すぎるということです。 ですから、はっきり言って、貴方の質問の回答者を限定する必要があるのです。この問題に限っては、現実に負けた人=負け犬に回答を求めるべきではないと思うのです。何故なら、負け犬がどんなに吠えても、所詮は、「どうして負けたのかの自己正当化理論」を、巧みに語るだけのことだということは、回答を待つまでもなく、貴方が一番わかっているのではないですか?回答を求めるなら、その理想通りに生きて幸せに生きている側の人間でしょう。理想どおりに生きられない、負け犬的人が多い中で「貴方はどうしてそういう生き方ができたのですか?」と。それなのに、貴方様の視点が全く逆になっておりますよ。それは、私への補足文ではっきりしましたが、「理想論を現実で生きているみなさんにどう思うのか伺いたかったのです」です。これでは、多数決ではありませんが、多くの負けた方の人間にばかり耳を傾け、一番大切な理想通りに生きている、希少価値のある人間=勝った方の人間には関心がないということになり、結果、貴方自身も、理想に生きることよりも、所詮は現実正当化理論に自分を落ち着かせたいのだとしかみることはできなくなってしまいますが、それでいいのですか?如何なる物事も、より困難な問題を乗り越えた人を勝利者と呼ぶであろうし、人は皆、積極的な意味では、負けた人からよりは、勝った人から、何かを得ようとするのは、誰にもあてはまる、極自然なことですね。 貴方は私への補足で今、迷宮で迷っているとおっしゃいましたが、今私が指摘した矛盾から察するに、実際は、現実を選ぼうと決めているのではないかとすら思ってしまいます。 それに、もしや、貴方の中では、まさかそういう人はいないだろうと勝手に決め付けている節も感じられます。申し訳ないのですが、貴方のおっしゃる「僕はこの考えが理想論で現実とかけ離れたものであることを分かっていました。」・・・おっしゃりたいことはよくわかりますが、少なくとも、私が生きてきた環境や周囲の知り合いや仲間をそれと一緒にしてほしくないぐらい、あてはまりません。ですから、貴方が生きてこられた環境では、婚前交渉が当たり前のことだったかもしれませんが、わたしの生きてきた環境では、むしろ、その逆なのです。ですから、貴方がおっしゃるように、そんなにかけ離れた現実にも見えないのです。また、婚前交渉をする人間が、「人間的弱さを持つもの=結果、それを克服しない限り、本当の幸せにはならない。」このイメージはなかなか、消えません。 本当に貴方はどちらかに迷って質問しているのですか?質問などしなくても、もう決まっているのではないですか?自分の心に相談し、ご再考下さいませ。
Toubeeです。 >marvel21さん 書き込む事を忘れていました、すいません。おせっかいなんかではありません、考えて頂いて、助言して頂いて、心から感謝しております。 >kadowakiさん、hyuuma8579さん、みなさん >ですが、日本でも数十年前あたりから、雇用均等法等によって女性の社会進出、経済的自立が進み、さらには高精度の避妊技術も普及したがために、女性は以前ほどに婚姻制度や性道徳に従わずとも、必ずしも不利益を被らなくなったというのが現実の実態だと思います。要するに、男性側が準備したセックスや結婚のフレームに無理矢理自分を合わせるメリットを感じた亡くなってきたということです。ということで、いまだに性に関してはいろんな徳目や規律等がありますが、それらを自明のものと考えるのでなく、むしろそれらを人間が生み出し、育て上げてきた歴史的、社会的な必然性、つまり生活の必要性があったという事実の方にこそ注目すべきではないでしょうか。そして、そういう社会の土台や背景が変化すれば、性に関する通念も変化するのはきわめて自然であると言えます。いつの時代でも、どんな社会でも、物事の是非や善悪の判断基準となるのは、結局より多くの人々がより快適で幸福な生活を営む上で必要であるかどうかという判断以外にはあり得ないと思います。 時代、公益、性道徳などについてさらに考えてみました。今日の避妊や性感染症予防重視の教育、さらには一部の過激なマスメディアなどが性が開放的になることを、むしろ性の乱れとも言うべきものを助長しているような気がしました。人間の目的は子孫を遺す事(何故かは分かりませんが、ここが重要か・・・・・)、それを目指す為に性欲が備わっている、しかし実際には人間には子孫を遺す事が頭にあるのではなく、性欲の結果として子孫を遺す、子孫を遺した時の喜びは子孫を遺さないと感じられないでしょうし、他人の子を見て自分もと思う気持ちや、子を持つ喜びを聞いてなども考えられますが、それが本能かと言うと違う様な気がします。そう考えた時にまだ避妊や堕胎が普及していなかった頃は少子化など有り得なかったと思います。避妊が普及し性欲の結果としての妊娠が阻まれ、堕胎の普及で生む事すら都合により阻まれる、ますます拍車が掛かる少子化。医療技術が発達して助けられる命が多くなれば大丈夫かと言うと、もはや少子化はその域を出る勢いの様な気がします。今日の婚姻制度などを考えると、果たしてこれが育て上げてきた歴史的、社会的必然性なのでしょうか、僕にはむしろ人を育てる事をせず技術が発達し、人が置いていかれた結果の様な気がします。性は変わってわいけないものの様な気がします。今日の性の乱れとも言うべきものが公益に反しているとしたら、避妊、堕胎という高度な技術の使い方を間違えて良いのか、こどもが多すぎて育てられないなどやむおえずこれらの技術を利用しなければならないとしても夫婦にだけ許される行為、やはり性交は夫婦にだけ許される行為の様な気がします。
Toubeeです。年代は参考になると思いまして、十代後半です。 >syousa999さん、hyuuma8579さん、みなさん 恋愛と結婚は別という話が気になりまして、女性の気持ちも考えてみました。最近、婚活が話題ですね、恋愛と結婚は別と割り切られると寂しいな、まあより良い条件を求めるのは自然なことですし、婚活だからと言っても恋愛感情が伴わない訳ではないんでしょうし。もちろん色々な人がいるという事なんでしょうしね。恋愛と結婚は別、一生添い遂げるという時代ではない、性が開放的になり本来の目的よりも快楽が先走る様になった結果でしょうか。プレイボーイの立場になって考えると快楽に浸るだけ浸って責任を取らずに済むということですから朗報ですね。独身貴族なんていう言葉がありますが、何かを背負う事の意義が薄れてきているのでしょうか。真面目に生きるのが馬鹿馬鹿しくなった結果でしょうか、マネーゲームなんていう事も流行っている様ですし、これも晩婚化、少子化に影響しているのでしょうか。もはや子孫を遺す事が目的ではなくなったのでしょうか、いや性欲とは何だろう?もともと子孫を遺すことは性欲、快楽に付随するものでしかなかったのでしょうか。ローマ法王の避妊反対の姿勢はそのことへの警鐘なのでしょうか。おそらく昔から人は己の利益の為に生きている訳ですから今に始まった事ではないんでしょうが、僕の考えも偽善的なものなのかな。人の為に頑張っている人が偉い人だと教わりましたが、真面目に生きればその先に何か掴み取れるものがあるのでしょうかね。それでもやはり己の利益からは離れる事ができないでしょうから折り合いが大切なのかもしれません。それとも離れられる人が存在するのか! >男のそういう下心を女が愛だと思い違いしてのことかもわかりません。あるいは、そう勘違いするように、女を誘導する輩さえいることでしょう。女性が結婚をほのめかした途端に、今までの態度を180度翻す露骨な男性などが、いい例でしょう。 恋愛と結婚は別で検索しいくつかの相談を読んで見ました。時代の流れなんでしょうかね 避妊の普及で貞操が求められなくなってますます増えてくるんでしょうかね やはり性が開放的になり本来の目的よりも快楽が先走る様になったのも晩婚化、少子化に影響を与えているんでしょうか。 起きている事はサバンナと同じなのか、生死をかけて戦うライオンの様に、日本人も己の利益の為に戦う。では友情って何だろう?愛って何だろう?結局は見返りを求めているのでしょうか。人は変わる、親子、兄弟の関係ですら変わる事もある。それでも正直者が馬鹿を見る社会で正直者を育て様とする教育には何か理由があるだのろうか。それが公益なのでしょうか。教育とは恐ろしいのか、北朝鮮の方々はどう思っているのでしょうか。戦争へ行った方々は己の命と引き換えにこの国を家族を守ったのでしょうか、頭が下がります・・・・・他者を守ることが己の利益になりえたのでしょうか。 もしかして性が開放的になる事が晩婚化、少子化に影響するならば公益に反するのではないか。疑問が生じました・・・・・
こんにちは。 二十代後半の妻です。三児の母でもあります。 きっと、質問者様の中で、「愛とは何か?」「性とは何か?」と言う「具体像」は無いのでしょうね。いえ、私だって妻であり、母でありながら、未だに「確固たる像」を「完成」させてはおりません。きっと、誰もが、「一生を通して、作り続けて行くべき物」なのだと思います。 一生の中で、何度も「土台から作り直しを迫られる」人もいるでしょう。 幼い頃から作り続けて来た「一つの像」を、そのまま完成させて、死んでゆく人もいるでしょう。 「これ!」と思い、傍目には素晴らしい像を完成させつつも、「こんなんじゃない!」と、一からまた作り直す人もいるでしょう。 小さな像を護りつつ、次々と素晴らしい枝葉を拡げて修正を加えて行く人もいるでしょう。 その「一つとして同じ物の無い」社会の中で、自分はどんな像を造って行きたいのか? と言う事なのだと思います。 また、社会というものが、「膨大に多種多様な関係の絡み合い」である以上、「外からの影響」は免れません。 その「影響」を、どう「緩和」して、「自分の像」を護って行くのか? が課題なのだと思います。 「全身全霊で努力した」から、「思い通りの結果!」とは「限りません」。 「思い通りの結果でない」からと言って、それが「失敗」とも限りませんよね?^^ それは、「誰が悪い」とか言う問題ではないのです。 その日の天気、誰かの「あくび」ひとつ、ででも変わってしまうのが、怖くもあり、面白さでもある、と思います。^^ その時その時で、已むに已まれぬ条件で、選択を迫られつつ、人は生きて行くのです。勿論、その「選択の時」に、「安易な方法」を選んでしまう人も居るかも知れません。でも、だからと言って、それが「外から見た誰に判ると言うのでしょう?」 それは、自分にしか判りませんし、また「自分でも判らない場合」がほとんど、だと私は思うのです。一つの選択の「本当の結果」は、「長い長い時間の果て」に判るのだと思うのです。 昔は「恋愛結婚」等皆無に等しかった訳ですよね? でも、だからと言って、彼らの間に「愛は無かったのか?」と言うと、そうでは無い訳です。政略結婚で、三三九度の杯の後に、「初めてお互いの顔を見た」同士でも、しっかりと「愛を育てて生涯を連れ添った」夫婦も数多く居たのです。 片や、「政略結婚」等皆無に等しい現代で、「愛を育てて生涯を連れ添う夫婦」はどの程度、いるのでしょうか? お考えになった事はおありでしょうか? そして、そんな「理想的な夫婦」の「始まり」は、全て「初体験同士」であったか、「経験済み同士」であったか、は様々で、「相関関係は無い」と思われます。それは、「後家で嫁いだけれど素晴らしい夫婦」「側室であったけれど、真実愛された妻」等、今も昔も「変わらない」と思えるのですけれど、いかがでしょうか? ひとつ、本をお薦めします。^^ 「愛するということ」エーリッヒ・フロム この他にも、「文豪」と呼ばれる作家たちが書いた「恋愛論」は様々にあります。色々と参考にするのも良い方法ではないでしょうか。。。? どうぞ、素敵な人生を手に入れられてくださいね。^^
お礼
ありがとうございます。
補足
参考になりました。 自分の考えは浅はかでした。像を完成させるのは難しい事ですね、僕も確固たる像はありません。愛とは何か?から考え直す必要がありそうです。恋愛論ですか、参考にしてみます。
- hyuuma8579
- ベストアンサー率29% (326/1097)
そうですね、その通りです。 同じ異性間の交流でも兄妹間や姉弟間、母息子間や父娘間で性交渉を持たないのと一緒だと思います。何も教えられない子供ですら、理屈抜きにそのことを理解しているのをみてもわかることでしょう。じゃ~血縁が遠い他人どうしだからといって、貴方のおっしゃるように、大人になるための経験としての性交渉なら正当化できるかと言えば、それはもっと言語道断です。それが正当化できないとわかっているから、陰でこそこそ、後ろめたい意識を残しながらやっているという現状であることでしょう。それが、正しいなら、とっくの昔に、正々堂々と尊厳性を持つ行為として、全ての人に認識されてきたことでしょう。 したがって、性交渉は本来、唯一夫婦関係のみに許された行為だといえるでしょう。それは、本来の生殖器の機能や生殖行為の目的が何かを考えれば、当然のことといえましょう。 ただ、人間は欲が深いため、生殖行為の本来の目的から一部を奪い去ってしまったのです。つまり、「肉体的刺激に依存する快楽」や「精神的興奮状態」のみを得んがため、本来の主体的意味や主体的目的とは切り離して、正統でない性交渉までも正当化してしまったといえるでしょう。 しかし、既に、そこにこそ大きな勘違いがあるといえるのです。 所詮、肉体的な快楽神経に依存する快楽など、一種の排泄行為的なものに過ぎず、嘘や欺瞞や屁理屈を捏ねてまで、正当化するほどの行為でもありません。裏返せば、婚前交渉正当化思想の持ち主は、本当の喜びや刺激を知らないのです。そこで得られる快感がMAXなのだと勘違いしているのです。あるいは、本当のSEX自体知らないのかもしれません。本当のSEXの喜びを得るには「興奮」ではなく、「リラックス」が基本だからです。人は動物でもあるため、本能で求める肉欲があるのは確かですが、それ以上の存在が人間でもあるのです。肉欲的な快楽やSEXなど、眼中にない、喜びを体験できる唯一の存在です。動物にはそれができないのです。 心からの感動や喜びは、単なる肉体の交わりだけでは得られないはずだからです。愛が伴った男女関係なら、当然夫婦になるべきでしょうし、夫婦になるつもりがないのなら、性交渉に意味も喜びもありません。だから、「大人になるための経験なんちゃら」というのも正当化のための体裁でしかありません。それで本当の大人になれるのなら、それこそ声を大にして「皆さん、婚前交渉をもっともっとやりましょう!」と街頭にでも出て演説する人ひとりぐらいいてもおかしくないですよね!でも、そんな人見たことも聞いたこともありません。 だから要は、それが、間違いだとみんな知っているんですね。だから、こそこそとやるしかないのです。もちろん、二人でやる行為ですから、当然同意がある、つまり二人の間だけで合法化されているに過ぎないのです。しかし、それとて、男のそういう下心を女が愛だと思い違いしてのことかもわかりません。あるいは、そう勘違いするように、女を誘導する輩さえいることでしょう。女性が結婚をほのめかした途端に、今までの態度を180度翻す露骨な男性などが、いい例でしょう。 結論として、結婚する前の交渉を正当化できる、いかなる理由もありえません。「大人の勉強」が聞いて呆れます!!そういう人がいたら、「あんたこそ、性の奥深さ、知らないんじゃないの?」で一蹴です!!
お礼
ありがとうございます。
補足
参考になりました。 僕はこの考えが理想論で現実とかけ離れたものであることを分かっていました。 理想論を現実で生きているみなさんにどう思うのか伺いたかったのです。未熟な僕は理想論と現実の迷宮から抜け出せずにいました。まだ答えがあるのかどうかは分かりません、一生分からないかもしれません。人に求めず、惑わされず、なおかつ柔軟に、自分がどうでありたいのかを重んじて行動したいと思いました。
お礼をありがとうございます。参考になって嬉しいです 何か言い忘れたと思っていたのですが、思い出したので追伸します 開放的な方や奔放な方は、目立ちやすいので気になると思いますが 貴方も思われたように、価値観や生き甲斐は、一人として同じではない と思うのです 類は友を呼ぶ、と言いますが、私の友人は、私に似ています 伴侶も友人も、同じだと思います 目立たないかもしれませんが、貴方に似た考えを持った女性は居ます そういう方と、出会いたいと、願って生きていれば、必ず出会えると 思います > 教育されてきた正しい事とは何なんだろう、この国で生きる知恵みたいなものなのだろうか。 これも、難しいことだと思いますが、おせっかいで、すみませんが 私の考えをお知らせします 義務教育でしたら、全ての方が、知っておいたほうがよいと思われる ことを、学ぶのだと思います 高校大学はより専門化しますから目的は更に細分化して深まるでしょう でも、何が正しいか、という答えは、ないと思います 法律は守る義務があるでしょうけれど、モラルやマナーになると、もう 絶対的ではなくなってくると思います ある方には、好ましいのに、ある方にはタブーであったりします そのようなことも踏まえて、友人や伴侶と出会うのではないでしょうか 願いは必ず叶います、ぜひ貴方だけの素晴らしい人生を歩んでください
お礼
ありがとうございます。
補足
参考になりました。
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
誰かとセックスしたらその人の価値がなくなる訳ではありません。 独占欲と嫉妬を愛情とはき違えていませんか? 傷つくのは器が小さいからです。 浮気してもいいと言ってるわけではないですよ。 浮気や捨てられることを恐れてばかりいるのは愛ではないでしょう、 ということです。
お礼
ありがとうございます。
補足
>独占欲と嫉妬を愛情とはき違えていませんか? 愛情ではなく愛情に付随するものだと考えています。 >傷つくのは器が小さいからです。 よく言われますね、僕はそれを乗り越えられるかどうかだと思いますが。 >浮気や捨てられることを恐れてばかりいるのは愛ではないでしょう、 ということです。 人に求めるのではなく、自分がどうでありたいかを重んじて行動したいと思いました。
貴方の考え方に賛成です > 僕がおかしいのでしょうか? まったくぜんぜん、おかしくありません、そうあるべきだと思います 生涯、心も身体も、貴方の好きな一人の女性だけを愛して欲しいです 真面目に真摯に、アドバイスしていますので、誤解しないでください 少し補足というか、一緒に考えてみませんか 相手も、貴方と同じに考えるかどうかは、別問題でしょう 私は貴方の考え方は好ましいと思いますが、そう思わない方も多いので 貴方が好きになった女性が、性について開放的な考え方かもしれません 私たちのこの人間の世界は相思相愛は意外に少ないので、好きな人には 他に彼や彼女が居たり、自分を好きになってくれた人は、自分の嫌いな タイプだったり、という悩みは多いでしょう 人間は生身で生きているので失敗もありますから、×1などもあります ですから貴方の考えは、とても好ましいのですが、この世は気紛れな ところもあるので、貴方の希望通りの現実になるかどうかは、難しい ところもあることは忘れないで、それで失望したりしないでくださいね 貴方が大好きになった女性に、過去が有ったら、貴方はどうしますか? もし、そのようなことになっても、大きな気持ちで考えて欲しいです 私たちの人生は想像もできない、思いもよらない様々なことが起きます 今日、貴方や、私が、事故に遭い全身麻痺になり結婚どころか日常生活 さえ困難な事態に遭遇するかもしれません、それほど人生は曖昧です 浮気は男の甲斐性だなどと暴言を吐く人がいますが、一人の女性だけを 愛せないとしたら、一生、誰にも愛されない人になると思います 相手の女性も、同じ人間ですから、経済力=金、や、優しさで結ばれて いるとしても、自分以外に、自分と同じか自分以上に他の女性を大事に していれば、相手も心の底から本気で愛してくれないでしょう 男側もそうです、経済的には同時に複数の女性を養うことは可能ですが 心は、そうはいきません お互いに貴方が思うように絆で結ばれ、一途な気持ちを感じられるから 愛している、愛されている、と実感できるのでしょう 心は同時に複数の人を愛せません。ですから愛人や二股は不幸の基です 最後に1点だけ、ちょっと変わったアドバイスをします いつか貴方が理想通りの結婚をするときに、思い出してください 私たちの身体は身長も体重も様々です、外国人も考えると同じ大人でも 驚くほどのサイズの違いがあります お知らせしたいことは、特定の相手にしか、表に出さない部分ですから サイズの違いがあることに注意すべきです 外見は長身でも、生殖器は意外に小さく本来の目的を遂行できない方も 希にいます、また奥行きが足りずに貴方が入り切れない場合もあります 私のお勧めは、結納まで行ったら結ばれても良いのではないでしょうか お互いにサイズが合わないで一生暮らすのは、辛いことになるでしょう いろいろなことがありますので、貴方の思いは素晴らしいのですが 思いどおりにいかないこともありますので、希望を大切にして、困難に 挫けないで、頑張って希望を叶えてください、貴方の希望は正しいです
お礼
ありがとうございます。
補足
参考になりました。 そもそもおかしいかどうか問う事がおかしかったですね。立場によって正しい事は変わってくるでしょうし。教育されてきた正しい事とは何なんだろう、この国で生きる知恵みたいなものなのだろうか。
- NoroVirus
- ベストアンサー率24% (148/596)
ANo.2です、お礼、補足ありがとうございます。 >その男より魅力的になれば良いとかそういう問題ではないと思っています。 ん?そんな事は一言も言ってないのだが…。 >僕は自分の人生をかけたい、そう思える相手を探しているんです。 立派な事だと思う。ただ多かれ少なかれ皆そう思って付き合うと思うのだが もし、貴方が、将来そいう条件に合う女性に出会ったとして、貴方は一生懸命に その人を愛したとしよう、そして結婚し性交渉もした。結婚しても貴方は変わらず その人の事を愛し続けた。貴方の正しいと思う愛し方で。 しかし相手の女性にはそれが伝わらず、どうしても限界だから離婚して欲しい。 と言ったらどうする? 本物の愛だからと、相手は気持ちが無くなって居るのに引き止め続ける? また、離婚されると言うことは相手を傷つけたと思うのか? そして貴方は童貞では無くなった、汚れた存在だと自分を思うのか? その考え方だとリスタートできない。 理想通りに現実が進んでくれる事ばかりではない。 現実は理想を裏切る。その時自分に何が出来るのかよく考えた方がいい。
お礼
ありがとうございます。
補足
>ん?そんな事は一言も言ってないのだが…。 文脈からそう理解してしまいました、すいません。 >どうしても限界だから離婚して欲しい。と言ったらどうする?本物の愛だからと、相手は気持ちが無くなって居るのに引き止め続ける?また、離婚されると言うことは相手を傷つけたと思うのか?そして貴方は童貞では無くなった、汚れた存在だと自分を思うのか?その考え方だとリスタートできない。 その通りだと思います。引き止めることはしないと思います。別れるということはその程度の関係だったんだと強い絆はなかったんだと思うと思います。傷つけてしまったと思うと思います。汚れた存在とはおもいません。僕が考えている永遠の愛を求めるとすればこのままではリスタートはできませんね。 僕は永遠の愛を求めそれが存在するのか?という疑問を持ちました。 実現は難しいと考えていました。ふたり、あるいはそれ以上の人を愛したということはそれは永遠の愛ではなく半分の愛なんだと考えていました。次々に相手を変えるのを見て疑問を持ったのが始まりです。再婚した方々などを否定している訳ではありません。現実を考えた時に今からの愛も大切なんだと考えさせられました。よく考えたいと思います。
- kadowaki
- ベストアンサー率41% (854/2034)
年頃の娘を二人持つ父親です。 >婚前交渉が当たり前の様な風潮がありますが、 確かにそうですが、こういう問題を考えるとき、くれぐれも短兵急にその是非や善悪の判断をしようとするのでなく、まずは、こういう「風潮」になった原因・理由を徹底的に解明することが大切だと思います。 たとえば、わずか数十年前までは女性は処女で結婚しましたが、それはなぜなのか?と考えた上で、では、なぜ現代女性はそうでなくなりつつあるのか?と考えた方が有意義ではないでしょうか。 そうではなく、昔の女性は貞節を重んじ、道徳的で、真面目だったのに、現代女性は淫らで、軽率で、不真面目だといった判断をすると、必ず「人それぞれ」、「価値観の多様性」といった不毛な水掛け論にしかならないのです。 だから、そうではなく、現在の「風潮」の是非を議論する前に、こういう「風潮」についても、まず何らかの原因があっての結果としてこうなったのだと想定すればいいと思います。 >性交は愛情表現と言いますが、確かに素晴らしい愛情表現だと思います。ですが愛があっての表現だと思います。 >愛があるなら彼女に対して社会的責任を持つことができるのではないでしょうか、 >責任を持たないまたは責任を持つ気がないのに性交するのはたんなる性欲処理だからではないでしょうか? 失礼な言い分になりますが、質問者さんのこういう主張やその土台にある発想は残念ながらあまりにも常識的で、周囲のどこにでも転がっている、やや保守的な人なら誰でも口にする、ごく平凡な言いぐさでしかないですよね。 私には、質問者さんが徹底的に「愛とは何か?」とか、「性欲とは何か?」とか、「社会的責任とは何か?」とかについて考え抜いたとしたら、こういう判で押したような、定番的な疑問を持たないはずだと思います。 それよりは、できれば「男性は本当に愛する女性に自分の性欲を向けられるのか?」とか、「自分は何の報酬も期待せず本当に他人を愛しうるか?」とか、「人間はどうして性を隠したがるのか?」、「どうして社会や法律は性を取り締まるのか?」とかという疑問を持っていただきたいのです。 なお「永遠の愛」というのは、決して人間の煩悩や我欲と相容れない以上、「永遠の愛」を美化したり、これを振りかざしたがる人は、たとえその自覚はなくても、偽善者の誹りを免れないでしょうね。 長い歴史において、男性が女性に処女で結婚することを求め、既婚女性にはそうと分かるような装身具の着用を求め、貞節を重要視し、夫以外の男性との面会を厳しく規制してきた最大の理由は、男性はそうする以外に確実にわが子を獲得することが不可能だったからです。 そして、女性もそれを遵守している限り、それなりのメリット(妻子の扶養・養育の保証)を得られる時代が長く続いたから、つまり男女の利害がそれなりに合致していたから、こういう常識的な性道徳が普及しただけのことです。 処女で結婚するのが純潔だからではなく、そうでない女性ほど不貞をはたらく確率が高いと判断され、女性も良い縁談に恵まれなかったから、処女崇拝が常識化したのです。 ですが、日本でも数十年前あたりから、雇用均等法等によって女性の社会進出、経済的自立が進み、さらには高精度の避妊技術も普及したがために、女性は以前ほどに婚姻制度や性道徳に従わずとも、必ずしも不利益を被らなくなったというのが現実の実態だと思います。 要するに、男性側が準備したセックスや結婚のフレームに無理矢理自分を合わせるメリットを感じた亡くなってきたということです。 ということで、いまだに性に関してはいろんな徳目や規律等がありますが、それらを自明のものと考えるのでなく、むしろそれらを人間が生み出し、育て上げてきた歴史的、社会的な必然性、つまり生活の必要性があったという事実の方にこそ注目すべきではないでしょうか。 そして、そういう社会の土台や背景が変化すれば、性に関する通念も変化するのはきわめて自然であると言えます。 いつの時代でも、どんな社会でも、物事の是非や善悪の判断基準となるのは、結局より多くの人々がより快適で幸福な生活を営む上で必要であるかどうかという判断以外にはあり得ないと思います。
お礼
過去の相手がいる、肉欲的な葛藤、何が違うのか?過去の相手より魅力的なら問題ない?自分に自信があれば問題ない? 時代は変わると言いますが何故不倫はいけないのか?高精度の避妊技術が普及しているなら許されるのか? 不倫によってもうひとり相手ができる、夫が妻が特別な存在ではなくなる。 仰られている通り多くの人々がより快適で幸福な生活を営む上で必要であるから過去の相手と不倫相手は別問題で不倫は現在でも取り締まられていますが。 僕は寂しさを感じてしまいます。しょせん夫婦は他人、そう思いたくない。独占から生まれる強い絆、肉欲的な本能が貞操を求めているのかもしれません。 補足に書き込み切れなかったのでこちらに書き込ませて頂きました。 ありがとうございます。
補足
>こういう問題を考えるとき、くれぐれも短兵急にその是非や善悪の判断をしようとするのでなく、まずは、こういう「風潮」になった原因・理由を徹底的に解明することが大切だと思います。 勉強になります。 >愛とは何か? 愛とは自分の身と引き換えにその相手を守れるかということだと思っています。 これだと子に対してはあるのではないかと思いますが。子がいないのでなんとも言えません。 この気持ちを妻にも感じられないかと、それでもやはり子の為に妻をという感覚になってしまうのでしょうかね。 だからこそ妻に対しても信頼が持てないといけないのではないかと考えています。 性交は愛情表現と言いますが、性欲と言う名の張りぼてを愛と言う名の風呂敷で包み隠しているだけではないかと思います。 >性欲とは何か? 子孫を遺す為の本能なのでしょうか。 >社会的責任とは何か? 妻子を扶養することでしょうか。だからこそ信頼できる夫でないといけないのではないかと考えました。 >男性は本当に愛する女性に自分の性欲を向けられるのか? 向けられると思います。ただ大切だからこそ自分がその相手として相応しいか、自分がその相手で彼女は幸せになれるのか考えてしまいますね。 だからこそ本当に愛する女性でないと責任が持てないから性交できません。 >自分は何の報酬も期待せず本当に他人を愛しうるか? 利害が合致して初めて愛が生まれるのでしょうかね。 >どうして社会や法律は性を取り締まるのか? 確実に自分の子孫を遺すということと関係しているのでしょうか?未成年についてはまだ物事の判断ができないから未成年の利益を考えてのことでしょうか? 強姦も被害者の利益を考えてのことでしょうか?仰られている通り多くの人々がより快適で幸福な生活を営む上で必要であるからでしょうか。 >なお「永遠の愛」というのは、決して人間の煩悩や我欲と相容れない以上、「永遠の愛」を美化したり、これを振りかざしたがる人は、たとえその自覚はなくても、偽善者の誹りを免れないでしょうね。 まったくその通りだと思います。叩かれるのは承知です。 ただ絶対にこうだと振りかざしている訳ではありません、僕も永遠の愛など綺麗事だと思っていました。 今でも相容れないことは分かっていても、永遠の愛とは何か、それはありえるのか、その可能性を捨てなければならないのか、 親は子が罪を犯そうとも見捨てることはしないのではないかと思います。 夫婦でも親子や兄弟の様な強い絆が持てないのか、探しているのです。 親子、兄弟の血のつながり、夫婦の童貞と処女という形がお互いにお互いしか知らないということが、何か特別なものに成り得るのではないかと思ったのです。 物事の是非や善悪の判断基準となるのは、結局より多くの人々がより快適で幸福な生活を営む上で必要であるかどうかという判断以外にはあり得ない、この一文は勉強になりました。 法律もこの様な理由で作られたのでしょうか。 高精度の避妊技術の普及、DNA鑑定などで自分の子孫かどうか確認できるようになった、女性の社会進出、経済的自立など時代が変わり妻は夫に守られる必要が薄れてきた、 利害の合致、また前述した夫、妻への信頼が必ずしも貞操を求める事にはならなくなったということでしょうか。 現実は理解できますが、ただ生活面だけでなく精神面も大切だと思います。 若い夫婦の話です。妻は結婚する前に夫の上司と数年間不倫をしていました、その時妻は処女でした。 夫はそれを知りませんでした。上司の評判はあまり良くなく夫も上司が好きではありませんでした。 夫はそれを知りました。妻が冗談で話したそうです。夫は絶望、葛藤。何であいつなんかとと呟いていたそうです。 周りの人の中には、それくらいで弱い男などと言う人もいました。 誇りを失いかけるも、夫は必死に自分を保っていました、乗り越えようとしたのです。妻に今までと変わらず優しく接したそうです。 しかしその後夫は妻を抱くことができず。その後どうなったかは分かりません。 この話しは見抜けなかった夫にも問題があるかもしれませんし、極端な例かもしれません。
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お礼
ありがとうございました。
補足
ものすごい説得力を感じました。勉強になりました。