- 締切済み
英語を勉強すると世界が広がる?
私が中学生の時、英語の先生が「英語を勉強すると世界が広がる」とか言っていました。そして、巷でも英語で分かればグローバルになるとかよく言われます。私自身は英語はあまり得意な方ではないんですが、姉は普通の人から見れば英語が得意な方で、英検2級を取得しました。 姉はもう嫁ぎましたが、仕事でもプライベートでも英語を使う機会が殆どなく、今では中学レベルの英語も怪しいそうです。姉も英検とかで英語を一生懸命勉強したくらいで、洋書とか買ったこともないようです。 私自身も、日本語だけで世界の情報は一応網羅できるし、英語が読めれば情報の選択肢が格段に広がると言われても、無駄な情報が多過ぎるし、辞書を引き引き読んでまでも価値のあるある情報というのも見当たりません。 そこで質問ですが、英語を勉強したところでそんなに世界が広がるものなんでしょうか?
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
みんなの回答
- nekoneko2002
- ベストアンサー率43% (387/890)
その人自身が、英語を必要とする事に興味がある場合には、英語が出来れば世界は広がると思います。 例えば、外国に興味がある、海外旅行が好き、外国人の友達がいる、仕事で英語を使う、出張に行く機会がある、洋楽が好き、などです。 ↑に興味がある場合、英語が出来ればコミュニケーションを取れますし、歌詞なども翻訳と意味が違っている場合があるので、本来の意味がわかります。 しかし、外国に特に興味がなく、英語を使う必要がなければ、別に語学を勉強しなくても生活できますし、なんら困る事はありません。 海外旅行に行くことになっても、添乗員さんがいますし、別に話せなくても、問題はないと思います。 語学が全く出来ないオバサマ達と、添乗員付きツアーに参加した事がありますが、彼女達は全く現地の言葉が話せなくても、楽しそうでしたし、普通に買い物もしていました。
- IXTYS
- ベストアンサー率30% (965/3197)
私が物心ついた頃、旧日本軍兵舎に進駐軍がやって来ました。 私たち子供は彼らと一緒に野球をしました。 これからは英語の時代だと学校で教わったことはなくても、英語が必要なんだと判りました。 五才の子供でしたが、、、。 今、70才に手の届く年になりました。 五才の時に思った通りでした。 人生は自分の思った通りになるものです。 英語なんて必要ないさ。 それも間違ってはいません。 英語なんかなくても人は生きては行けるものです。 子供の時に自分なりに思い描いた未来の設計図は、誰にもがあるでしょう。 殆どその通りになってはいませんか? 私は進駐軍と一緒に野球をしながら、これからはこういう人たちと一緒に仕事をするんだなと思いました。 だから、英語に素直に溶け込んで行けたと思います。 すると次から次へと不思議なことに扉が開いて行くものです。 成人してから、洗礼を受け、クリスチャンになりました。 数多くの外国の人たちと家族のように親しくなりました。 英語を勉強したから世界が広くなったとは思いませんが、信じられないほどに世界中を旅して来ました。 20代~30代の頃、日本にはまだ《国際法務》なんて言葉はありませんでした。 でも海外で仕事をしていると、毎日問題が起ります。 ない知恵を絞って、必死に考えて処理して来ました。 いつの間にか、その道のプロといわれるようになっていました。 それは単なる結果に過ぎません。 別にその道のプロと呼ばれようなんて思ってもいません。 ただ、気がついてみると、そうなっていただけのこと。 もう一度質問に戻ります。 英語が出来たから、世界が広くなったのでしょうか? 答えは50/50でしょう。 英語を知らなくても、充実した人生を送っている人はたくさんおられるからです。 でも私には英語はとても良い仲間でした。 英語と良い友達になれたので、楽しい人生を送ることが出来たと思っています。 答えにはなっていないかも知れません。 でも正直な気持ちです。
No.2 です。 >姉は洋画もそんなに見ないみたいだし、見たとしても殆ど吹き替えで >見ているので原語自体聞くことも少ないと思います。 回答者の方が、せっかくいろんな可能性について書かれているのに、 それを否定される質問者さんのコメントを読むと、すぐそこに別の世界が あっても目をつぶって、自ら、世界を狭めているように思えます。 おせっかいなこととは思いますが、せっかくこういった問題意識を持たれて いるのですから、英語に限らず、もっと視野を広げて、広く受け入れる 気持ちを持たれた方が良いのではないかと思います。 ちなみに、質問者さんのコメントを読んでいて「セレンディピティ」の 考え方が頭をよぎり、その重要性を改めて勉強させていただいたような 気分です。ありがとうございました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%94%E3%83%86%E3%82%A3
日本は食料や燃料の多くを海外からの輸入に依存しているものの、日本という国だけでほとんど独立した社会システムを形成しています。 また、日本語は日本でしか使われていないのに、日本語のマーケットは非常に大きいものです。つまり日本語だけであらゆる情報を手にすることができます。そしてこれは言うまでもありませんが、英語のマーケットは日本語のマーケットよりも大きく、更に国際性では日本語の比ではありません。しかし、それでは英語圏が日本人より情報収集力が格段に高いかと言えば、必ずしもそうとも限りません。英語圏の人はそれなりに今度は情報の取捨選択が日本人より難しいようです。 話は変わりますが、折角英語を勉強しても、“外国語=英語=学校の教科=試験=点数”という図式を頭に作ってしまえば、逆に世界は狭まります。それで、ただ世界が広がるのではなく、「世界には色んな言語あって、その中でも英語が一番身近で話す人が多いので、世界中に友達が増せる」と考えた方がいいかもしれません。ただ、これにも落とし穴があって、日本では英語一辺倒の傾向があまりにも強いことです。英語が分かれば確かに情報選択の幅が広がりますが、それだけで自分が国際的な感覚を身に付けたと思い上がっている人も少なくありません。
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
技能というものは何であれ、身につけて、活かせば、世界が広がるものです。身につけても、活かさなければ世界は大して広がりません。 では、お姉さんは活かしていないのか。活かしていないようでいて、ご本人も気づかぬうちに、洋画のセリフが他の人よりは1~2か所多く、原語のニュアンスで理解できていたり、基礎ができている分、興味がわいた時に、その広い世界への距離が、人よりは近いのかもしれません。まあ、英検2級というのは確かに中学英語プラスアルファ程度ではあるので、洋書に手を出すまではなかなかいかないとは思いますが。 ただ、英語を勉強しなければ世界は広がらないのか。そうではありません。英語が堪能でも引きこもっている人よりは、身振り手振りで世界の反対側の人たちと交流する人のほうが、世界は広がる傾向があります。そして、言葉は通じずとも、どんどん世界を広げようと行動しているうちに「ああ、ここで英語(あるいはスペイン語、あるいは中国語)ができると、もっと世界が広がるのかもしれないなあ」と気付いたりします。 それを中学時代の先生は、経験や知恵が未熟な中学生にもわかりやすいように、また、自分の本分である授業が進みやすいように、「世界が広がるよ。だから勉強しないさい」と言ったのでしょうけれど、それを何歳になっても鵜呑みにするのはおかしなことです。 厳密には、「いずれ世界を広げたくなった時に、英語は役に立つよ。また、母国語とは違う概念を身につけると、価値観の広がりをつかむきっかけになるよ。しかし、何よりも大事なのは、言葉がわからなくても世界を広げる努力をすること。英語の授業が、そのヒントになればうれしいよ」なのではないかなと思うのですよね。 ちなみに、当然ながら逆のことも言えます。日本語ができない人の中には、「英語ができれば世界の情報の殆どが理解できる」と思い込んでいる人が少なくありませんが、日本は情報化社会。日本語でしか提供されていない情報の数は膨大です。ただ、外国語が読めないと、このことを実感しにくいのも事実ではありましょう。
お礼
回答ありがとうございます。 >洋画のセリフが他の人よりは1~2か所多く、原語のニュアンスで理解できていたり、基礎ができている分、興味がわいた時に、その広い世界への距離が、人よりは近いのかもしれません。 姉は洋画もそんなに見ないみたいだし、見たとしても殆ど吹き替えで見ているので原語自体聞くことも少ないと思います。
- kiichi0805
- ベストアンサー率53% (59/111)
「世界が広がる」という感覚がまじまじとある者です。 それに感動して最近、別の言語の勉強も始めたほどです。 ただ、定義されておられる「世界が広がる」というのは 少し違うように思われます。 別にその先生が言っていたのは「リーディングから得られる 世界」のことではないように思います。むしろ、 「スピーキングから得られる世界」を言いたかったのでは ないかと思っています。 例えば、1人の人がいて、その人が全く日本語が出来ない人 だったとしてみます。しかし、彼には典型的な日本人とは 違う別の意見があり、それを表現したいと思っているとき、 もしも、あなたが英語ができるならば、その人の 意見を聞くことができる、もしくはその人と、 つまり、日本語ができないという理由でコミュニケーションすら 取れなかった人と友達になれてしまうわけです。 僕の知り合いにもいろいろいます。日本に興味の全くない人、 原爆投下は絶対的正義だと主張する人など、日本には いないタイプの人間かと思います。こんな人たちとも生で 意見を交わし、ときには反対し、その中で自分の意見を 固めていくことができる。 もしくは人生でradugaさんは言葉が通じなくて悔しくて 泣いたという経験はお持ちでしょうか?僕は最初、 「犬が尻尾ふってるけど、嬉しいんやろねー」という程度の低い 文章さえも言えなくて悔しい思いをしたことがあります。 言葉が通じることの大切さが身に染みたり、 逆に日本で言語を勉強している人の 苦労が分かったり、それは多分、自分が言語習得に 苦労したからこその感情だと思います。是非、彼らには 頑張ってほしい、とか、留学期間が短いのにこんなに 頑張って表現しようとしている、などという感情は 日本人が日本人に日本語で何かを話すという世界からは 得られない感情なのかもしれません。 僕の推測するにその英語の先生が伝えたかったのはそういう、 「感情の幅、全く出会ったことのなかった知識の幅が生で 伝わる」ということではなかったのでしょうか? 「情報」という狭い枠ではなく、何かの台詞のようですが、 「表現できることの幅と広さ」という意味での「世界」 だったのではないかと思います。
お礼
回答ありがとうございます。
価値のある情報の比率は日本語の方が多いというのは、日本に住んでる以上アタリマエです。重要な情報はメディアが国民に知らせるべきと判断し、訳したりしたものだからです。また、逆に考えれば無駄な情報が英語に多いのも当たり前です。メディアが、「国民に知らせる必要なし」と判断したものですから、大多数の大衆と一致してもおかしくはないです。 ただ、日本語で出回るまでの時間が重要だったりします。たとえばFXの南アフリカランド取引では、そこの金利に関わるニュースなんかは日本語よりも英語の方が早いので、英語で情報を得られるかどうかはお金に直結しますしね。 単純に考えれば、使える言語が多ければ潜在的に得る情報も増えるから、世界は広がると思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。
- papabeatles
- ベストアンサー率15% (316/2083)
インターネットが常識の社会ではまだまだ日本語で読めないサイトがたくさんあります。私は英語が苦手ですのでそんなサイトを読むことができませんが、外国の教えてgooなど読めたら楽しいだろうなと思います。
お礼
回答ありがとうございます。
- aoitori007
- ベストアンサー率52% (65/123)
質問者様はモンゴルやロシアは英語を話せる人が少ない、そしてフランスやスペイン人も英語が苦手・・と仰いますが、これはきちんと社会的な理由があります。そして日本人が英語下手なのもきちんと理由があります。決して「日本の英語教育が悪い」だけで済ませられるものでもありません。 日本人がかつて英語下手だったのは、「ビジネスで英語を話す必要がなかったから」です。経済学の指数で、「貿易依存率」という指数があります。簡単に言えば、一国の経済活動がどの程度海外との貿易に依存しているか、という指数で、これで日本は先進国の中でかなり低い数字にあります。つまり、なんだかんだいって現代でも日本経済は内需に支えられているという事です。(歴史的にも江戸時代は鎖国していましたし、それ以前は欧米とのつながりは殆どありませんでした。) 海外(特に欧米圏)と貿易する必要がなければ英語を話す必要はないわけです。ただ日本の場合、明治以降に欧米の学問を大量に取り入れたので、欧米の書物を読む為に英語の「読み書き」が重視されるようになったのです。 逆に海外で英語を話す国は、 1.もともと英語圏 2.英語圏の植民地にされた 3.他民族をまとめあげる為に、民族間の公平性を保つために英語を公用語にした 4.経済のほとんどを貿易に依存している の4つのいづれかに殆どの場合当てはまります。質問者様が名前を挙げた国々は、このどれにも当てはまらないでしょう。 ただ日本も、海外との貿易(特に重工業・サービス分野)が活発化した1980年代辺りから、英会話も重要だという機運が高まり、次第に教育に反映されつつあります。その頃に教育を受けた世代は今ちょうど10~20代ですから、この世代が大人になれば、日本の英語事情も変わるかもしれませんよ。 さて、もともとの質問 >そこで質問ですが、英語を勉強したところでそんなに世界が広がるものなんでしょうか? No.2さんの仰る通りで、情報を求めるものにとっては英語ができるのとできないのとでは全然違います。私は大学で政治学を勉強していますが、英語を読めると世界が一気に広がります。 例えばこの8月に、ロシアがグルジアに侵攻するという事件が発生しましたね。これは日本語しか使えないと、新聞やニュースといった二次媒体での断片的な情報しか伝わってきませんが、英語ができると、例えば国連の安全保障理事会の議事録を読むことができます。 国連の議事録や決議は全てインターネット上で公開されていて、誰でも見る事ができます。ただし言語は国連の公用語(英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、アラビア語)に限られているので、日本語では読めません。 緊迫した状況下での、国連での大使達の駆け引き。これは政治学を学ぶ者にとってはまさしく生きた最高の教材です。 あるいは理系の方ですと、自分の研究を世界に広く発信したいと思ったら、論文は全て英語で書かなければなりません。 最近、「世界大学ランキング」っていうのが流行っていますよね。このランキング、上位20番ぐらいまでを殆ど英米の大学が占めていて、アジアの大学で上位30位に入るのは、東大、京大、シンガポール大くらいです。あとは50番くらいまでに北京大、ソウル大、東北大辺りが入る事があります。 どうしてこれだけ英米の大学が強いかというと、実は秘密があります。この「世界大学ランキング」どうやってランク付けしているかというと、いくつか基準があるんですが、そのひとつに「発表・引用された論文の数」というのがあります。ところが、殆どのランキングは英米のメディアが行っているので、ここで審査される「論文」は殆ど英語で、例えば日本の国内の学会で発表された論文は審査対象になりません。 だから英米の大学が上位を独占するのです。
お礼
回答ありがとうございます。 私は高卒ですし、議事録とか論文は一般庶民には無縁ですね。
- genmai59
- ベストアンサー率45% (1214/2675)
情報を読むという点では、辞書を引き引きでないと大ざっぱな意味もわからない程度の英語力では、たいして役に立たないということだと思います。日本人は、よく「読めるけど話せない」と言いますがそれは間違いで、大半の日本人は、読む方もほとんどできません。音声なら流れていってしまうので太刀打ちできないけれど、文字は逃げていかないので、辞書を引き引きぼんやりわかるような気がするだけです。 で、本当の意味である程度読めるようになると、例えば海外の情報を知りたいときに、いまですと英語のWebサイトを検索して読むことができます。アメリカやイギリスの新聞を読めば、同じニュースでも日本とは異なる論調だったり、日本の新聞には載らない記事を読むことができます。 海外アーティストのファンなら、オフィシャルサイトで日本語訳されていない情報を読むことができるし、スポーツファンなら、例えば日本ではあまり報道されないプロアイスホッケーの情報を得たりすることができます。読書が好きなら、まだ日本語訳されていない新作を一足先に読むことができます。 会話が好きな人にとっては、海外旅行したときに現地の人と話をしたり、身近にいる外国人と友達づきあいすることができます。インターネットで海外の人と会話を楽しむこともできます。 けっきょくは、読みたい情報を強く求めている人や、外国人とおしゃべりをしたいと強く願っている人でなければ、たいして役に立たないということですね。そして、こういう強い意欲がある人は、半端な英語力で必死で辞書を引きながらでも読もうとし、その努力を積み重ねていくうちに実際に読めるようになってきます。 日本の英語教育の間違いは、英語を本当に使えるような訓練をしたり、その方法を教えたりしていないことでしょう。ただ、どんな教育でも、興味がない人にとっては、ほとんど意味がありません。
お礼
回答ありがとうございます。
- 1
- 2
お礼
回答ありがとうございます。 関係ないんですが、私はアニメとかマンガが好きなんですが、日本の質の高さを感じますね。アメリカのアニメとかマンガはつまらなそうだし。