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セイシンショウガイシャの妻、母
境界例、社会適応障害を疑われている、5歳児の母親です。 自分がその年頃のことを思い出したりするので、ついつい厳しく接してしまって、子供は夫になついて、自分は実家とは断絶に近いので、夫の親族がうちに接する時に、特に親族が集まったときには、自分のことは話題にものぼりません。 自分を消してしまいたいけど、それは子供の時に思いつき、更にそれをしてしまうと家族に迷惑がかかるとこらえてきた人生でした。今ほぼ同じような感覚にいます。自分に自信も持てません。自傷癖はピアスでごまかして、それを医師に伝えても、「現状維持をできているし、どこにでもあることだから、それを乗り越えるようにしましょう」といわれましたが、なんだかもうやっていられないけど、でも消してしまうことも、助けてくれている夫や夫の親族のことを考えると、それもできず、でも自信をもつことがらもない。いきたい。でもけしたい。
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アラウンド50の男性です。 今日は体育の日で日本国中祭日ですよね・(*^_^*) でも3日連休の最後の日で子供が小、中学生くらいだと 最後の運動会になりそうで 大人たちも忙しいのではと思いますが、それ以外の人たちは、 みんな、あなたと同じで自分に自信もなければ、何をやっていいか分からない人が多いんじゃーないかなぁー! 自分も含めて明日から始まる仕事が嫌で、パチンコやる人、ハナクソほっている人、家の中で奥さんに嫌われながらゴロゴロ休憩している人 みんな生きていたい、自分を消したい、それも出来ない人ばかりですよ・ せっかく生きているんだから、自分で死ぬのは怖いよね・(>_<) だから楽しく生きたいよネ・ 楽しく生きている人と巡り合える日を待ちながら 天気のいい日は街に出てたまには落語でも聞いたり デパートや、にぎやかな場所をぶらつくのもいいんじゃぁない 自分に自信なんか持たなくたっていいよ・ 自分を消したくなるなんて考えることもないよ・ 運が悪ければ病死や、自動車事故なんかで勝手に消えちゃうから・ なにも自分で消すことはないよ・ 頑張って、楽しさを求めて、笑いのある生き方をしようよ!
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- tinycat19
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まず、第一に、嫁として夫に家族に関わる時、他人の中に放り込まれるわけです。関わりなどあろうはずがない。私自身、出産するとき、産婦人科医からそういわれました。子供を産んで、子供を通して、初めて関わりができるのです。あなたが、夫と子供さえ居れば、と言う反応は、当たり前です。もしよく思われたいのなら、あなたが新居にご両親を呼んで、ご馳走したり、もてなさなければ、まずないでしょう。 私自身、正月や、舅や姑の誕生日は、必ずご馳走を用意し、お土産やプレゼントまで用意しています。 今日はたまたま、姑の誕生会で、丸鶏やらフルーツパンチやら、寿司やら、ご馳走を並べ、一万円の商品券やら、舅の好きな和菓子やらお土産に持たせました。こんな嫁さん、今時ないよ、と親戚から褒められているそうです。 考えを改めないと、風向きは変わりません。 あなたが経験してきたことは、私が十年以上前に経験してきたことです。精神病のことは責められたことは一度もありませんが、子供が三歳になるまで、新居にはきませんでしたね。 実は、子供は、発達障害か何かあり、言葉の遅れや排泄の躾けの遅れがあり、一年間養護の幼稚園に通っていた時期があり、そのときほとんど毎日、子供に会いにきてくれたり、遠い幼稚園の参観に出かけるのに車を出してくれたり、援助してくださいました。 そのときのことは、とても感謝していて、今でも、姑のことを尊敬しています。 あなたも、今の援助を後の時代になって、感謝すればいいことです。その日が来るまで、死んではいけません。 親という字は、立って木の上で見守ると書きます。義理でも親子になったのだから、見守ってくださっているし、あなたもわが子の行く末を見守らなければいけません。 只一つ、私は死のうとは思いませんでした。もしそう思うなら、まだ精神科に入院した方が救われます。お子さんは、その間、実家か、義理の両親が見るでしょう。 どうしても、自傷や自殺未遂を繰り返すなら、入院を考えてください。 子供が見れなくなったとき、自然と入院にはなります。 あなたは、ご主人やそのご両親が助けてくださるだけ、幸せですよ。 そう思って、子育てに励んでください。
お礼
回答ありがとうございます。実は子供が生まれてから一度トラブルがあり、そのせいで重度のうつになったため、入院したことがあります。その時にも、夫の両親は共働きなので、子供は里子にだしていました。 だから「これだけやって」くれているので、入院などできない、経済的にも無理です。だからそうならないよう、(実家はあてにできません)助けてくださってるから、入院になるようなことにはなるな、という意味が込められた助けです。もちろん夫にもその両親にも、感謝はしていますが、反面こんな自分でも母親であり、また自分でも症状を少しでも改善するために、診断名を調べていくと、自分がよくなるか、いなくなるかしかしないと、いずれ子供にも同じような診断名が下される日が来る可能性は高いです。だからやるしかないです。
- tinycat19
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あまりに重い題名で来てみましたが・・。 精神障害者の妻、母と周囲に責められているならともかく、舅も姑も、夫も誰も責めていないのでしょう。そうしたら、何も言わず、今の主婦生活を続けていけばいいのでは・・。 私は、アラウンド40(正確に言えばハーフに近いです)の年代ですが、姑たちから見たら、勘違い女、派手好きな嫁と思われようと、平気で、娘の学校も服も選びますし、比較的自分の意見を持って、子育てしています。しかし、私も障害者ですよ。 私自身、結婚してから、出産した病院が辛かろうと、死にたいと一度も思ったことはありません。むしろ、女に生まれて、妻として母として、家事に励み、家族の力になり、働くことに喜びを感じています。 実家に居た娘のころは、それなりに幸せでしたが、そのころのことは、そのころのことなりに母たちには感謝して、家を出ています。それ以降の人生は、生まれ変わった自分であり、人生のおまけの部分だと考えて生きています。姑に、娘に持ってきた振袖を着せるのを、目立つとか、嫌味を言われようが、鼻で笑っている自分が居ますね。普通だったら、渡る世間は鬼ばかり、のオープニングのメロディが流れるような、悲劇なのでしょうが、まあいいようにしてくださいよ、程度に構えています。地味な家風の家なら、振袖、というだけで、こんなに嫌味を言われるのですが、実家から持ってきた礼服にコサージュをあしらって、今日見せて、OKを取りました。 自傷癖なんて、自分に関心がある人が、陥るだけで、母となった今では、子供に関心を持って、子供の笑顔をいっぱいにするように努力しましょう。自傷に向かう関心や愛を、今度は子供に投影させるのです。 死ぬのなんて、馬鹿馬鹿しいです。発展途上国では、衛生の行き届かない環境や栄養失調で、生きられない人が多いのですよ。それを思ったら、文明国に行きながら、私は障害者だ、死にたいと言っているあなたは、毛皮に包まって、お料理もせず、飢え死にしそうだ、と言っている半病人です。 女なら、妻なら、母なら、子供とともに生きなさい。自然の中で必至に生きているなら、だれも自然界では、障害者などとは言わないです。
お礼
厳しい鞭をありがとうございます。自分でも、客観的に見ると、すごく恵まれた環境におかれているな、と思うことも多いです。それなのに悩んでなんて贅沢者なんだとやっぱり落ち込んで、益々いやになります。それがひどくなると、苛立ちやマイナスな感情の発露が自傷という形になっているみたいです。お姑さんに嫌味を言われるなんて確かにありません。ただ自分が夫の家族の中にいる時でも、自分が何かを問われたり、声をかけられることはほぼありません。そこに夫が、子供がいたらもう自分はいてもいなくてもおんなじです。それがやっぱり辛い。 夫に以前、後日談として聞いたのですが、夫は自分と結婚する話になったとき、自分の両親も「こんな娘は嫁にやれない」と反対しましたが、それを押し切って、方や夫の家族には黙っていたそうです。それが結婚後に発覚して、一時期は交流もまったくありませんでした。 ただ、最初にそれだけの文章で自分を否定されるとは思っていませんでした。いきたいけれどけしたい、でもいきたいのは、子供のことがあるからです。それで必死にいきているけど、少し疲れたみたいです。 文明国だから、かかった本人しかわからない障害を持つ自分の葛藤や息苦しさは、周りから理解してもらえるなんてありえない。出来るならこの密集した住宅地から、本当の自然に囲まれていきたいです。それも無理だし、やっぱりいきるしかないんですよね。夫が夫の家族に頼んでくれた協力が、「そんなことしてもらってもいいのか」と夫に尋ねると、「これだけやってるんだから調子を崩すなってことだよ」と。
お礼
回答ありがとうございます。今は子供に手がかかるし、といってテレビなど見て一緒に過ごしていても、同じDVDばかり繰り返しみたり、カルタなどゲームをしてもふと気づくとゴハンのじかん、子供が話す話がだんだん訳がわからなくなって、可笑しいも悲しいも感じません。でもやるしかないですね。