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ローマ法の諺
民法で、ローマ法云々といわれますが、ローマ法の諺等も民法の法源になるのでしょうか?
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>>>ローマ法のいくつかの条文とその精神は現行の民法にも生きているのであって、それは時と場所を超えて普遍的に妥当するという意味に おいて哲学的であり、人類の叡智的なものということが出来ると思うのです。それが条理であったり、正義公平についてのあり方の指針であったりするのではないかと 「時と場所を超えて普遍的に妥当する」という意味において「哲学的であり、人類の叡智的」なものが果たしてあるかどうかは若干疑問がありますが。 法律を勉強していて、ローマ法に興味を持たれることは大変結構だと思います。理解を深めます。しかし、司法試験を目指しているなら程ほどにね。また、ゲルマン法も興味をもってください。これも、あくまで余裕があればでうが。 歴史を勉強しているときに、神聖ローマ帝国の皇帝が選挙で決まることがあり、選挙候というものが居ることを知り、不思議に思っていましたが、ゲルマン法は部族長は世襲であっても、問題が生じれば選挙で選ぶという制度だったようです。この制度が、皇帝選挙制度に反映しているのですね。 ローマ帝国は、世襲制ではなく、元老院の承認が必要でした。実質世襲の皇帝が何代か続くことがありますが、形式上は元老院が推挙、承認をしています。 オリエント、中華は世襲王朝ですね。 このように、ローマ法やゲルマン法は歴史的に形成されたもので、真理とまで言えるかは、若干疑問といったのはこのようなことです。 「時と場所を超えて普遍的に妥当する」法理があれば、中華や日本にもあるでしょう。想像ですが、時効制度は類似のものはあったと思います。でも、これは真理や哲学とまではいえない。正義、公正などが背景にありますが、立証も視野にいれた功利主義的な考えだと思います。
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- fenekku200
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>>ローマ法云々というときの多くは、正義・公平(又は条理)ということについての哲学的な或いは過去から引き継がれた人類の叡智的なものと考えられないでしょうか。 違います。ローマ法は成文法です。執政官が提出し、元老院が承認して法となります。そして、法の改正する場合も改正法ではなく、新しく法を制定するので、新法と旧法を比較して改正が分かるという仕組みでした。あまりに大量の法を制定したので、〇〇法大全のように法典整備をしました。しかし、ローマ人は几帳面でしたから、法はきちんと記録されていました。 もちろん、歴史的産物という意味では、過去から引き継がれた人類の叡智的なものですが、法文としてきちんと成立したという意味で、哲学とか人類の英知とかいった抽象的なものではないのです。 所有権の保障、相続について遺言の優先(遺言が第1、遺言が泣ければ法定相続)、ローマ市民権、税等々きちんと成文法で定めていたのです。また、ローマが拡大する際はきちんと条約を締結したいます。 完全にローマ法の認識不足です。
- fenekku200
- ベストアンサー率53% (49/92)
なりません。 だって,ローマ時代の法や法諺が民法(現代日本の)の法源になるわけがありません。日本は成文法の国です。 しかし,日本の法制度は,明治期に欧州から急遽輸入しまいたから,制度を理解するためには,考え方も欧州の考え方に拠らなければ理解,運営,解釈ができないわけです。 結果,解釈のルールにローマ法以来の思想,それを簡単に表現するローマ法諺が引用されるのです。 ローマ法については,法学としてローマ法を勉強するのもよいですが,塩野さんの「ローマ人の物語」を読むと,その背景まで良く分るし,何より面白い。全15巻という分量がネックですが。
補足
回答ありがとうございます。 ローマ法云々というときの多くは、正義・公平(又は条理)ということについての哲学的な或いは過去から引き継がれた人類の叡智的なものと考えられないでしょうか。 法の適用に当たっては正義・公平に配慮する必要があり、その意味でローマ法の諺等が間接的に法源になっているということは出来ないでしょうか? 言い方を変えれば、正義・公平に係る人類全体の慣習法とでも言いますか・・・。
補足
回答ありがとうございます。 またローマ法についての興味深いお話をありがとうございます。 現行の民法への影響については、いくつかの諺(それもゲルマン法由来のものとの区別もはっきりしません)と民法の構成が全体的にパンテグテンであるのに対して総論の構成にローマ法の構成法が見出されるみたいなことを聞いた記憶があるくらいですので、ローマ法について認識は不足しておりました。 仰るとうりローマ法自体が現行の法源になっていることはありえないと思います。 しかしローマ法のいくつかの条文とその精神は現行の民法にも生きているのであって、それは時と場所を超えて普遍的に妥当するという意味に おいて哲学的であり、人類の叡智的なものということが出来ると思うのです。 それが条理であったり、正義公平についてのあり方の指針であったりするのではないかと思うのです。