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死ぬよりましだと思って生きるのは前向きですか?
32歳の主婦です。週3日パートで働いています。 孤独を感じたり虚無感に襲われて 死んだ方がいいと思うことが度々あります。 とうとう32歳になってしまい、 25歳までに出産した方がいいと聞くたびに もう子供を持つのはあきらめようと思っています。 自分は健康にも自信がありませんし あまり経済的に恵まれてもいないので 子供もかわいそうだと思います。 わたしには才能もないし友達もどんどん減り、 夢中になれる趣味もありません。 それでも死ぬよりはいいと、 生きていくのはそれでも前向きなのかと思います。 死ぬと言うのは最終的な手段であり、 それよりマシだと思って生きなければならないのは 人生って楽しいのか謎に思います。 よいことなのか、あまりよくないのか、 教えて頂けたらうれしいです。
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いいことか悪いことかという結論から言えば、いいことだと思います。 「生きる意味」とかいいますが、語弊を恐れずにいえば、 私は、生きることに特別な意味なんかないと思っています。 特別な意味があるんじゃないかと思うと息苦しくなります。 「今日を無事に生き延びること」、そのごく普通のことが、 人生の意味であり、人生の目的だと思っています。 才能に満ち溢れて、経済的も恵まれて、友達もたくさんいて、 華やかに見える生活がお好みなのかもしれませんが、 それは人生の目標でも目的でもありません。 今日を無事に生きること。 何かの手段でしかないと思えたその「今日を生きること」が 目的なんだと思ってみてはどうでしょうか。 それを幸せに思ってみてはどうでしょうか。 死ぬよりマシ、それで全然いいと思います。 ただし、今日を生きられたこと、 今日死なずに済んだことを喜んでください。
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- henmiguei
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死ぬよりましと言うのは当たり前のことで 死んでしまったら後がないわけですから 楽しみも苦しみも何も無いことになります 何もなくなってしまうのですよ 人生前向きに生きている人の話を聞くと 「苦労も楽しみ楽の内」と言っておられます 苦労が楽の内という心境には中々成れないでしょうが 多くの人は 苦労の後にはきっと良いことがあると信じて 生きているのではないでしょうか 死んでしまったら 楽や苦が無くなって 一見良いことのように思えますが やはり昔から言われている 「死んで花実が咲くものか」の喩のように 苦労も人生のうちの一つと考えて 苦の後には楽ありと信じて 自然にお迎えが来るまで生きてみては如何でしょうか。
お礼
ありがとうございます。 もう32歳なので、 子供を作るなら待ってる時間はないとも思います。 もういらないと、はっきり断言して 自由を謳歌した方が 楽しい人生を歩けるのか、 ほしい感情に素直になるべきか、 よくわかりません。 でもこの孤独や虚無感の原因が それだとはわかりません。 何もない自分に、ただおばさんになって行く自分が 好きじゃないのだと思います。 空っぽだと思いますが 自然のお迎えを待つ方が大きな勇気を使わなくて済みそうですし、 そうしてみます。
- 2411jp
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「与えられた命を無駄にせず、虚無感に襲われていても生き続けている」という点で、前向きだと思います。 毎日が辛そうですね…。 確かに、生きているとどうしようもなく孤独で、落ち込んで、そこから抜け出せなくて苦しむときがありますが、あなたの場合、それがずっと続いているようですね…。 でも、結婚された時は幸せだったんですよね? 新婚の時など、一時期、毎日がとても幸せだった時があるのではないですか? 今はいろいろな事がうまくいかなくて、幸せに目が行かないだけだと思います。(プチうつ状態) 私も数年前、同じような状態だったので、お気持ちは分かります。 原因は子どもがいない事ですか…? 若くして結婚されたのでしょうか? 子どもがほしくて、授からなくて、辛い思いをし続けた結果、このように孤独感や虚無感を感じるようになったのでしょうか? 一人でとても辛い思いを抱えているような気がします…。 子どもを持つのをあきらめる事はありません。生理がある限り、40歳以上でも可能です。 あなたに読んでほしい本があります。 私はこの本のおかげでとても気が晴れました。 あんとうよしみ「不妊を治す気功学」http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31341965 http://www.motherlotus.biz/books/index.html
お礼
ありがとうございます。 不妊治療を受けたことはありません。 それ以前にセックス・レスです。 夫と仲は良いですが、完全に家族にしか見えないようです。 このまま歳を取っていって、 おばさんになって母になれず、 そんな人生って虚しいなと感じます。 友達は減る一方だし、 かと言って、なぜか自分から遠ざけてしまいますし、 卑屈な気持ちがあるのか、 職場での適当なお付き合いの方が楽です。 やっぱり前向きなんですよね。 生き続けているので、そうですよね。
- 51happy
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わたしも子供はいません、35歳です。 不妊治療もおこないましたが、副作用で断念。 夫が子供を希望しているので病院に通いたいけど夫から「治療自体、女性の心と体に負担がかかるものを私にさせてまで子供を授かろうとは思わない」といわれました。 確かに、死ぬより生きていくことは前向きだと思います。 前を向いていれば、子供のいないことがかえってよかったと感じることもあるかもしれません。 金銭的、時間も縛られないなど 同居をしている実の親にも子供のできない辛さを理解されないで生活するのは正直腹立たしく思います。 これから先、主人と旅行に行こう・遊びにいこう・好きなものを買いたい そんな妹夫婦にはできそうにないことをしていけば自分で優越感を感じていれば子供も気にならないでいられるかも(^^)なんて意地悪な考えをもっています。 なによりも夫婦の絆が第一です。 以前、ウツで窓を見ているとフと自分が首をつる姿が見えたりしていました。 そんな自分を救ってくれたのが主人です、自分が死ねば私を守ってくれた主人を一人にしてしまう、主人とはもっと話をしたいし側にいたい。 2人で仲良く生きていたい、だから死ぬことは今は考えていません。 いずれ人は死ぬときがくれば自然に死をむかえます。 自分の手で途中で終わらせるようなことをしたくはありません。 どうしても「死」が頭から離れないときは心療内科を受診してみてはいかがですか?
お礼
ありがとうございます。 ずいぶん昔に心療内科へ行ったこともありますが 何も解決しませんでした。 病気ではなく性格の問題のようです。 わたしも今は優越感を感じることもあります。 好きな服を着て、20代前半に見られたり声をかけられたり、 まわりで髪を振り乱して育児をしている友達より とても自由です。 でもやっぱりいつかは赤ちゃんがほしいなと思います。 どうしようもない感情です。 わたしたちはセックス・レスなので 絆があるかどうかはわかりません。 夫が子供を作らないと言った時、 好きだけど離婚したいとも思いました。 文がまとまらず、すみません。
前向きだと思いますよ。 私の父はガンで余命1年ほどと宣告されました。 限りある命をしっかりと受け止め、 食事を「おいしいね」と食べ、 テレビを笑って見て、 愛犬をかわいがる。 そんな普通の生活でも楽しく幸せなものですよ。 命あってのものですからね。 ただ、25歳までに出産した方がいいと聞くからもうあきらめる… ではなく、 40歳過ぎても産んでる人がたくさんいる… の方がもっと前向きですよ。
お礼
ありがとうございます。 それでも40歳過ぎてからの出産より 20代での出産の方が多いでしょうし、 自分の体力を考えると、とても希望が持てません。 お父様のお話、ありがとうございます。 わたしの余命はもっとずっとあるので きっともっと楽しくなるはずだと信じたいです。
Q、死ぬよりましだと思って生きるのは前向きですか? A、それなりに前向きですね。 しかし、ちょっとしたことで凹んだり、はたまた、立ち直ったりですね。 で、実に、根気良く、自分を分析しますね。 で、実に、根気良く、人生について考察しますね。 こういう分析作業とか考察行為は面倒臭くないですか? 私、思うのですが、多少、<面倒くさがり屋>になられたがいいですよ。 「もう、色々と考えるのって面倒臭いや!」 「もう、どうでもいいや!」 「色々と分析し考察しても、なーんにも変わらねー!」 「どうせ変わらないのならば、面倒臭いことはやーめた!」 で、分相応の人生を分相応にただ平々凡々と生きるってのはどうですか? 「それでも、まっ、いいや」っていう生き方は出来ませんか? 「それでも、まっ、いいや」が前向きな生き方かどうかは、異論のあるところでしょう。 でも、本人が、「それでも、まっ、いいや」と思っているから、誰も否定できないでしょうね。 で、果たして、「それでも、まっ、いいや人生」が幸であるか不幸であるかは人それぞれ。 不幸と思う人にとっては不幸であろうし、幸と思っている者にとっては幸。 ここら辺りは、それぞれの人生観・世界観の問題ですからね・・・。 しかし、少なくとも、質問者が<面倒くさがり屋>になった方がいいのは明らか。 と、おじさんは思いますね。
お礼
ありがとうございます。 わたしは自分のこと、 とても面倒くさがりで短気だと思います。 だから少々の嫌なことで凹んでしまって バイトも長続きしませんでした。 友人関係もついこちらから避ける態度を取ってしまうし もっと気を長く持って何かに打ち込んだり 真剣になったりできないものかと、いつも思います。 今の仕事を続けること、 まったく成長のない語学の勉強も真剣に打ち込んで 上達させたいです。 焦る気持ちばかりで いつも面倒で負けてしまいます。
落ち込むときは私もそんな風に考えたものです。 今はあまり希望も持てないかもしれないけど生きていれば希望も趣味ももしかしたら子供をもつことも経済状況もよくなるかもしれないではありませんか。立派に前向きです。 同じことを考えるにも言葉の選び方で全然変わります。 それよりマシだと思って生きなければならないのは 人生って楽しいのか謎に思います。 →死ぬよりはマシだと今は生きていますが人生ってきっと楽しいものだと思いたいのです。 私も長い人生挫折なんて何度もあります。 経済的に裕福でないけど「負け」ているとも思いません。 でも、「生まれただけで丸儲け」と誰かが言ってましたが些細なことも楽しんで生きていけば人生何がこの先起こるかわからない冒険のようなときめきがあるというものです。 「死」と決定的に違うのは「未来」があること。 それを知っているだけでも幸せなことと思います。
お礼
ありがとうございます。 わたしはもう32歳です。 未だに子供を作る計画はなく、夫は欲しがりません。 ママがおばさんなんてかわいそうですし、 わたしも平成生まれのママと仲良くできるか不安です。 ただただ歳取るばかりです。 子供から離れて、何か些細な楽しみを期待して 生きるのもいいのかも知れませんね。
- akamanbo
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「意識」というもの自体、生命活動のオマケみたいなものですし、特に死にたいというほどでもなければ、別にいいんじゃないですか。 どうせ長くても数十年で、ほっといても死ぬんですから。 現代日本ではヒマつぶしには事欠きません。 2chで同じような悩みを探したりしたら、予想外のアイデアがあったりしておもしろいと思いますよ。
お礼
ありがとうございます。 このようばアドバイスを頂けるなんて 少し驚きました。 放っておいても死ねるなら 無理に死ななくてもいいんですよね。 何かよいひまつぶしを探します。
お礼
ありがとうございます。 今日を無事に生きのびることが人生の意味で 目的との言葉に、 少し安心しました。 わたしは今日、無事だったと思います。 職場や電車で少し嫌な思いをしましたが 無事に帰ってこられました。 もうすぐ夫が帰ってきます。 彼も無事だといいなと思います。 これらはとても幸せなことだと思えるように なりたいです。 ありがとうございました。