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ユニセフと偽善と私
たまにユニセフに寄付しています。年に1度くらいですが、会員です。 テレビなどで、貧困で可哀想な子供達のドキュメントをやるたびに、「やっぱり自分はお金がないっていっても、この子達に比べたら天国だな。生きるか死ぬかなんて、日本ではないもんね」と思って、寄付するのですが、本当のことを言うと、 ・良いことをすればいつか自分にとって、良いことがあるんじゃないか ・自分は死んでも地獄に落ちることはないだろう とか、自分のことを考えていることがあります。これでは偽善であって、善意ではないのでこんな考えのまま寄付をして、一体意味があるのだろうか?と思って今年はまだ寄付していません。 そこで、お聞きします。 A.こんな考えのままでも命が救われるのならば寄付するべきだ B.そんな考えの寄付には全く意味がないので止めておいたほうが良い 今はBの気持ちで、いずれ自分がもっと精神的な成長が出来た時に寄付を始めたほうが、自分のためにも良いのではないか?と思っているのですが、どうでしょうか? お願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
私はAですネ。 そのような気持ちがあっても、相手に届けば良いとしなければなりません。 あなたのお金で救える命があるのなら寄付を続けてほしいです。 お金を寄付することによって、自分のことをかえりみない 愛の心を育てていけばいいのです。 そんな考えは偽善なのかも知れませんけれど、 それでもあなたの中にあるかわいそうという良心があるではないですか。 その良心、真心を信じてほしいです。 いずれ自分がもっと精神的に成長できたときに寄付を始めるのもいいですよ。 けれども、それは寄付をしながらでも精神的に成長することは可能でしょう。 ユニセフに寄付をしてどうぞ子供たちを助けてあげてください。 偽善にとらわれずに、貴方の中の真心を信じて寄付してくださいませ。 人を救えることを本当に喜んで寄付が出来ればいいのですよネ。 良いことをすればよいことがかえってくるというのも一つの真実なのかも知れません☆ それはそれでいいのです、それよりあなたが寄付することで 救える命があるというのは一番大切なことです。 これからもぜひ寄付を続けて欲しいです、それによって人が助かるのなら良いではないですか☆ 見返りを求めない愛の心で寄付ができるように、願っていますネ☆ あなたの良心を信じてあげて下さいませ☆
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一応Aになりますが、そこまで深く考える必要はないと思いますよ。 募金箱に入れるか入れないかの動作の違いなだけです。 気持ちなんて相手には分かりません。一対一じゃない限り。 私も昔パンダのマークのに動物なんとかって寄付をしてました。 でも数回寄付したあとに止めました。 入った理由も特にないです。たまたまお菓子の箱に書いてあったから どんなものかと興味本位でしただけです。 ただの気まぐれでやりました。 でもしてる間は質問者さんと似たような気持ちも持ってましたね。 寄付してんだから、してない人よりマシだ・・とか いつか自分にいい事があるって。 止めた理由はお金を全部自分に使いたいからです。 偽善だとか考えた事すらありませんよ。 それ以来寄付関係は進んでしてません。 会社とかで「寄付して」とかあったら本心では嫌々ながらしています。 しなかったら陰口言われそうだし、そこまで断る理由も特に ないから、まあその場の空気を壊さないためですね。 でも嫌々寄付したから善意では無いか?と問われると難しいですね。 お金という物体がその箱に入っているのは現実ですし 善意で入れた人のお金と、嫌々入れた私のお金が交ざれば もう見分けがつきません。 偽善かどうかも他人が判断することであって 自分自身で「これは偽善だ」とか考えなくてもいいと思います。 深く考えず、その時自分に余裕があれば寄付をする・・と 考えればいいんじゃないですか。
お礼
余裕がある時にするというのも有りですね。 実は、ドンドン引き落とされていくお金があるので迷っていたこともあります。でも、「日本と外国では大変の意味が違うよなあ。。」と思って、寄付していました。 皆さんの意見を聞いて、寄付は少しづつでも続けることにしました。 無償の愛で寄付をされている人ってどのくらいいるんでしょう? そういう人はすごいなあと思います。私はそういう時が来るのか分かりませんが・・・ ありがとうございました。
B. といっても「そんな考えの寄付には全く意味がない」からではないぜ。現時点で、寄付に疑問を感じ、やめているんだよな? だったら、納得できるまでやめておけばいい。そう思う。 こういうと冷血漢に思われるだろうが、寄付ってのは、「今、この瞬間にも失われていく命を、あなたのお金で助けるため」にするものでは、ない。いや、もちろん、寄付することで救われる命があるだろうことは確かだよ。だが、「だから寄付を」ということになったら、「寄付をやめる=寄付をすれば助かる人たちが死んでもいいのか」という話になってしまわないか? そうじゃないだろ? 寄付は、あくまで「する人間の意志」の問題だ。それでどこの誰が救われるかといったことは、寄付をした結果の話であって、寄付をする段階で口にすべきことじゃない。寄付をするかどうか、というところで「出せば命が救われる」うんぬんを持ち出すのはフェアじゃないだろ。そのことを出したら、「寄付しない」やつはすべて悪人になっちまう。寄付は、するのも自由、しないのも自由、のはずじゃないか? 少なくとも、寄付は、何らかの強制などでなく、あくまで個人の意思ですべきものだ。だから、自分自身で「寄付することへの疑問」があるならば、すべきではない。というか、「寄付に疑問を感じている人間に、寄付を強制すべきではない」といったほうがより正確だろうな。「寄付はやめておこうかな?」という人間に、他人が「いや、寄付すべきだよ」というのは、なんか違うとオレは思うんだよな。 真面目にどうするか考えたいなら、とことんまで考えればいい。その結果、寄付をやめても、それは天として恥じ入ることじゃない。むしろ、世の中に流されず、自分で考える道を選んだことを誇りに思おうぜ。
お礼
ありがとうございます。Bの考えもあるのですね。 それも、寄付が無駄だとおっしゃっているのではないので、考える選択肢が広がり、少し休息点になるなと思いました。 ところで、今回の寄付の振込み用紙をしばらくとっておいたけれど、破って捨ててしまったのですが、すごく悪いことをしている気分になりました。ということは、どちらにしても、「私にとって後味が悪い」ということに気が付きました。 寄付をすることで、救われることがあるならたとえ偽善でも寄付をする意味はあるのだと思いました。 なので、次回に今回分を合わせて寄付をすることにします。 ありがとうございました。
- sicco
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A。 あなたはずいぶん矛盾したことを言ってます。 >いずれ自分がもっと精神的な成長が出来た時に寄付を始めたほうが、自分のためにも良いのではないか? それだって「自分のことを考えている」だけではないですか。
お礼
そうですね。 やはり寄付を続ける気持ちになりました。 ありがとうございました。
- -poachi-
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財団法人日本ユニセフ協会と国際連合児童基金(UNICEF)は別団体です。 本支部や構成機関でもありません。 UNICEFの正式な日本支部「ユニセフ東京事務所」は別に存在するので、寄附金全額を国際連合児童基金本部に届けたいのであれば、そちらに直接寄付をするのが良いと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%BB%E3%83%95%E5%8D%94%E4%BC%9A 寄付をしたい人が寄付をすればいいのです。 偽善でも善意でも、それで助かる人が居れば・・・ ということで「A」で。
お礼
やはり、寄付したほうがいいですね。 助かる人がいるんですもんね。。 ところで、同じような名称なのに違う団体があるのですね。 私は日本ユニセフ協会だったと思います。 ありがとうございました。
- oo12
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寄付しましょう。 >・良いことをすればいつか自分にとって、良いことがあるんじゃないか こういうのは偽善とはいいません。純粋な善意です。 善意という機能が人間に備わっているのは、人間には他人から良い行いを受けると回りによい行いを、他人から悪い行いをうけると回りに悪い行いをしてしまう性質があるからです。 この善意という機能が備わっていることにより人間全体が繁栄できるのです。 したがって、多少乱暴な言い方になりますが、自分に見返りがあるかもしれないと期待してする行為は善意です。昔の言葉で言えば「情けは人のためならず」といったところでしょうか。 まあ、言葉に出して見返りを要求してはいけないとは思いますが。 最近は無償の愛にこだわるあまり、本来人間に備わった善意という機能がないがしろにされているように思います。 無償の愛は、自分のことを考えられる人間が次の発展段階として進むべき考え方であり、自分のことを考えられない人間が手を出すべきではないと思います。
お礼
そういえば「情けは人のためならず」っていう言葉がありますね。 これは私のことと当てはまるのかと思いました。 情けをかけることは人のためだけでなく、自分のためにも良いことなのだということですよね? 純粋な善意・・とまで言ってくださって申し訳ないくらいですが、ありがとうございました。
確かにやってることは良いことに見えても 実際は貧しい人たちを上から目線で見てしまって 偽善者の自分がいることもあります。 けれども、偽善者行為だとしても、しないよりはした方がいいと思います。 我々が思っている以上に貧しい人はいっぱいいると思います。 そんな人たちを全員を助けることはできないかもしれないです。 けれども、何もしないよりはした方が絶対いいです。 何かをすることで、誰かが助かれば、少しでも助けになれば、 その子一人の人生が救われるわけですから。 だから、偽善者行為だとしても たった100円の寄付するだけで 助けられるなら 意味がないことなんてない。 考えに意味はない。 寄付することに意味があります。
お礼
そうですよねえ。たとえ偽善だったとしても、お金を寄付すれば救われるんですからね。 悪い気もしますが、寄付しようかなと思いました。 ありがとうございました。
お礼
やはり、少しずつだけでも寄付しようかなと思います。 今回、寄付を見送っていたのですが、すごく悪い気分になりました。 次回は、今回分も足して寄付しようと思います。 ありがとうございました。