- ベストアンサー
昔の恥を忘れる方法とは?
- 昔の恥を忘れるにはどうしたらいいのでしょうか?過去の失敗や恥ずかしい思い出が思い出されると、後悔や恥ずかしさがフツフツと湧いてきてしまいますよね。そんなときはどうすればいいのでしょうか?
- まずは自分を許すことが大切です。過去の失敗は過去の自分がしたことであり、現在の自分とは関係ありません。自分自身に対して優しくなりましょう。
- また、過去の恥ずかしい思い出を振り返ることは成長の機会でもあります。その出来事から多くの教訓を得ることができます。反省し、今後同じような失敗を繰り返さないようにするためにも、過去を振り返ることは意味があります。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
同じ思いがわたしにも多々あり、書いておられることが自分のことのように思えます。 過去の恥を思い出すのがいやなためだけに、そうした場面を知っている人にも会いたくないです。 昔の恥に対する思いを軽減させてくれたのが漱石の『硝子戸の中』の十二の一文でした。 『私はすべての人間を、毎日毎日恥をかくために生まれてきたものだとさえ考える事もあるのだから、・・・』 として、自分のことを書いています。自分の恥を書けるところが彼の偉いところです。 以後、昔の恥を思い出して後悔するたびに、漱石でさえそうだったと紛らわすことで、 まったくとはいいませんが、すこしは楽になるようになりました。
その他の回答 (5)
- oobankoban
- ベストアンサー率37% (261/700)
そりゃぁ、年を重ねれば誰でも「あ~、あれを消しゴムで消してしまいたい!」ってのがいくつか有るんじゃないでしょうか?《若気の至り》って云う言葉があるくらいだから。 でもそれがあったから今の自分があるわけで、そこで恥ずかしい思いをしていなければ、未だに恥ずかしい大人じゃないですか。 私なんか開き直っちゃってるので、全部「若気の至りじゃ、ハハハ♪」 子供がまだチビの頃、学校のテストを持って帰ってきたときこう言いました。 「○はもうわかってることだから何も教えてくれない。テストは、ここがわかっていないから勉強して!と知らせるためにあるのだから×は恥ずかしい事じゃない。恥ずかしいのはそれを直さないで同じ間違いを繰り返すこと。」
お礼
どうもありがとうございます。まさに正論です。
全くですね・・・忘れられません(T-T) 私が推奨する方法は、【過去を少しずつ美化していく】というものです。 ある日、ふと思い出したときなどにちょっと美化して思い込むのです。 何度も繰り返すうちに少しはましになる・・・んじゃないかなぁ。 ま、10年は軽くかかるでしょうね。
お礼
美化・・・なんという美しい手段でしょう。あのー、最近、島谷ひとみという若い女の子が、「亜麻色の髪の乙女」とか歌っていますよね。あの歌は、昔、私がフリンまがいのことをして、大変深い恥となった相手の男のカラオケ18番の曲だったのです。あの歌が流れてくると、昔の恥がぶわーっと思い起こされて、もう、思わずテレビを消してふとんをかぶってしまいます。
質問者のお歳が判りませんが、きっと少年少女の儘お歳を重ねられたのでしょうね。 普通なら歳をとると厚顔無恥に成るものです。 もっともっと歳月を重ねると、あなた様の記憶の中には存在してても、それを覚えて居る相手がこの世から存在しなく成ります。勿論あなたより歳下の方達は覚えているかも知れませんが、歳をとると忘れぽく成るものですから、それを利用されたら良いのではないでしょうか、決して厚顔無恥に成るのでは無く、さらりと澄まし顔と言うのも美しい生き方のような気がします。
お礼
いやー、そうですね。私は、厚顔無恥なオバハンが大嫌いなので、びくびく、おどおどしながら生きております。なんとかトシをとって忘れたいのですが、いやなことってなかなか忘れられなくて。。。。トホホ。
- ma_
- ベストアンサー率23% (879/3732)
忘れようと必死に思い続ければ続けるほど、忘れなくなるはず。 酒を飲んだり、おいしいものをお腹イッパイ食べたり、 すきなことに熱中したり… そうやって、人に迷惑かけようが、おかまいなしな「オジン・オバタリアン」に にみんななっていくことになるのだとおもいます。 所詮、自分が一番かわいいものだし、自分が一番大切なものだし、 長くいきていけばいくほど、自分のことしか考えなかったばかりに、 はずかしい失敗をしてしまうという経験も増えてくると思います。 また、過去のいやな思い出も、いい思い出も、ある程度の時間がたてば、 忘れてしまうものだとおもいます。
- koikechan
- ベストアンサー率0% (0/6)
無理に忘れようとすると、思い出してしまうものです。一人の胸にしまわないで、声や、メールなどで、誰かに具体的に、思い出せる限り、打ち明けてしまったら、案外、恥ではなくて、若い時の思い出や、経験として、今の貴方に、そのときのことが、理解できるのではないでしょうか。少なくともそのときから、貴方は時間の経過とともに、大人になっているはずだからです。笑い話に、転化するかも知れませんよ。わたしもそうですから。
お礼
そうですね、私も、話せる程度の恥でしたら、機会あるごとに話しています。人間、自分の失敗を打ち明ける人には親しみを感じるものでもありますからね。でも、到底人に言えない程度のひどい話も多々あるんですよね、トホホ。
お礼
なるほどね、あの漱石ですらそのようなことを書いていたのでしたら、私のような凡人など、当たり前のことですね。私もいまだに昔の赤っ恥を知っている人に会うのは苦手です。