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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:何がなんだか分かりません。)

私の人生における努力と未達成感

このQ&Aのポイント
  • 私は22歳の社会人で、昔から努力せずに人並み以上の成績を収めてきましたが、本番では必ず失敗してしまいます。
  • 努力をしても自信が持てず、達成感も味わったことがありません。時々自己嫌悪に陥り、他の人を見下すこともあります。
  • 自分の存在意義に疑問を感じており、今回の投稿でもまとまりがないと感じています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • sp550uz
  • ベストアンサー率49% (544/1091)
回答No.6

きっと、頑張る目的や目標がないんでしょうね。私も同じように、勉強もスポーツもそつなくこなしてきました。頑張ったと言うよりは、知ることに興味があったので、夏休みの宿題もはじめの頃に全部片づけて、後は遊び呆けていた派です。 学生時代は、いつも90点取ってる人が100点を取るよりも、いつも50点の人が100点を取ったときの方が「よくがんばったねー!!!!!」と褒められます。これは、日常的に頑張っている人からすると、すごく不満に思うことです。あなたが達成感を味わえないのは、他人から見える努力が日常に組み込まれていて「自分としてはそれがフツー」だからでしょう。 達成感と人間が生きる意味については、同じようなことが言えるかもしれません。それは、親兄弟や子どもを助けるためだったり、他人を喜ばせるためです。それらの行動を行っている時に充足感を感じたり、「ありがとう」と言われたときに達成感を感じる事が出来るのではないかと思います。

yu-sya
質問者

お礼

回答ありがとうございます

その他の回答 (5)

回答No.5

完璧主義なだけでしょうね。 そういう人は人一倍本番のプレッシャーに弱かったりするんですよね。 あなたが生きてるのは親が産んだから、ただそれだけですよ。

yu-sya
質問者

お礼

回答ありがとうございます

回答No.4

 努力の意味を、誤解されてるのでは。偉そうで申し訳ないが、努力とは継続のことです。ダメな時も、いい時も、ひたすら愚直に続けることではないでしょうか。

yu-sya
質問者

お礼

回答ありがとうございます

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2483/6032)
回答No.3

明確な質問ではないので,この回答が的外れになるかも知れませんが, 私のこれまでの交友関係の中でもそう言いながら生きている友人は複数います。 やればもっとできるとは思うのだけど。とか自分を追い詰めるとまずいことになるのは自分が分かっていると言う人も居ますね。周りからすれば,どうなってもいいからできるところまで1cmでも前に進めることをしてみては?と言われてもやらない。しようとしない。 不思議なことに彼らはいずれも偏差値70を越える名門大学医学部。それこそ人並みにできるという以上のことをやってきている人達です。 医者を目指しているのだから真剣にそれをやりきればいいじゃん。と言われても本人達はどこかぽかんとしています。 あなたのような悩みというのは沢山いるという意味での例ですが,一方であなたがあこがれる?努力をできる人達。何にも努力しないで東大医学部に入ってしまう人達よりも,努力して努力して地方の国立大学をでてお医者さんになっている人のほうが自信たっぷりで楽しそうで生き生きしている。そんな人達とどこが違うかというと,今自分がしたいことが好きになれるかどうかに大きな違いがあるようです。あなただって,例えばあなたの趣味に対して好きだからやっていると言えると思いますが,彼らは何かに立ち向かっているとき,何かを本気でしたいとき,それに対してのある種の興奮を覚え熱中し楽しいのです。 「一日14時間以上勉強しても、疲労骨折するほど練習しても」についてですが,やってもだめ。という結論でしたが,楽しめる彼らは,自信とかよりも達成感,充実感が多く,その時点である意味での満足感を得られていると思います。 でも,この負荷がそこの域に行ってなければ,何時間勉強してもそれは我慢大会でなんの感情もモテないのではないかと思います。目的があって,好きになって真っ正面に進んでいる場合,むしろ練習や勉強は,負荷ではなくて喜び。やっていることは楽しくてたのしくて仕方が無いのです。 仕事人間にも2種類居ます。あの人一週間家に帰らないで仕事しているらしいよ。 これがプレッシャーから来る行動である場合,正直過労死は目前ですが,今実は楽しいんだよね。なんか成長しているって感じで。というひとはどんなに体が臭かろうが,幸せな気持ちでやっていますし,その期間はその人の一生の宝物になります。 難しいのですが,能力があってそれでも楽しみが見つけられないのであれば,まだ負荷が足りない可能性は大いにあります。 処理能力が早ければ,いろんな危機管理ができますので人並みの負荷ではそれを楽しむことができていないのかも知れません。 その場合にはやり続けないといけないというあまり良い回答ができませんね。 もう一方は,全てにおいての成功体験が無いと思っているので,やはりこんどは自分がちゃんと好きなことに時間を費やして上を目指す,目標を達成するという成功体験を積んでいくことかと思います。 まあようするにアドレナリンを出せるように努力してみたら?ということです。 脳がまだ気持ちよさを知らないから,どれにも自分をつぎ込めないそんな印象を持ちました。 ご参考までに。

yu-sya
質問者

お礼

回答ありがとうございます

noname#255857
noname#255857
回答No.2

生物学的に言えば子孫を増やすために生きてるのでしょうけど、 私は人生を楽しむために生きているんだと思う。 自分に見合ったささやかな、ね。 とりあえず仕事頑張って自分を磨けばいいんじゃないかな。 そしたら彼女とかも出来て楽しくなって、 「たのしいから生きてるわぁ」となるんじゃない? 理由なんて自分で作ればいいし、 理由がなくても、空腹に負けて飯を食えば生きてしまうんだから、 難しく考えても無駄さ。

yu-sya
質問者

お礼

回答ありがとうございます

回答No.1

いいですね~~~ 自問自答ができる若者!! 小生は、生きてきた時間より、残された時間が少ないところに至っても 自分という人間はなんで生きてきたんだろう と さっぱりわかりません。 まだ22歳、小生に追いつくまでに50年以上ありますね。 いいですね~~~迷ってください。悩んでください。不思議に思ってください。 生きるって、死んではいないんだよねって、わかればよろしい。 hahaha哲学っぽくなっちまった。 ごめん。

yu-sya
質問者

お礼

回答ありがとうございます

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