- ベストアンサー
完璧主義の祖母に対する腹立たしい感情とは?
- 私は20代後半、女です。実家住まいですが、同居している祖母に対して時折沸いてくる、怒りの感情が何なのか自分でもよく解らず困っています。
- 祖母は私と弟を育ててくれましたので(両親は離婚)ものすごく感謝もしています。しかし、祖母の「私がしっかりしなければ」という気持ちが強いのか、何でも一人で取り決めてしまうような部分が前からあり、家は祖母のワンマン経営状態といいますか、協調性があるかといえば、疑問なところはありました。
- 祖母は「私はきつい~」と、泣き言のような事を漏らし始めるのですが、これがなぜかものすごく癪にさわるのです。本当にきついのだろうし「大丈夫?」というような言葉をかけるべきなんでしょうが、そのように労るような口調の会話を、これまで交わした事もなく「何を、今更弱音もらしてんの?」というような気持ちが沸いて来てハッとします。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
お気持ち、分かりますよ。 悪く言うようで申し訳ないですが、お祖母様は家の運営は完璧でも教育は上手にできなかったという事なのでしょう。 教えられてこなかったものを当然のように「そんな当たり前のことも知らんのか、できんのか」なんて言われても困るって話ですよね。 幸いなのは、あなたが家庭の外でしっかり社会性を学び身につけたおかげで、「なんてひどい事を考えてるんだ」「「大丈夫?」というような言葉をかけるべきなんでしょうが」と思える人間性、理性をわきまえてることです。 あなたがお祖母様にイラッとくるのは、本音の感情として当然のことと思います。 ならば今まで掃除一つでも一緒にやって、こうするんだよと教えてくれたことが一度でもあるのかと。 主婦歴半世紀のお祖母様と教えられてもいない20代の娘っ子が同じように完璧な仕事ができるのが当たり前なのか、と。 教えられてきたのに出来ない、やろうとしない、というわけではないんですから、やったこともないことを「出来て当然」と言うのはちょっとおかしいでしょ、というのは至極当然だと思います。 (もしかしたら、その苛立ちは愛情の裏返しではないかとも思います。→後述) しかし間違ってはいけないのは、出来なければ出来るようになればいいだけの話で、そこで争う必要はないということです。 お祖母様の言葉尻にイラつく気持ちはよく分かりますが、感情は極力抑えて、大人の対応をするべきだと思います。 「おばあちゃんが今まで1人で全部やっちゃうから、私が掃除の技術を磨くヒマなんてなかったんじゃない!」 ではなく、 「今までおばあちゃんが隅々まできれいにしてた苦労が分からなかったよ。おばあちゃんが合格点くれるようになるまで、ちゃんと教えてくれないかな」 と、こういう感じで下手に出るわけです。 相手はお年寄りですから、お年寄りってのはなぜか愚痴っぽくなるものらしいですから、宥めるつもりでいた方がいいと思います。 それで上手くあしらえたなら(←言葉が悪くてすみませんが)、あなたの勝ちです。 ちなみに私の場合、父が正に腹立たしい対象なのですが… 私の父は昔気質というのか、自分の気持ちを表すのがヘタなのだと母は言いますが、子どもの私から言わせると「父の威厳」と「親の権力をかさにきた横暴」を履き違えてるようにしか思えない人です。 子どもの意見は全く聞かず、子どもは親の言う通りにしていればそれでいいんだという態度でした。 高校生の門限は5時、用事のある時でも6時までと言いながらバイトして自分の小遣いを稼げ、稼いだら家に半分は入れろとワケの分からないことを言ったり、子どもの成績も知らず進学校以外の進学は許さんとか(超ムリw)、子どもに過剰な期待と苦労を求め(というか強要)、おまけに手も足も出る人で、反抗なんてしようものなら本人はおろか「こんな親不孝ものに育てたのは母であるお前の責任だ」と母にまで被害が及ぶ有様でした。 もちろん自分の思い通りにならない時も母は怒鳴られ殴られ、普段から家族全員父親の顔色を伺いながら生活してました。 唯一の救いは、酒を飲むと妙に明るくなりよく話しよく笑い、そして毎日必ず晩酌する人だったので、夜だけはほっとできたものです。 そんな父も年をとり、隠居の身。 しかし今は成人してやっと父の横暴から解放されたと思っていた私たち子供に、「親の老後の面倒は子どもが見るのは当然の義務」という態度です。 しかも養ってもらいながら尚一家の長は自分という振る舞い。 言葉一つとっても、威圧的で命令的。話をするのもイヤだし、母以外の家族はみんな父を嫌い避けています。 私たち子供はみんな口を揃えて、経済的なこと以外父親らしいことをしてもらったことがないと言っています。 父本人はそんな家族を「冷たい思いやりのない子どもたち」と思ってるようで、かつて唯一の飲み仲間だったおじさんの墓参りに行くと「なぁ○○、早く迎えに来てくれよ。俺は家族にも見捨てられてこの世に楽しみなんて何もねぇんだよ」なんて涙ぐんでいたと言います。(母談) なるほど「親の面倒を見るのは子の義務」、字にして見れば社会の常識と言うべきでしょう。 しかし父親らしいことなど何一つしてもらった覚えがないのに、むしろ虐げられていたと言っても過言ではない家庭環境だったのに、 それでも人は「それでも父親なんだから感謝しないと」なんて言います。 私からいわせると、腹立たしいうちはまだ家族として愛情が残っている証拠です。 ほんとにこんな人家族とは思いたくないという境地になると、腹立たしいのを通り越して単に迷惑な人としか思わなくなりますし、冷ややかな気持ちで「こんな人は周りに嫌われるんだろうなぁ、気の毒な人だなぁ(でも手を差し伸べたりはしない)」と思うようになります。 自分のはなしが長くなってすみませんでしたが、腹立たしいのは愛情の裏返しとも取れると思います。 お祖母様に愛情ある教育をして欲しかった気持ちの裏返しなのではないかと。そういう意味で、最初に「当然の感情」「もしかしたら愛情の裏返しでは」と書きました。 大人になった今ですし、さして仲違いしてるわけでもないようですし、お祖母様を尊重しつつ改めてあなたから歩み寄ってみてはどうでしょうか。
その他の回答 (2)
そうですね 可愛いと思って子育てを背負ってくれた祖母 任せる事が出来ない完全主義だからこそ 体が思うように動かない事をとうして 自信がなくなったから貴方のあら捜しで 優位に立ちたいのです でもなぁんにもしないと認知症に注意です 貴方が十分社会性を身につけたから 完璧 という妄想に囚われている祖母が 自己満足 勝気 に見えてきた訳です 老いたるは子に「孫」に従え 格言 のようにかわいい祖母になれるか? いつまでも強気でいたい祖母が体に負けて 悔しいのです なんか立場逆になったけどこれから 貴方は自立していくのです 祖母は嬉しくもあり 寂しくもあり です
お礼
>体が思うように動かない事をとうして 自信がなくなったから貴方のあら捜しで 優位に立ちたいのです >いつまでも強気でいたい祖母が体に負けて 悔しいのです そうですね。体が思い通りに動かない苛立たしさもあると思います。 しかし元気だった頃の方が「完璧主義」も強く、父も「これでも昔よりはマシになった」と言います。 >でもなぁんにもしないと認知症に注意です 程々にやってくれるといいのですが・・「死ぬかと思った」と言いながら、未だに炎天下の下草取りをしたりします(私たちもそれぞれ仕事を持っており、そこまで付き合いきれないといった現状です) できるだけ協力的でありつつ、しかし親友からも「依存されないようにね」と言われますし、自分でもそう思いますので、適度な距離も保ちつつ、で行きたいと思います。ありがとうございました。
- misa-on28
- ベストアンサー率35% (227/640)
まず結石はとても痛い病気です。 大の男が脂汗ながして身をよじって苦しむくらい痛い病気ですから「きついー」という泣き言くらいならよほど我慢強いといえます。 ほんとにわざと苦しんでる振りをしてるんじゃないかと思うほど苦しむ病気ですからそれについては少し優しくしてあげた方がいいかと思います。 それはさておき、、 あんなにしっかりしてた、親代わりとして育ててくれた大きな恩のあるおばあさまに対する「怒り」のような感情が出てしまうことについて自分でも混乱されているのですね。 おそらくそれは質問者様が「老い」という非情なものに直面されたことによるものだと思います。 人間は、他者の老いや苦しみを見て同情し、また我が身を思うという優れた精神作用を持っています。 何でも自分で完璧にこなしていたおばあさまが近頃見せるようになった弱音。融通の利かないまでの「完璧」主義。 この中に貴女は彼女の「老い」を見てしまったんでしょうね。 そしてそれは貴女自身にもこうして回答を書いている私にも等しく訪れるものであることをしっているから、それを目の当たりにさせているおばあさまに対する「怒り」(あるいは戸惑い)に似た感情になって出ているのかも知れません。 人間は年を取り、衰え、そして死んでいく、当たり前の知識ではありますが、だれだってそんなことを実感したくはないですよね。 私も母に余命宣告されたときには悲しみと同時にどうしようもない「怒り」を感じたようにおもいます。 おそらく人間が将来訪れる自分の老いや死を自覚するときには悲しみとともに怒りを感じるのではないでしょうか。 おそらく貴女のその怒りはおばあさまその人に対するものであるよりもむしろ人間存在のはかなさそのものに向かっているものかも知れません。 人間でいるということもなかなか辛いもんです。 でも人間を50年近くやってきて、実の親、義理の親と一人ずつ失ってきたものからいわせていただければ、 若い人はやっぱり自分より上の世代の「老い」や「哀しみ」をしっかり見届けてあげてほしい。 幸か不幸か年寄りと関わり薄く40や50まで過ごせる運のいい人もいますが、そういった人たちは多くが自らの老いに対して主体的に考える能力が低く(決して人間的に劣るというわけでないですが)自分が高齢になったときにその事実を認めることすら大変難しいのです。 貴女がおばあさまを見て「こんな自分のやっかいな感情」と自分で思うような気持ちを持つこと自体は人間としてある意味当然なことなのです。決して貴女が不人情なわけでもないです。 辛いことですがやっぱりおばあさまの「老い」た姿をしっかり見届けてさし上げること。そして貴女の感情自体は認めつおばあさまのことは自分の人生の先輩の姿として認めること。そうやって受け止めていくしか無いことなのだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >おそらくそれは質問者様が「老い」という非情なものに直面されたことによるものだと思います。 確かに、今まで異常なほど元気で気を張っていた祖母の、気を張りきれなくなってきている弱い姿に老いを感じ、悲しむと同時に、現実を認めたくないという腹立たしさがあるのかもしれません。 例えば、やったやらないといった口論になると必ず、祖母は頭が真っ白になり(これは昔からですが)途中からは、もう何の話をしているのかわからないように色々と言い散らします。私はこのような時、怒りと同時になにか物悲しさを感じるのですが、きっとこういうのが祖母の「老い」を感じる瞬間なのかな、とmasa-on28さんの回答を読ませていただいて思いました。 それでも、やはり昔の人特有の「ど根性」といいますか意志の強さは、私も含めた現代人にはなかなか見られるものではなく、ただ尊敬の一言です。 腹立たしくなる自分の感情に嫌悪しても、感情は無意識に湧いてきてしまいますので、いっそのことそれはそれと認め、祖母の事も認める。そのように捉えたいと思います。ありがとうございました。
お礼
>お祖母様は家の運営は完璧でも教育は上手にできなかったという事なのでしょう この部分を読ませていただいて「ガーーン!!」と来ました。まさにこれだと思いました。 私も、60歳過ぎから孫2人を育ててくれた祖母に対し、そんな事を思うのは罰あたりだ!という強い気持ちから、この感情を見て見ぬふりしていたんだと思います。 「体験させてもらう権利」について聞いた事がありますが、きっとこれが、うちの家族にはすっぽり抜けていたのですね。 私は、自分で言うのも何ですが割と器用で、家事などの経験に乏しくても、見よう見まねでまだやれていると思います。しかし父や弟は、不器用で口下手でもあるので、祖母に何か言われるとプイっとそっぽを向いてしまいます。 頼んだ家事についても祖母は、人に頼んだ割に細かく見て口出ししますので、私は何度か「婆ちゃんは、頼まれた仕事を90点分やっても、そこを褒めずに残りの10点を責めるよね」というようなことを言ったことがありますが、どこまで本人に響いているのか・・という感じです。 とことん祖母の要求に付き合ってみようとも思い、言われる事をとにかく消化し、祖母が「もういいよ」と納得するまでやってみよう、と試みた事もありましたが・・結局、アレが終わればソレ、ソレが終わればコレ、とキリがなく、断念しました。 それでもおっしゃる通り、どうでもいい相手であれば腹立たしくもならないわけで、もどかしいのはどうでもよくない証拠で、これも愛情なのかなと思います(腹が立っている最中、認めたくない自分もいますが・・) onikaachanさんも、大変な環境で過ごされたのですね。 きっと、家族がイヤな思いをしていても親は、自分が正しいと思えば「ちゃんとやっている」という解釈になるわけで。。 自分の行いに対する、周囲の冷たい反応に気付いても「なんで自分がこんな目に・・」となってしまうんですよね。 周りにしてみれば「被害妄想よ!悪者はこっちなわけ?!」と言いたくなりますが(うちでも、父はそのような傾向にあります) これから、又腹の立つことがあったら「これも愛情あればこそなんだ」と自分に言い聞かせるようにします。そうすれば、行動も違ったものになってくると思うので。 かなりスッキリしました。ありがとうございました!