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同情されるのは悔しいけど、全く同情されないのは寂しい
どうすれば心の平安が得られますか?
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自分の力で運命を切り拓く
長文ですが、少しお付き合い下さい。 自分にとって何が幸せかが解かっていなければ、幸せにはなれません。そして、自分の課題は何かを考えることです。 自分の努力や工夫で変えられないものは、「課題」とはなりません。例えば、自分の顔が『木村拓哉のような顔だったらなぁ』とは僕も思いますが、変えられないので課題とはなり得ません(笑)。また過去の出来事も変えられないので課題ではありません。諦めるべきことは諦めるべきで、自分の力で変えられないことを課題にしてはいけません。 悩ましいのは、半分はそう(=自分の力で変えられる)だが半分はそうではない(=自分の力では変えられない)場合です。例えば、他人の自分に対する評価を変えること、人を動かすこと、性格を変えること等は中途半端な例でしょう。自分の言動次第で他人の評価が変わったり、人を動かすことはありますが、完全に思い通りに出来るとは限りません。また、生まれつきの気質は変えられませんが習慣的性格は時間をかければ変えられます。 「心の平安」とは「自己肯定感」だと思います。自分は正しい、自分は重要な存在であると思えることが大切です。そのためには効果的な働きかけの方法を知っていなければなりません。自分の努力や工夫が何の効果もなく、何をも意味しないと感じるとき、人生はつまらないものになります。自分の努力や工夫次第で世の中が変わる感じがするのなら、「やりがい」「生きがい」が生まれるでしょう。 自分で自分の心の内を覗くのは、誰にとっても楽しくないものです。真剣に反省している人で笑っている人を見たことがありません。もっと何か自分以外のものに没頭している方が楽しいのです。今の質問者様にとっては、自分以外の“何か”を対象にすることが必要です。そして、効果的な働きかけの方法を知ることが必要です。まあ、自分自身を対象化することも可能ですけどね。 いま「自己嫌悪」しているとして、自己嫌悪している人が「自己肯定感」を持つためには、どうすればいいでしょう。一般に回答者は『自己嫌悪する必要はないよ。自己嫌悪しなくてもこんな考え方がありますよ。』と回答します。でも、それは『あなたの感じ方は間違っていますよ』という事でもあるのです。また、質問者も自分で自分に『自己嫌悪するような感じ方は間違っている』と言い聞かせます。 これは矛盾、二律背反、葛藤です。堂々巡りの悪循環です。自分で自分の感じ方を否定しておいて、さあ自己肯定感を持て!と要求している様なものです。自己嫌悪する自分を否定することはありません。自己嫌悪しちゃったものは仕方がないのです。自分の感じ方を信じずに、何を信じて生きていけばよいと言うのでしょう。 それではいつまでたっても自己嫌悪から抜け出せないんじゃないの?という疑問が湧きます。僕はそれでも仕方がないと考えます。自己嫌悪を持ったまま、悩みを抱えたまま、自分がすべきことをするのです。心の準備ができてから、などと考えずに、悩みを抱えたまま動き始めればよいのです。 私たちの前には、「これから自分がどう考えるか、どう行動するか」しかないのです。相手が自分を馬鹿にしたからと言って、実際の自分の価値が下がる訳ではありません。それは、相手が自分を馬鹿にしたがっているだけであって、相手の劣等感や自己重要感に対する欲求不満の表れです。自分の問題ではなく、相手の問題なのです。相手の問題まで自分の問題のように考える必要はありません。『ひとが自分のことをこう思ってくれたらなぁ』と願うことはあったとしても、自分の課題ではありません。「自分がどう考えるか、どう行動するか」だけが、自分の前にある課題なのです。