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文豪を名前で呼ぶか、名字で呼ぶかはどうやって決まるのですか?

文豪っていますよね? 森鴎外とか夏目漱石とか芥川龍之介とか三島由紀夫とか、とか... 彼ら文豪ってフルネームじゃなくて名字か名前で呼ばれるとき、必ず名字か名前どちらか一方で呼ばれますよね。 例えば鴎外とか漱石とか芥川とか三島等々。 この名字で呼ぶか名前で呼ぶかの基準ってどこにあるんでしょうか? 個人的には語感が珍しい方か、かっこいい方が選ばれているのだろうと思うのですが... もしかして、本人がどちらかで呼ばれることを好んだとか、何か謂れがあったりするんでしょうか? 回答は主観的な意見でも結構です。

みんなの回答

  • pastorale
  • ベストアンサー率37% (62/165)
回答No.2

同じく主観ですw 鴎外も漱石も、それぞれペンネームというか、雅号ですね。 本名は林太郎、金之助でしたっけ。 つまり「小説家としての私は、この名前で通します」と宣言したようなもので、小説家としての彼らはその名前で呼ぶのが礼儀なんでしょう。 (下の)本名というものは親以外の人が気安く呼んではいけない、という概念があったようです。 オフィシャルには雅号があれば本名に優先し、なければ名前より姓を優先する、のだと思います。 または、どちらの方が珍しくて本人を特定しやすいか、ではないかと思います。 (松本清張も本名が「きよはる」で、「せいちょう」と読むのをペンネームにしています。音読みを雅号みたいにしてる人も多いです) 「松本作品」では判らないけど、「清張作品」ならすぐ特定できますね。

mp5125a
質問者

お礼

ご回答いただきありがとうございます。 >オフィシャルには雅号があれば本名に優先し、なければ名前より姓を優先する、のだと思います。 なるほど。雅号というのがあるのですか。かっこいいですね、雅号。もっとみんなつかえ~~。 私の主観ですが、作家は名字と名前があったら、名前で呼んだらいいんじゃないかなと。名前の方が親しみが湧きますし...心の中でどちらで呼んでいるか、で作品に対する理解も変わってくるような気もします。「夏目」と「漱石」では「漱石」と読んだ方が感情移入しやすい気がする。浪漫もあるよ。 今からかっこいい雅号でも考えておきますかw日の目を見るかどうかは別としてww

  • mat983
  • ベストアンサー率39% (10265/25670)
回答No.1

主観です。 漱石、鴎外で名前が通っているのです。 それだけ独特の名前で、めったにありません。 ただ、龍之介と名の付く有名人はいないので通用しますが、 由紀夫では誰の事か分りません。

mp5125a
質問者

お礼

ご回答いただきありがとうございます。 やはり、独自性がポイントになるんですかね。 となると、佐藤春夫とかは不利っぽい感じですかね。 この地味さは如何ともしがたい。

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