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秋葉原の献花台の食べ物を持っていくのは悪いこと?

秋葉原の例の大事件のあとに置かれた大きな献花台に供えられたジュースやお菓子、たばこなどを深夜に持ち去る人がいて、その人たち(多くはホームレス)を追いかけて、とったものを献花台に戻させる…という番組を今朝テレビでやってました。 見ていると、とっていく人はみな、自分1人が食べる程度の量をコッソリと持って行くのですが、それを番組のレポーターが見つけて追いかけ、強い口調で「これは、あなたのものですか?」「亡くなった人たちの気持ちを考えているんですか?」「ちゃんと自分の手で元の場所に戻して下さい!」などと責め立てていました。 ところで僕(30代男性です)は、子供の頃から親や親戚に「仏壇のお供えものというのは、置いてからしばらくの間は仏さんのものだけど、時間がたてば人間が食べてあげたほうが仏さんは喜ぶんだよ。」と言われてきましたし、お墓参りに行ったときも「お墓に食べ物をお供えして帰ったあと、夜にそれを持っていく浮浪者の人がいるけど、それはそれでいいんだよ。鳥が食べ散らかしたり虫がわいたりするよりもずっとありがたいことなんだよ。仏さんも、お腹のすいた人に食べ物をあげられたなら、そのほうが嬉しいんだよ。」と教えられました。 そういうふうに教えられてきた僕から見ると、今朝テレビの報道はかなり異常で衝撃的でした。 そこでお聞きしたいのですが、皆さんはどうお考えになられますか? 僕や僕の親の考え方は世間から見ればちょっと異常な考えなのでしょうか? 献花台に食べ物を戻させるレポーターの行為が、普通の人から見れば「正義」なのでしょうか?

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  • russian26
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回答No.7

私は、報道も見ていましたが悪いことだとは思いませんでした。 献花台が、いたずらで壊されたり汚されるのなら別ですが。 宗教論を出すつもりはありませんが、古くからある日本人の心 というものが、間違った報道によってまた歪められてしまいました。 お供えは、それで心を伝えるものあらわすものであり、お供えをした後は きちんと心とともに頂くものです。 食べ物にしろ献花にしろ粗末にしては、それこそ罰があたります。 痛みや悲しみを分かち合い、ともに生きる生かされるというものです。 法律をもとに犯罪を指摘する弁護士も映し出されましたが、あくまで法律論から述べたもので、あまり意味はありません。(あおることに悪意は感じますが。) 今回のケースでは、管理者である区が献花台をきちんと管理し、痛んで 食べられないようなものは、区分けするかやむを得ず廃棄処分等を行い 献花台が常に整えられきれいな状態にすること。これが管理するという ことで所有権を主張するのみにおわるものではありません。 また、ここを訪れる方や土地に関係のある方(秋葉原で商売をされている方や生活されている方です)は、自分一人がいただけるだけを心とともに持ち帰えるのが正しいのです。 心をそえてお供え物を持ち寄り、仏様が頂いた後ありがたく頂くのです。 食べ物であれば、昼(朝)にお供えした物であれば夕方には傷んでくるものです。傷んだものをいつまでも献花台に置いたままにすることは、本当はやってはいけない罰当たりなことなのです。 こうした心のある行いで、区が管理しなくとも献花台はきれいにされるものなのです。 報道で紹介されていた方々は、まさに生かされたということになるわけです。報道で紹介されていた中年男性の方が最初は語気を荒げて怖そうに報道されていましたが、その後心のこもった声で「俺も生きていかなければいけない、申し訳ないと思っている」と話していましたが、心なく行ったのではなく、その方の心が生かされたんだなと感じました。 ご本人は、記者に責められ申し訳ないと言っていましたが、本来ならば一緒に悲しみを頂いてくれてありがとう、あなたの一食がそれで助かったのならありがたいことです。 と言うべきなのです。 いまの報道の問題点は、問題のすべてを1個人の考え方、責任に置き換えそれをすり換え全体につながっていく心を削ごうとします。 集団で動かれると困る方々がいるからです。 このため今日では、集団の心につながるような、個人の行動が評価されにくくなってきています。

Penguin28
質問者

お礼

わかりやすいご説明、ありがとうございます。 バラエティ番組などで食べ物を粗末に扱うシーンを毎日のように流すテレビ局が、彼らのことを非難するのは見ていてとてもヘンテコだと思いましたし、コメンテイターの発言の中にも貧しい人たちに対するゾッとするような冷たさを感じるものもありました。 「仏さんのものを盗んでまでして食べて美味しいんでしょうかねえ」とコメントしておられるかたがおられましたが、僕には「まずくても、後ろめたくても食べなきゃならない人たちに対する思いやりのない発言」にしか聞こえませんでした。 あと、最後の3行のお言葉は、大変重いものだと感じました。

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  • uyttgbn
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回答No.13

お供え物を、誰かに持っていかれることが、嫌な人間は、お供え物などせずに、現場で手を合わせるだけで、十分だと思います。故人の冥福を祈ることが主なわけで、お供え物をするかしないかは、些細なことです。 お供え物をし、故人の冥福を祈った段階で、お供え物のもつ、精神的な部分は、故人に伝わったと思いますし、物質として抜け殻のように残ったお供え物は、カラスに食われようが、犬に食われようが、人に食われようが、まったく問題がないと思います。 物を惜しむ人間は、お供え物を購入する際、身銭を切ることに、少なからず抵抗を感じているんじゃないかと、邪推してしまうほどでした。

Penguin28
質問者

お礼

ほんとうにそうですね。 大切なのは「心」であって「物質」ではないんですよね。 僕自身の人生を振り返ってみても反省すべきことがたくさんあるような気がしてきました。 大切なことを教えていただき、ありがとうございます。

  • touan
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回答No.12

まずはじめに…すばらしい質問に感謝申し上げます。 あなたの考え方に否定するところは一切ないと思います。 私は、「不法行為はあくまでも不法行為。してはならないし、した者は厳格に処罰されるべき。」という考えの持ち主です。 でも、今回の持ち去りは、不法行為になるのでしょうか?窃盗は、所有者の所有物をそっと盗むことをいうと思うのですが(ANo.3さんがおっしゃる拾得物の場合も含めて)、今回持ち去られた物の所有者は誰でしょう。献花台にお供えをした人ですか?お墓にお供えをし、家に帰った後、所有権はまだ私にあると、あなたはお考えになりますか。ならないでしょう。私も、そんな感性を有しておりません。では、亡くなられた方々が所有者ですか?だとすれば、自然人ではありませんよね。…どうしても疑義が残るのです。 番組を見ていない私、あなたの記述からすると、レポーターは今でも正義を貫いたとお考えになっているように思われます。一歩進めて、「持ち去るような人が少しでも少なくなるような社会にするには、どうしたら良いだろう。」と考えていただければ嬉しいのですが。マスコミに携わる一員の義務として。最低限、「持ち去るようなことをしなくて済む自分は恵まれている。」と感じてほしいですね。そして、マスコミには、ご飯がいっそう美味しくなるような番組作りをしていただきたいものですね。 今、思っています。犠牲者でも、その家族でも、犯人でも、レポーターでも、レポーターに追いかけられる人でも、悪意で持ち去った人でもない…私がそんな存在でおられるのは、ご先祖様のお蔭だと。

Penguin28
質問者

お礼

「持ち去るような人が少しでも少なくなるような社会にするには、どうしたら良いだろう。」と考えていただければ… というお考え、同感です。 レポーターの方(20代ぐらいの男性)も悪気があっての行動ではなく、本人はそれが正義だと今も信じておられるのでしょうね。 その情熱をもっと根本的な問題に向けてくれる日がくればいいですね。

回答No.11

献花台に手を合わせ、その上で必要最低限の物を持っていくのは問題無いと思われますが、単純に欲しいから(お金を浮かせたいから)といった理由で手も合わせず持っていく、注意されたら逃げる・形だけ手を合わせる、そんな人は泥棒と同等と思います。 自分も小さい頃、お墓参りの時、「食べ物なんかのお供えは放置していると野良犬やカラスに食い荒らされ、また餌場として認識する様になるので人を襲う様になったりと悪影響が出るから持ち帰る様に。」と教わりました。 本当の意味で飢えているのであれば、持ち帰っても良いと思われますが、供物として捧げられた物を貰う感謝の気持ちを表さないから不愉快になると思います。 そういった道徳面を前に出した抗議であれば、TVで取り上げられた行為は正義ですが、単純に「盗って行った」との表現はふさわしくないと思います。 TVの報道にも問題がありますが、それ以前の道徳といった部分に 両者とも問題があるのではないでしょうか?

Penguin28
質問者

お礼

ANo.9のお礼のところでも書かせていただきましたが、持ち去る人の多くは本当に食べるものに困っておられるかたのようですが、一部にはおっしゃるように節度の無い持ち去り方をする人もおられました。 気になるのはテレビの映し方です。 節度の無い持ち帰り方をする人を映すと、それ以外の本当に食べるものに困って持ち帰る人まで同じように街中の人から憎まれてしまうんじゃないかと…。 だとしたら貧乏な人はみんな街から出て行かなければならなくなってしまって…そうなったらかわいそうだなと思ってしまうんです。

noname#29999
noname#29999
回答No.10

その場所を通る何パーセントの人がそのお供え物に手を出すでしょう? 大概の日本人は献花台の食べ物を盗むほど飢えてはいません。 そのお供え物に手を出す理由を考えたら、たとえ見ても見ない振りをするべきだと思います。 宗教の事は詳しくありませんが「慈悲」は仏教の基本精神ではないのでしょうか? たまりにたまったお供え物が最後にどこへ行くのか分かりませんが、それを持って行く人は「欲しい」のだと思います。 欲しければあげれば良いじゃありませんか?誰も損をするわけではありませんし。 仏様も献花台の陰の方々も決して責めはしないと思います。 銀の燭台を盗んだジャン・バルジャンにもうひとつの燭台をも持たせた神父のようになれとは言いませんが、普通の家から盗む缶ジュースと献花台から盗むそれは意味が違うと感じます。 困っている人が盗ったたったひとつのパンを赦す寛容の精神が今の日本人には無いと感じます。

Penguin28
質問者

お礼

慈悲の心…自分の周りにはそういう心を持った人もたくさんおられるように感じますが、テレビを見ていると、あまりにも慈悲の無い発言が多いですね。 献花台に食べ物を供えた側の人たちの意見は映像にはありませんでしたが、きっと「お腹をすかした人に食べてもらえたならそれでいいですよ」と多くの人が言ってくださるような気が僕はします。

  • lcyfer
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回答No.9

つまらないことを云えば、賽銭泥棒、香典泥棒と同じ、泥棒は泥棒です。 単純に、泥棒を見て不愉快に感じない感覚の方がどうかしています。 おおっぴらに泥棒してもいいよ、なんて、子どもも見てるかもしれないTVじゃ云っちゃいけないでしょう。 お墓のお供えを夜に持ち去る人がいるって話はあくまでも“ウラ話”でしょ。 (“浮浪者”というのはそれだけで差別的な言葉なので僕は使いません) 表立って堂々と持ち去る連中は泥棒です。 簡単に盗める状態に置かれてる物でも手を付けないのが“美徳”というものです。 モンスターペアレントや産地偽装など、美徳が崩壊してる昨今だからこそ、泥棒は泥棒と云うべきだと思います。 ましてや、心が“入ってる”物を、袋いっぱいに詰めて平気で持ち去れるような人は、人として終わっています。 “人でなし”です。 だからこそ、あの持ち去り行為は不愉快極まりないんです。 鈍感な感覚が不愉快だし、人であることを捨ててることが不愉快。 祭壇にお供えしてあるお茶とコンビニに並んでるお茶が一緒だと思うヤツは、自分の命が軽いから他人の命も軽いと思って人を刺してまわった犯人と同じだと僕は思います。 ただ、人でなしと呼ばれる覚悟がある人が、影に隠れてお供え物にそっと手を付けるのなら、僕も見て見ぬふりをするかも知れません。 でも、あの映像に映ってた人達は、みんながみんなホームレスや生活に困窮し、明日の食べ物にも困ってるような人には見えませんでしたよ。 ホームレスぶってるというか、人並みに暮らしてそうな人が人でなしなことをしてる姿に僕は腹が立ちました。

Penguin28
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 僕が最初にテレビで見たときは、食べ物を持っていく人の多くはおとなしそうな人で、持ち去る量もわずかでした。 ところがその日の午後にまた別の映像が流れたのですが、その映像に登場する人たちの多くは暴言を吐いたり、たくさんの量を持っていったりしていました。 あの映像を最初に見ていたなら僕も感じ方は違っていたかもしれません。 もし、そういう度の過ぎた持ち去り方をする人たちの映像ばかりがテレビで流され、それなりに節度を守ってそっと持ち帰る人たちまでが非難の対象にされることになったとしたら、それはとても悲しことだと思いました。

回答No.8

まあ逆に見逃したら見逃したで視聴者からクレームがくるのかもしれないですが…難しいですね。私の感覚としては、少なくとも普通の人にとってはリポーターの行為は正義でないと思いますが。 正義を掲げた場合にはクレームは受けずにすみます(法的に正しいのでクレームのつけようが無い)。一方でそれに反した場合にはクレームを受ける危険があります。そういう現実的判断もありそうですが。 でもまあ、こうやって話題になってるだけでテレビ局的には万々歳じゃないでしょうか。

Penguin28
質問者

お礼

悲しいけど、おっしゃるとおりかもしれませんね。 だとしたらテレビって心の無い、つまらないものですね。

  • tewpi
  • ベストアンサー率36% (255/707)
回答No.6

さきほど類似の質問があったので、そこへの回答コピペで失礼します。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4173065.html (私は回答No5) 私もあなたのお考えに賛同します。 だいたい私はよくあるマスコミの 「マナー違反者に突撃取材!」 みたいな企画にどうにも違和感というか、納得のいかないものを感じます。 たとえば今回の件で、もしかしたら本当に食うものも食えずに、やむにやまれぬ気持ちで、被害者の方に心から手を合わせてお供え物を盗ろうとした人間がいないと言い切っていいのでしょうか? そういう事情も聞かず、一方的に正義ぶって断罪しようとするマスコミ。 マスコミの取材時の非常識さや傍若無人ぶりを伝え聞くこちらにすると「そんな偉そうなこと、あんたら言えるの?」 って言いたくなってしまいます。

Penguin28
質問者

お礼

ご意見ありがとうざざいます。 ただいたずらに持ち帰る人もいるようですが、やむにやまれぬ気持ちで持ち帰る人のほうが多いように見えました。 そういう本当に困っている人たちが、こういう報道を見た子供たち(高校生や大学生も含めて)から軽蔑されたり憎まれたりすることが僕はいちばん悲しく恐ろしいことのように思いました。

  • heinell
  • ベストアンサー率35% (420/1172)
回答No.5

同じとは言えないのではないかという感は強いですね 2週間程前、ほとんど祖父と言える伯父が亡くなりました。96歳。大往生とも言える状態でした。 人の勤めを全うしたと言える伯父。 そのお墓に供えられた物であれば、質問者さんのような感想を抱くかもしれません。 あの事件の時、やや離れた場所ですが私はその秋葉原地域には居ました。 もしかしたらちょっとした気まぐれで事件に巻き込まれていた危険性も0ではないという状態です。 それだけにもし自分が被害者だったら納得できるだろうか?とか あまりにも無念な死を遂げた皆さんに、せめてこの食べ物を送ることでその無念を和らげてもらいたいという気持ちなどがあります。 解釈というか個人の感想ではありますが、今回の事件に対するお供え物に関しては、持っていくのは遠慮して欲しいと思いました。

Penguin28
質問者

お礼

事件のときに近くに居られたのですか…。 そういう経験をされた方なら当然僕のようにテレビで事件を知っただけの人間とは全く違った視点からこの事件を見ることや、考えることができるのでしょうね。 貴重なご意見ありがとうございます。

  • ha_na_ge
  • ベストアンサー率34% (132/381)
回答No.4

わたしもあなたと同じように教わりました。 お供え物は仏さんが食べ終えたら食べてもいいと。 正直、神仏に関しては信じていないのですが おそらく、そうしたほうが食べ物を粗末にしなくて済む という現実的な意味合いを含んでいるのではないでしょうか。 献花台に供えられた食べ物もそのままにしておくと腐ります。 もったいないです。 その食べ物でホームレスの方の一日が助かる。 しかし、報道する側も人間ですから、番組制作者が我々と同じように 教わって大人になってきたかどうかは分かりません。 「窃盗だ、犯罪だ」という考え方なのかもしれません。 だからといって、ホームレスの人が必要な分だけ持っていこうとする 映像を流すのはあまりに情の無い取材だと感じます。 普通に生活できる人間がイタズラで持っていくのを注意する、 そこだけを放送するべきかと。 目をつぶるべきところを流す、番組製作者側も問題の本質が見えてないように思います。

Penguin28
質問者

お礼

「イタズラで持っていきました」と謝っていた若い男性も1人いましたが、彼以外は皆「お腹が減ってたまらずに…」と言ってました。 「今回だけはなんとか見逃してもらえませんか」と頼む人もいましたが、頑として許さずに責め続けるレポーターに、僕も「あまりにも情の無い取材だなあ」と感じました。

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2313/7949)
回答No.3

お地蔵さんのお供え物は、誰かが持っていくからお地蔵さんが食べたということで納得し新しいお供え物を置く、公共の福祉の原点です。 献花台のお供え物を片付けるのは警察の仕事で、民間人が片付けを行うと厳密には拾得物窃盗罪にあたるため犯罪です。税金が使われ、おまけに廃棄物にしかなりません。 私は、交通事故現場に献花する人を軽蔑します。花を添えるのはその人の良心ですが、本人が片付ける事はまずないでしょう。 枯れていく花のみすぼらしさは故人の心を祈ってないし、その花のある風景の縁起の悪さ、それを片付ける人がいることを全く考えないエゴの塊です。 自分の玄関に枯れた花が欠かさず供えてあったらどう思いますか? 社会のシステムの中で儀式だけ残って合理性がなくなった最悪の良心です。 同様に「心からご冥福をお祈りします」という言葉も嫌い。冥土は神道のみの思想で、仏教には存在しないし浄土真宗には否定する思想がある。 世界中の誰が死んでも冥福を祈るのは失礼だと思うし、「おはよう」みたいに何も考えていないなら、それは何にも心から祈っていない慣用句になっています。

Penguin28
質問者

お礼

「儀式だけ残って合理性がなくなった最悪の良心」というお言葉、自分自身にも心当たりがありドキッとしました。 昔の儀式って合理性や、人に対する気づかい、秩序の維持なんかをちゃんと考えてできているんですよね。 なのに今ではその本来の目的を、大のオトナでさえ見失っている…もちろん僕も含めて…。 お恥ずかしいです。

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