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世紀末の詩
皆さんこんにちは。 以前「世紀末の詩」という竹野内豊主演の番組がありました。 その番組の中で、とても憤りを感じた物語がありました。 目の不自由な美しい女性、鏡子(遠山景織子)には、外見はさえないが真剣に鏡子を 愛する、一郎(斉藤洋介)という恋人がいた。 愛し合う二人に感動した亘(竹野内豊)は、 理想のカップルだと思う。一郎は鏡子にプロポーズし、彼女はそれを受け入れる。 一郎の勧めで、鏡子は目の手術を受け、見えるようになった。。。 目が見えるようになった鏡子は、一郎がブサイクなことに気づき、とても嫌になり、青年実業家のイケメンに寝返る。という結末です。 たしかに一郎にも下心はあったでしょう。 身の程しらずだったのかもしれません。 しかし、いとも簡単に寝返る美女には憤りを感じます。 その美女はつめたくて酷いと思うのですが、間違えていますか? そのイケメン実業家も事情を知ってるのに酷いと思いませんか?
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スタンダールの「恋愛論」をモチーフに、さまざまな「愛」の形を考察していく かなり実験的なドラマだったと思います。(野島伸司作品だし。) いきなり初回に広末涼子が”幽霊役”だしなぁ・・・・・ >その美女はつめたくて酷いと思うのですが、間違えていますか? その感じ方は間違ってはいません。 この話は「愛」が「見えるもの」によってどう左右されるか、というお話です。 あえて悪役にしたわけですから。 >そのイケメン実業家も事情を知ってるのに酷いと思いませんか? 事情は知らない、という設定のはずです。(鏡子から「ボランティアの人」と聞いていたはず。) また、この医者は看護婦を喰いまくっているということが、看護婦同士の会話から分かります。 憤る亘に百瀬(山崎努)は言います。 「目なんか見えない方が良かったんだ。」と、 「目が見えるようになったことで余計なことも見えるようになった」(純粋な「愛」が壊れた)と、 対して亘は 「好きな人の目が見えるようなる(ように願う)のが悪いことかなのか?」 と百瀬に喰って掛かります。 結果として一郎は鏡子を失い、日常へと戻っていきます。 この話で鏡子を悪者扱いするのは誰でもできることです。 ”見えること(もの)によって”愛の純粋性”が失われていないか?” というのがこの話(回)のテーマだと思います。 ちなみに最終回の"愛の形"については私はコケました。
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- faucon_san
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よくある話ではないでしょうか? ネットで知り合って、意気投合し、会ってみるとがっかりしたとか、仮に好きな人がフリーターで付き合う分にはいいが、結婚となると経済力がある人と・・・みたいなことは良くあると思います。 ちなみにイケメンは実業家ではなく、手術をした医者(袴田)だったと思いますが、設定上、彼は同じ病院のナースと付き合っていたが、鏡子(遠山景織子)に乗り換えたという設定だったので、二股、乗り換えるのにためらわないような人なので、そういう人に誠実さを期待するのもどうかな?と思います。 まあ、お互い相思相愛だと思い、手術費用まで出したのに手術した瞬間逃げられる様はかわいそうだと思いますが、リストラされた瞬間離婚を切り出す妻、自分よりもよりよいステータス(高学歴、高収入等)の男性に乗り換えていく女性も同じようなものかな?と思います。 恋愛負け組みの意見ですが参考になりましたら。
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こんにちはー たしかに、よくある話なのかもしれませんね。 しかし、美女とイケメンの非常なところを良くとらえた、番組だったですね。 ご回答ありがとうございました。
お礼
こんにちはー >事情は知らない、という設定のはずです。(鏡子から「ボランティアの人」と聞いていたはず。) あ、そうでしたか。どうもイケメンには憎悪に近い偏見がありまして、それとイケメンは青年実業家ではなくて医者でしたね。 しかしこの物語は我々ブサイクにとっては、怒りというより切ない話でした。 ご回答ありがとうございました。