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綺麗な日本語に添削していただけないでしょうか
私は日本語を勉強中の中国人です。中国では、夏になると白蘭花という花を天然香水として、服に飾る習慣があります。道端でおばあちゃんが白蘭花を売っている光景を見て次のような詩を作ってみました。綺麗な日本語に添削していただけないでしょうか。詩の後ろに問題点も書かせていただきました。 白蘭花を買う人が集中線を描き来る来る。 白蘭花を買った人は胸に飾り、 一筋のかおりを握り、酔う。 白蘭花を買った人は放射線を描き行く行く。 一筋のかおりも放射線を描き、 都会へ流されてゆく。 1.「来る来る」と「行く行く」の動詞の重ね方で人が絶え間なく来ると絶え間なく離れる姿を表現したいのですが、伝わったのでしょうか。 2.「酔う」と「酔った」のニュアンスはどのように違うのでしょうか。 3.「流されてゆく」と「流されていく」の響きはどちらがよいのでしょうか。歌詞によく「てゆく」を見かけるような気がします。 4.「集中線を描く」で線から点へのイメージを作りたい、「放射線を描く」で点から線へのイメージを作りたいと思います。イメージは伝わったのでしょうか。 また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも教えていただければ大変有り難いです。よろしくお願いいたします。
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一般人ですが、思ったままに感想を述べさせて頂きます。 (1)来る来る、行く行く、などのように動詞を2回重ねて使うのは 会話ではよく言いますが、文章では違和感があります。 (4)「集中線」という言葉は初めて見ました。 日本語にそのような言葉はあるのでしょうか・・・あったとしても、一般の人には伝わりにくいかもしれません。 また「放射線」は日本では電磁波(radio isotope)の意味があります。 たぶんどちらの言葉も1mizuumiさんの考えている視覚的な印象は伝わりにくいと思います。 従って、2行目は「あちらこちらから集まって来る」、4行目は「四方八方に去り行く」などの表現の方が自然だとは思います。 (2)個人的な印象では、「酔った」と書くと、お酒に酔ったか、乗り物に酔ったような感じがするので、「酔う」の方がいいと思います。 さらに言うならば、「(一筋の)香りに酔う」とつなげて言う方が印象が良いと思います。 (3)「行く」は会話では「ゆく」と発音する傾向にあるため、最近は「ゆく」と書くことも多くなってきていますが、本当は「いく」の方が正しいような気がします。でも、詩にこだわりのない一般の人が読むならば、どちらでもあまり気にしないと思います。 詩全体のことですが、この詩は学校で習った中国の漢文のような印象ですが、 同じ言葉の繰り返しが多すぎるように感じます。 日本では詩というのはもっと柔和なものなので、 「集中線を描き」のように、見たものをそのまま書くよりも、 もっと和語を多用して、感じたことを他のことに例えて書いたり(婉曲表現)、 自分が香りを嗅いで、思い出した人や風景(連想)を書いたりする方が 自然に伝わるような気がします。 しかし、これは私個人の意見であり他の人は違うかもしれません。 それに、どんな詩を作るかはもちろん作者の自由なので、参考程度にしてください。
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- MockTurtle
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それと‥ ( ^^; > 街角に白蘭花売りの露店が立つと > 香りに誘われて 人々があちこちから集まってくる > 思い思いに花を胸につけ 人々はその芳しさに酔う > やがて人々は 花の香りを胸に来た道を帰ってゆく > 街が白蘭花の香りにつつまれる 「集まってくる」で1mizuumi さんの「集中線」のイメージが、また、「来た道」(同じ道)を帰らせることで逆に「放射線」のイメージが出るのではないかな‥ とも考えました。
- MockTurtle
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ANo.13の補足質問にお答えします ( ^^ > 「街」はずっとstreetのことだと思っていました。 なるほど、そういうことでしたか。実はこのご質問、意味がよく解らないまま答えていました ( ^^;☆バキ\(ーー") 1mizuumi さんがおっしゃっていたのは「大通り商店街」の「がい(街)」だったんですね。私のは「がい」ではなく、「まち(街)」です。まったく、日本語って! (笑) > 日本人ではないので、この言い方は自然で、その言い方は不自然だと > 言う権利がないと思います。 1mizuumi さんは、日本語の勉強のためにこのご質問を投稿されているのですから、そういう遠慮は禁物(きんもつ)だと思います。 日本国憲法 第二三条 [学問の自由] 学問の自由は、これを保障する。 大いに権利はありますよ! ・・・ あ、全然 “軽く聴き流して” ない ( ^^; それはともかく、胸元(むなもと)から漂う香りだから一筋ですか‥ 説明を聞けば「ああ、そうか‥」とは思いますね。 実は最初にこの一節を読んだ時、「これじゃまるで、試験管にアンモニア水を入れて鼻を近付けた時みたいだな‥」と思ったのです。それで添削の際、無慈悲(むじひ)に削ってしまったのですが、匂いの元が至近距離ならば「一筋のかおり」もあり得る・・・ のかなぁ? (笑) まあ私の感覚は、ある意味「慣用句の呪縛(じゅばく)」というヤツかもしれません。そういうしがらみにまったく囚われない外国の方(かた)の方(ほう)が、むしろ柔軟な日本語表現が出来るのは確かですね。もっとも、中にはそれを「日本語の破壊」だと警戒する人もいます ( ^^; > 香りのことを表現したいわけではなく、香りがついている人間のこ > とを表現したかったのです。ということで、「流れされてゆく」と > いう形をとりました。 この詩を読んで私の脳裏に浮かんだ絵は、芳しい季節の花と、その花の香りを愛(め)でる人々。そして、花を胸にした彼等が街中に花の香りを運ぶ様子です(その結果、街全体が白蘭花の芳香(ほうこう)に包まれる)。 つまり私としては、この詩において「人々」は主体的な役割を果たしている(一点景(いちてんけい)としての人ではなく、意志を持って動く人間である)とみなしたわけです。 また、「流されてゆく」ですと、花の香りに酔い痴れた(よいしれた)人々が夢遊病者のように当て所(あてど)なくフラフラと彷徨い(さまよい)歩くようなイメージになっちゃうんですね。ですから、気を確かに持ってもらうために「来た道を帰ってゆく」にしたわけです。
- MockTurtle
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ANo.8の「添削のポイント」で書きそびれたことを追加します ( ^^ (4) 「一筋のかおりを握り、酔う。」 この一節には不自然に感じる点が2つあります。 先ず、「一筋の光」ですが、「一筋」は「一筋の光明が射す」、「密林の中を一筋の大河が流れる」などのように一本線のイメージを表したり、また「一筋の愛を貫く」、「牛丼一筋80年」(昔の吉野屋のテーマソング)などのように一つの物事に一心に取組む様子を表す場合に使われます(後者は前者からの派生でしょう)。 然るに「かおり」は、普通は四方八方に拡散するものです。人が花の香りを感じた場合、その発生源が特定されたとしても、そこから光のように一直線に香りがやって来ているという感覚は抱きません。香りは “線よりも面” で感じるものです。 次に、「かおりを握り」ですが、香りは嗅覚で感じるものなので、「握る」(掴む)という表現には馴染まないと思います。 もっともこれは詩ですから、必ずしも「一般的には‥」に囚われる必要はありません。ただし、詩と言えども基本的には他人に読ませることを前提として書くわけです。したがって特殊な表現をするにしても、その意図が読んだその場でピンと来るものでなければ、単なる奇妙な言い回しとしか受けとめられません。 (5) 「都会へ流されてゆく。」 都会については前回お話した通りですが、「流されて行く」にもかなり疑問を感じました。 先ず、「都会へ流されて行くとすれば、今いるここは一体どこなのだ?」 という点です。この詩を読むと、おばあちゃんが花を売っている場所は街の一角、つまり既に都会の中という感じがします。自宅にいる人が「そろそろ家へ帰ろう」とは言いませんよね。 次に、「流されて行く」ですが、受動態であるこの表現は、日本語としてはかなりマイナー・イメージが付き纏います。例えば次の歌詞がその好例です。 ------------------------- 流されてゆく僕の背中を 誰かが叩いた日に 道標が大きな音をたてて 倒れていった 『とてもちいさなまち』 作詞・作曲 さだまさし ------------------------- つまり、他人が敷いたレールの上をただ漠然と歩むような生き方の描写に使われるのです。「道標(みちしるべ)が大きな音を‥」という部分は、この歌の主人公がそんな消極的な生き方に疑問を感じた瞬間を語っているわけです。 さて、こうお話しすると、今度は‥ 「では、『流れて行く』ならば問題ないのか?」 というご質問が来そうなので、それについても一言 (笑) 「大きな桃がどんぶらこと流れてきました」のように、人間を単に街の風景の一部として捉える分にはそれでもよいと思います。しかし、意志を持って行動する人間を描く場合は「流れる」は不適当だと思います。 それにしても・・・・・ 添削という行為は、ある意味人様の意見にケチをつけるようなものですから、書いていて後ろめたい気分に陥りますね。正直疲れます ( ^^;
お礼
度々ありがとうございます。添削のポイントを興味深く拝見しました。なぜ違和感を覚えておられるのかよくわかりました。大変参考になりました。何度もご親切に指摘していだき誠にありがとうございました。
補足
>人が花の香りを感じた場合、その発生源が特定されたとしても、そこから光のように一直線に香りがやって来ているという感覚は抱きません。香りは “線よりも面” で感じるものです。 日本人ではないので、この言い方は自然で、その言い方は不自然だと言う権利がないと思います。私の感覚だけ述べさせていただきます。 白蘭花は胸ボタンにつける花です。鼻まで一直線です。私にとって、「花の香りに包まれる」という表現は人工香水のような雰囲気で、つまり人間の体だけ包むような感じの香りです。しかし、人間の心に入るじんとくる香りは一筋の香りになると私は思います。この辺は人の感じ方がそれぞれ違うと思うので、自分の感覚を無理やりに他人に押し付けるのはよくないことだと思います。軽く聴き流してください。 >では、『流れて行く』ならば問題ないのか?」というご質問が来そうなので、それについても一言。 そうですね。来ました。「流れていく」は最初思いついたフレーズです。「香りが流れる」はあるからですね。でも、私が「流れていく」を捨てました。理由は、香りのことを表現したいわけではなく、香りがついている人間のことを表現したかったのです。ということで、「流れされてゆく」という形をとりました。
- shigure136
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お礼を頂戴しありがとうございます。 お礼文の中で気になったところがあります。 【私の言いたい意味は伝えたようで嬉しいです。】 ⇒この文章の中の【伝えたようで】は間違いです。 ⇒ここでおっしゃりたかったことは、【私が表現したかったことが、あなたに伝わったようで嬉しいです】ということだと思います。 ⇒【私の言いたい意味は伝わったようで嬉しいです】 ⇒【私の言いたい意味は伝わっているようで嬉しいです】 ⇒【私の言いたかったことが伝わったようで嬉しいです】 ⇒【私の言いたかったことを伝えることが出来たようで嬉しいです】 などなど様々な言い方があります。 「伝えた」は、あなたの方から一方的に、ある事柄を相手に伝えようとして起した行動です。 しかし、ここでは、あなたの起した行動が相手に伝わったのかどうかが問題なのです。 そこで、「伝えた」ではなく、「相手に伝わった」ことが確認できて嬉しかったという表現になります。 ほんのちょっとしたところ、でも、それが難しいのです。
お礼
再びありがとうございます。いろいろな言い方に書き直しえていただき大変助かりました。「お伝えします」という表現と対照して考えれば、少しわかったような気がします。本当にありがとうございました。
- unemerdedechien
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六番です。 >あれ? ここはちょっとわかりません。「街に開いてすぐに散る」とは何でしょうか。なぜ「散る」で文を成されたのでしょうか。人の流れのことを指しておられるのでしょうか。 「う、ここは分かりかねます。『街に開いてすぐに散る』とは。なぜ『散る』で文を結ばれたのでしょう。人の流れに触れておられるのでしょうか。」 人が来たら往くものであれば、花は咲いて必ず散ります。その形に沿うように直したまで。人の往来と花を重ねればおのずと散るという語は出ます。陳腐との誹りはあって当然ですが。 >私は最後の一文はもともとは「都会へ流されてゆき、咲く」と書くつもりでした。 「私としては最後の一節を『都会へ流されてゆき、咲く』と作りたいところでした。」 ここで「都会」、「へ」はともども不可能です。 >目に見えない大きな花(かおりの流れからなっている花を指す)が一輪この都会に咲くを指したかったのですが、わかりにくいと思うので、消してしまいました。 「香りばかりの不可視の大輪が街の道なりに姿を表して咲くさまを云い取りたかったのですがこれでは伝わるはずもないと思って捨てました。」 また、「ようだな」は男性の口調になるでしょうか。女性でも使えるのでしょうか。 うん。女なら「ようだなー」と引っ張る必要がありそう。そもそも、「来る来る」を救うために「来るよ来るよ」という口語表現をとったため、それと合わせるのに使った文尾ではあります。
お礼
再びありがとうございます。お考え方はよくわかりました。また、補足文まで例文を書いていただき心から感謝いたします。繰り返し読みます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- MockTurtle
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> 追加質問が多すぎて申し訳ありません まさに怒涛(どとう)の如くですね。だんだん1mizuumi さんのご質問に答えるのが怖くなって来ました ( ^^; > この文に入力ミスがあるかどうか、確認していただけないでしょう > か。文の区切りをしていただければ助かります。「花の香りを」の > 「を」は理解できません。 「花の香りを胸に」は、「花の香りを胸に抱(いだ)いて」という意味です。「花の香りとともに」でも。よかったんですが、ちょっと詩を気取ってみました。と言っても別に詩的表現でも何でもなく、例えば下記新聞記事にある次のような言い回しと同じです。 「香港のビクトリア公園で、【ろうそくを手に】天安門事件で犠牲になった学生たちを追悼する中国人留学生ら」 民主化の心忘れない 天安門19年、香港で集会 http://www.asahi.com/world/china/news/TKY200806040339.html > >街角に白蘭花売りの露店が立つと > > ここの「立つ」はどういう意味でしょうか。 この場合の立つは、「(店が)開かれる」という意味になります。テントなどを立てるとかそういう意味ではありません。ちなみに、goo辞書では(13)番の用法です。 立つ - goo辞書 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%CE%A9%A4%C4&kind=jn&mode=0&base=1&row=1 > 白蘭花は普通路地でお婆さんが手提げの籠に入れて売っております。 > お婆さんは道端でしゃがんでおり、その前に手提げの籠が置いてあり > ます。これは「露店」と言えるのでしょうか。 それも立派な露店です。これも私の下手クソな説明より、辞書で確認していただいた方が早いでしょう。 露店 - goo辞書 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%CF%AA%C5%B9&kind=jn&mode=0&kwassist=0 ただし、上海の花売り娘(下記URL参照)のように花籠(はなかご)を手に繁華街を歩き回るようなスタイル(つまり移動販売)は露店とは言いません。露店と呼ばれるには、少なくとも一ヶ所に定着する必要があります。 『上海の花売り娘』(1939年) http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND19635/index.html > 「街」は現代風の道というイメージを伝えることができるのでしょ > うか。 「街」は古都でも近代都市でも、また、地方の鄙(ひな)びた町から大都会に至るまで、ありとあらゆる市街地に違和感なく使える便利な言葉です。 > 「無機質なイメージ」とはどういう意味でしょうか。命が感じられ > ない、抽象的な概念のような意味なのでしょうか。 大体そんな感じです。安らぎや温もりが感じられないということで、「殺伐(さつばつ)とした」などとも言います。
お礼
度々ありがとうございます。「花の香りを胸に」、「立つ」、「露天」の意味はよくわかりました。「街」はずっとstreetのことだと思っていました。たくさんの質問に付き合っていただき本当にありがとうございました。
- MockTurtle
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> 「方々」と「あちらこちら」と比べると、どちらが堅苦しいのでしょ > うか。 「方々(ほうぼう)」は漢語ですからね。同じ意味の和語に比べてやや固い感じはあります。「近頃(ちかごろ)」を「昨今(さっこん)」と言った場合などに近い感覚です(「昨今」はもっと固いイメージがありますが)。 「来る来る」についてもう少し‥ ( ^^ ご存知かと思いますが、物が速く回転したり、スプリングコイルのように物が巻いた様子を表す擬態語に「くるくる(と)」というのがあります。これはかなり生活密着度の高い言葉なので、「来る来る」と聞いた場合、意味的には「来る」だと理解しても、人はどうしてもそちらを意識してしまう傾向があります。しかも、「くるくる」はユーモラスな効果を狙って使われることが多い言葉なので、その意味からも叙情的な文章にはマッチし難いものがあります(全てがそうではありませんが)。 例えば、日本人には巻毛の人が少ないので、自然に髪が巻いている人をさして「くるくる頭」などとからかったりする人がいます。また、ちょっと差別用語的になりますが、「あいつは頭がおかしい」という意味で「クルクルパー」などと言う場合もあります (笑) まあそんなこんなで、「来る来る」を不用意に使うと、聴き手(読み手)に要らぬ連想をさせてしまう恐れがあります。 なお、『東京五輪音頭』の「くるくる」ですが、これは赤とんぼが次々に飛来する様子と、とんぼ達が上空をクルクル旋回しているイメージを引っ掛けているのだろうと私は思います。 ちなみにANo.5でこの曲をご紹介した際、作詞者の名前をうっかり書き漏らしてしまいましたので、ここで補足します。宮田隆氏です。
お礼
度々ありがとうございます。「方々」はうっかりと「かたがた」と読み間違えました。「ほうぼう」と読むのですね。「くるくる」の逸話も楽しませていただきました。本当にありがとうございました。
- MockTurtle
- ベストアンサー率26% (93/350)
問題点にばかり目が行ってしまい、添削の方を忘れていました ( ^^; これが綺麗な日本語と言えるかどうかは別として、一応参考にしてください(ちなみに、私は生まれてこの方一度も詩を書いたことはありません)。 街角に白蘭花売りの露店が立つと 香りに誘われて 人々があちこちから集まってくる 思い思いに花を胸につけ 人々はその芳しさに酔う やがて人々は 花の香りを胸に来た道を帰ってゆく 街が白蘭花の香りにつつまれる ● 添削のポイント(もちろんすべて独断&偏見) (1) 「白蘭花」を最初と最後だけに使うことで存在感を強めました。 (2) 集中線、放射線は確かに「線→点 / 点→線」を直感的に感じさせますが、それはこれらの言葉を使わなければ表せない概念ではありません。また前回お話しした通り、花の詩では浮いた感じになるので表現を変えました。 (3) 「集中線」、「放射線」と同様に「都会」という言葉には、自然を感じさせる花とは相容れない無機質なイメージがあります。したがって「都会」は「街」に変えました。 以上、ご参考まで ( ^^
お礼
読み返しているうちに、また疑問が一つ出てきました。補足させていただきます。 >やがて人々は 花の香りを胸に来た道を帰ってゆく この文に入力ミスがあるかどうか、確認していただけないでしょうか。文の区切りをしていただければ助かります。「花の香りを」の「を」は理解できません。 ご添削ありがとうございます。処女作の詩を拝読することができて幸いです。どのように文と文をつなげるのか大変参考になりました。いろいろ教えていただき本当にありがとうございました。追加質問が多すぎて申し訳ありません。急がないので、ゆっくり回答していただければ大変嬉しいです。今日はもうおやすみなさい。
補足
>街角に白蘭花売りの露店が立つと ここの「立つ」はどういう意味でしょうか。 白蘭花は普通路地でお婆さんが手提げの籠に入れて売っております。お婆さんは道端でしゃがんでおり、その前に手提げの籠が置いてあります。これは「露店」と言えるのでしょうか。 >したがって「都会」は「街」に変えました。 「街」は現代風の道というイメージを伝えることができるのでしょうか。 >「集中線」、「放射線」と同様に「都会」という言葉には、自然を感じさせる花とは相容れない無機質なイメージがあります。 「無機質なイメージ」とはどういう意味でしょうか。命が感じられない、抽象的な概念のような意味なのでしょうか。
- shigure136
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白蘭花を求めて 人々はこの店に集まる 花を買い求めた人は その香りも一緒に握るようにして花を胸に付ける そして胸元から発する一筋の香りに 時を忘れて酔いしれる 白蘭花を身につけた人々が この店から散ってゆく 香りは幾筋もの流れとなって 都会の空を満たす *来る来る、行く行く、集中線、放射線は皆様が書いているように、雰囲気は伝わりますが詩の中で使われると違和感が生じます。 *一点にどんどん集まる、一点からいっせいに散るというイメージで、人々という言葉で多くの人が次から次へとという感じを出し、一点を店という言葉にしました。 *酔うは、【今、酔っている】というイメージが伝わりますので、この場合は「酔った」よりも良いのではないでしょうか。 もちろん、酔ったでもおかしくはありません。 私は「心から酔っている」状態を表現したくて「酔いしれる」を使いましたが、ここも「酔いしれた」でも構わないと思います。 詩は感性の発露ですから、どれが正しく、どれが間違っているということは言えません。 お創りになった詩は、伝えたいイメージがきちんと伝わっているわけですから、本当は敢えて直す必要は無いかもしれませんね。 違和感は逆に印象度アップにつながってきますから・・・・。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。「散る」の「離れる」という意味は初めてで、覚えます。「酔いしれる」という表現方法は大変参考になりました。「香りは幾筋もの流れとなって 都会の空を満たす」という文が好きです。私の言いたい意味は伝えたようで嬉しいです。本当にありがとうございました。
補足
>一点を店という言葉にしました。 白蘭花はお店で買ったのではなく、普通路地でお婆さんが手提げの籠に入れて売っております。「この店」という表現は私にとってちょっと馴染みづらいのかもしれません。 >花を買い求めた人は 「花を買った人」と「花を買い求めた人」の違いは何でしょうか。「買い求める」は私にとって新しい表現です。 もう一度教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
- unemerdedechien
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白蘭花を買う人が来るよ来るよ。 白蘭花を買った人が行くよ行くよ。 人々は花を胸に咲かせ、 香りに胸を膨らませ。 まるで大きな花が一輪、街に開いてすぐに散るようだな。
お礼
ご添削ありがとうございます。「散る」というお考え方に興味を持っております。もう一度ご意見を聞かせていただければ幸いです。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
補足
>まるで大きな花が一輪、街に開いてすぐに散るようだな。 あれ? ここはちょっとわかりません。「街に開いてすぐに散る」とは何でしょうか。なぜ「散る」で文を成されたのでしょうか。人の流れのことを指しておられるのでしょうか。 私は最後の一文はもともとは「都会へ流されてゆき、咲く」と書くつもりでした。目に見えない大きな花(かおりの流れからなっている花を指す)が一輪この都会に咲くを指したかったのですが、わかりにくいと思うので、消してしまいました。 また、「ようだな」は男性の口調になるでしょうか。女性でも使えるのでしょうか。 もう一度教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
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お礼
早速のご回答ありがとうございます。ご感想を聞かせていただき大変嬉しいです。「集中線」と「放射線」の感覚は非常に参考になりました。やはり伝わりにくいのですね。教えていただいた「あちらこちらから集まって来る」と「四方八方に去り行く」とついになる表現が好きです。覚えます。「同じ言葉の繰り返しが多すぎる」という点は今度改善してみます。いろいろ教えていただき本当にありがとうございました。シンプルで芯がある詩を作りたいです。これからもよろしくお願いいたします。
補足
>来る来る、行く行く、などのように動詞を2回重ねて使うのは会話ではよく言いますが、文章では違和感があります。 ここは北原白秋の「城ケ島の雨」の文頭の「雨はふるふる」という書き方を真似するつもりでした。